本 「生物はなぜ死ぬのか」 現代人を救う新たな死生観

2024年11月23日

新型コロナの流行中、メディアが連日死亡者数を報道していたのが嘘のようだ。当時は世界中の人たちが死を身近に感じた。死はすべての人に平等なはずだが、病気によって亡くなった人と生き残った人の差は何だったのだろうか。筆者は環境によって死ぬ個体と生き残る個体がいることが重要だと言う。

若返るベニクラゲ

生物界は多様性に満ちている

筆者小林武彦氏はゲノム研究を専門とする生物学者である。今地球上に存在する生物はたまたま環境に適応できた幸運な種であり多様性を持っていたから生き残れた。死はその多様性を維持する重要な仕組みである。生物にとって死と何か、人はなぜ長い老後を送ってから死ぬのか、最新のゲノム研究者がその理由を明らかにする。

目次

第1章 そもそも生物はなぜ誕生したのか

第2章 そもそも生物はなぜ絶滅するのか

第3章 そもそも生物はどのように死ぬのか

第4章 そもそもヒトはどのように死ぬのか

第5章 そもそも生物はなぜ死ぬのか

生物はなぜ死ぬのか 小林武彦 講談社現代新書

生物は、地球という絶妙な環境の星のうえに幸運が連続して発生した一個の細胞から始まった。細胞はDNAとRNAによって子孫を残す仕組みをもっていたので、全ての生物がそれを受け継いだ。生物は遺伝子を自己複製して子孫を残すもので、ウイルスのような他の生物の細胞のなかでしか自分を複製できないものは無生物になる。コロナウィルスはRNAとDNAと殻からできているが無生物である。殻はアルコールに弱いので消毒が効果的だ。

生物のRNAは程よく変異を起こす不安定な性質を持っている。それが多様性を生み出す。環境が、変異した遺伝子を許すと生き残り、許さないとあっけなく絶滅する。そのような生物の大絶滅は、火や隕石の衝突などによる激烈な環境変化によって過去に5度起こっている。だが自然には一つの種が絶滅しても変わる種が用意されている。恐竜は衝突によって絶滅したが、空いた場所を哺乳類が占めた。

筆者は、生物界に用意されている種の多さについて、もし宇宙人が地球に来たら生物の多様性に驚くだろうと言っている。半村良の伝奇小説「妖星伝」の宇宙人の血を引く一族の首領は「地球とはなんと醜い星だ。この生き物の多さは異常だ」が罵る。それくらい地球の生物は多様らしい。

完本 妖星伝〈1〉鬼道の巻・外道の巻 (ノン・ポシェット)

食べられるという死に方

死は生物の多様性を反映する。死には他者に捕食されたり事故による「アクシデント死」と「寿命死」の二つがある。ネズミはアクシデント死を前提で進化したので老化を防ぐ遺伝子を持たず短命多産になった。像や人間など身体の大きい動物は食べられて死ぬ可能性が少く、寿命死が前提に進化して老化を防ぐ遺伝子を持っている。

筆者が紹介する死は多様である。昆虫は子孫を残すと直ぐ死んでしまう種が多い。プラナリアは環境が整えば死なない。ベニクラゲは若返る。老化しない細菌もいる。寿命死の終点は老死だが人と他の動物の老化は異なる。人以外の動物は死の直前まで身体機能が低下せず人も羨むピンピンコロリなのである。

人は死ぬまで長い老後がある。健康寿命が終わると10年以上も苦しみながら生きねばならない。どうして不健康になっても生きるのだろうか。

人の細胞分裂は50回、55歳から遺伝子のコピーミスが増加する

人の細胞には幹細胞と普通の細胞があり、普通の細胞は分裂する回数が50回と決まっている、分裂が終わった細胞は取り除かれ幹細胞が新しい細胞を補充する。老化した細胞は癌化したり有害物質を出すので、それを防ぐために50回と決まっている。

RNAにあるテロメアという配列がスイッチを入れると細胞は分裂を止めて機能停止をする。テロメアの機能が老化に関わっている。ただ幹細胞は分裂の上限がないので老化し、それが進むと生み出す細胞の遺伝子にコピーミスが増える。人の場合、その時期は55歳ぐらいだ。人は55歳を過ぎると故障が多くなるのだ。

最新のゲノム分析は、人のRNAは不安定であり頻繁に変異を起こしていること解明した。その変異は次世代に伝えられ多様性が広がり次世代で発現する。老いた世代が死ぬと変異した若い世代が増える。その世代が再び変異した遺伝子を次世代に伝えていく。世代交代で多様性を広げる、つまり古い世代が死ぬことが必要になる。

死は種の多様性を維持するために必要だが、人が他の生物より長生きするのは何故か。人の寿命の限界は114歳位としている。人は他の生物と異なり生殖機能や健康をなくしてからも随分生きる。人も本来は遺伝子のコピーのエラーが増えだす55歳くらいが寿命だったが、生存戦略として老人を残すようにした。現代医学は更に寿命を伸ばしている。それは生存戦略から伸ばした寿命よりはるかに長いのではないか。そうまでして生きる人とは何物になったのだろう。

人はいつまでいきないといけないのか

文庫 人間の性はなぜ奇妙に進化したのか (草思社文庫)

ここは私見である。人は死を恐れ死に怯え長い老後に苦しむ。自殺するのも人だけだ。猫や犬が自殺をしたら世界はパニックになるだろう。動物は生や死に悩やまない。人だけが死を意識する。また同種で殺し合いをする数少ない動物だ。人はとても奇妙に進化している。

人の遺伝子には殺し合い(戦争)というアクシデント死が組み込まれていたのではないか。それとは別に生存競争を勝ち抜くために社会性や共感力を育てた。その能力が殺人や戦争というアクシデント死を禁じたので、減世代交代に必要な年齢以上に生きするようになり、死への恐怖と肉体的な苦痛が伴う長い老後を持った。「人類はできそこないである、進化のせいで「負け犬」になった」のかもしれない。

人類はできそこないである 失敗の進化史 (SB新書)

人は、現代まで長生きは幸せと考えてひたすら寿命を伸ばしてきた。老化の仕組みが解明され寿命を伸ばす薬が完成しそうになっている。その薬は人を幸せにするのだろうか。多様性の維持のために死が必要であり、人は永遠に生きられない。苦しみながら長く生きることに意味があるのだろうか。

死の恐怖に怯える期間が伸びるだけではないか。日本は世界に誇る長寿国だが、福祉予算の増大、ヤングケアラーや介護退職のような老人問題が深刻になっている。それでも長生きをしないといけないのか「そもそもヒトはなぜ死ぬのか」にその答えがある。人は死ぬようになっている。死がないと進化できないのだ。

食べられて死ぬのも嫌だが、老後を苦しんで死ぬのも嫌である。類人猿のように死ぬ間際まで生殖能力を維持してピンピンコロリが良い。そんな風にならないものかと思う一冊。

Posted by 街の樹