本 「生物はなぜ死ぬのか」 現代人を救う新たな死生観

2024年9月19日

新型コロナは多くの命を奪った。今は嘘のようだが、メディアは連日亡くなった人たちの姿を報道し、世界中の人たちが死を身近に感じた。死はすべての人に平等にやってくる。しかしコロナによって亡くなった人と生き残った人に差はあったのだろうか。筆者は死ぬ個体と生き残る個体がいることが種にとって重要だと言う。

若返るベニクラゲ

生物界は多様性に満ちている

小林武彦はゲノム研究を専門とする生物学者である。彼の説は、今地球上に存在している生物はたまたま環境に適応できた幸運な種であり、それは多様性を持っていたから生き残れたとする。その多様性を維持するのが死である。生物にとって死とは何か、人はなぜ長い老後を送ってから死ぬのか。最新のゲノム研究から現代の新しい死生観が浮かび上がってくる

目次

第1章 そもそも生物はなぜ誕生したのか

第2章 そもそも生物はなぜ絶滅するのか

第3章 そもそも生物はどのように死ぬのか

第4章 そもそもヒトはどのように死ぬのか

第5章 そもそも生物はなぜ死ぬのか

生物はなぜ死ぬのか 小林武彦 講談社現代新書

生物は、地球という絶妙な環境の星に、これまた幸運が連続して一個の細胞が発生したことから始まった。細胞はDNAとRNAによって子孫を残したので存在するすべての生物はその仕組みを受け継いでいる。生物は遺伝子を自己複製して子孫を残せるものである。コロナウィルスはRNAとDNAと殻からできているが、遺伝子を自己複製できず他の生物の細胞のなかで複製するので無生物になる。(殻がアルコールに弱いので消毒が効果的になる)

生物のRNAは程よく不安定で変異を起こして多様性を持つようになっている。種は、新しい遺伝子を作り多様性を増やしてきたが、たまたま環境に許された結果なので環境が変わればあっけなく絶滅する。過去に大絶滅は五回起こっている。原因は火山の噴火や隕石の衝突による。恐竜が絶滅しても生物そのものが居なくなる訳ではなく、その空いた場所に哺乳類が広がった。絶滅の穴を埋めるために多くの種が用意されている。

筆者は、もし宇宙人が地球に来たら生物の多様性に驚くだろうと言う。半村良のSF小説「妖星伝」の1節に、宇宙人の血を引く一族の首領が「地球とはなんと醜い星だ。この生き物の多さは異常だ」と罵る場面がある。それくらい地球の生物は多様なのである。

完本 妖星伝〈1〉鬼道の巻・外道の巻 (ノン・ポシェット)

食べられるという死に方

生物の死は食べらたり事故にあう「アクシデント死」と「寿命死」の二つがある。ネズミは「アクシデント死」を前提で進化しているので、短命多産であり老化を防ぐ遺伝子を持っていない。身体の大きい動物、例えば象は食べられて死ぬ可能性は少く「寿命死」を前提にしているので老化を防ぐ遺伝子を持っている。

寿命死の終点は老死だが、人間以外の動物は死ぬ直前まで身体機能が低下せず、羨ましくもピンピンコロリである。その死は、色んな形態がある。プラナリアは環境が整えば死なない。ベニクラゲは若返る。老化しない細菌がある。子孫を残すと直ぐ死んでしまう昆虫がいる。死は多様である。

生存戦略の勝ち組であるはずの人間の死は、ピンピンコロリの動物に比べると長い老後があり厳しい。日本人は健康寿命が終わってから10年以上も生きねばならない。なぜ人は不健康になっても生きねばならないのだろうか。

人の細胞分裂は50回、55歳から遺伝子のコピーミスが増加する

人の細胞が分裂する回数は50回と決まっている、分裂が終わった細胞は取り除かれ、幹細胞が新しい細胞をつくり補充する。ただ幹細胞は分裂の上限がないので老化する。老化すると補充する細胞の遺伝子にコピーミスが増える。その時期は人の年齢で55歳ぐらいなのだ。人は55歳を過ぎると故障が多くなる。

50回と定められた限度は、老化した細胞が癌化することや、老化した細胞が有害物質を出すのを防ぐためである。RNAにあるテロメアという配列が細胞停止のスイッチの役目をする。テロメアの機能が分かれば老化を防げるかもしれないとして研究が進められている。

RNA自身もミスをする、程良い不安定を持っておりで変異が発生する。そのため細胞の多様性は広がる。ただ変化した遺伝子の機能が発現するのは次世代以降になる。老いた個体が死ぬことで若い個体の多様性を広がる。世代交代が必要なのである。

細胞の働き方かた考察すると、人の生物として本来の世代交代の時期は55歳くらいなのだろう。30歳で子供ができ子供が25歳になると親は55才になる、遺伝子のコピーのエラーが増える頃だ。人間以外の動物はこの辺りで死を迎え老後がない。人はその後も長く生きる。現在の寿命の限界を本書は104歳くらいとしている。

人が長生きする理由に、子供の子(孫)の子育てを手伝うのが生存競争に有利だったという説がある。しかし体が元気であれば良いが90歳を超えればたいてい介護される存在である。子孫は孫の代になり種が多様性とは関係ない。それでも生きる、というか死ねない人とは何物なのだろう。

人はいつまでいきないといけないのか

文庫 人間の性はなぜ奇妙に進化したのか (草思社文庫)

人は死ぬのを恐れる、決まっている死に怯え長い老後に苦しむ。生きることに悩み自殺するのも人だけだ。(猫や犬が自殺をしたら世界はパニックになるだろう)動物は生や死に悩やまない、人だけが死を意識する。人はとても奇妙に進化したように思える。また人は同種で殺し合いをする数少ない生物である。

人の遺伝子は殺し合い(戦争)をして死ぬ仕組みが組み込まれていたのではないだろうか。アクシデント死の遺伝子である。どの一方で生存競争を勝ち抜くために集団で暮らし社会性や共感力という能力を育てた。社会性は殺人や戦争というアクシデント死を減らしたが、そのため世代交代に必要な年齢以上に長生きするようになった。

その結果、死への恐怖と肉体的な苦痛が伴う長い老後が残った、「人類はできそこないである、進化のせいで「負け犬」になった」のかもしれない。

人類はできそこないである 失敗の進化史 (SB新書)

これまで長生きは幸せと考え寿命を伸ばしてきた。老化の仕組みを解明する研究が進み、アンチエイジングや寿命を伸ばす薬が完成しそうになっている。ただその薬が人を幸せにするのだろうか。人は永遠には生きられないし、多様性の維持のために死ぬように作られている。

子孫を残した後、苦しみながら生きる必要があるのだろうか。死の恐怖に怯える期間が伸びるだけではないか。日本は、世界に誇る長寿国だが福祉費用の増大、ヤングケアラーや介護退職のような老人の問題が多い。長生きが幸せか、死ぬ意味を考え直す時期にきているのではないか。人はいつかは死ぬ、死には多様性の維持という重要な意味がある。「そもそもヒトはなぜ死ぬのか」は、それを教えてくれる。

食べられて死ぬのも嫌だが、老後を苦しんで死ぬのも嫌だ。やはり、類人猿のように死ぬ間際まで、生殖能力を維持してピンピンコロリが良い。そんな風にならないものかと思う一冊。

Posted by 街の樹