本 「 なぜジョブスはなぜ禅の生き方を選んだのか」 ビジネスと禅 

2024年11月13日

アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズの名前を知る人は多いが、彼が禅に傾倒していたのを知る人は少ないかもしれない。ジョブズは禅の心を活かして最先端企業アップルを率い、数々の素晴らしい言葉を残している。

ジョブズに精通する経済ジャーナリスト桑原晃弥氏と知らない臨済宗妙心寺派宝泰寺住職の禅僧藤原東演氏がジョブズの残した言葉を紹介するのがこの本である。ジョブズはなぜ禅を学んだのか、禅の教えはビジネスにどのように活かされたかを解説する。その言葉から禅とビジネスという一見対照的な二つに多くの共通点があるのが見えてくる。

ジョブスは働くのは人生だといった

自分の人生をキャリアとして考えたことはない。なすべき仕事を手がけてきただけだよ。それはキャリアと呼べるようなものではない。これは、私の人生なんだ。

スティーブ・ジョブス  なぜジョブスは禅の生き方を選んだのか 桑原空弥・藤原東演共著 PHP

「なぜそんなに働くのか」とジョブズが聞かれたとき答えである。実際彼らは猛烈に働いた。純粋にやっていることが楽しいので働けた。禅の修行は悟りを求めて自らが進んで行うもので誰かにやらされるのでない。仕事では無い。ジョブズたちもお金のためにではなく望みを達成するために働いた。製品開発は仕事ではなく人生だったのである。

彼が大学生の頃、学生は政治活動派とヒッピームーブメント派に別れていた。ジョブスははヒッピー文化派だったので色んな宗教や思想に傾倒した。しかしどれにも満足できなかった。そうしているうちに東洋文化がヒッピー文化に大きな影響を与えたことを知り禅に興味を持った。そのときに素晴らしい禅僧と出会い実践を重んじる禅の教えに傾倒していく。その頃の言葉がある。

僕は知的理解より体験に価値をおいていた。僕は知的、抽象的理解より、もっと意識のあるものを発見した人々に非常に興味をもった。

同著

藤原氏はその言葉が表す心境を「冷暖自治」と解釈する。水が暖かいか冷たいかは触るか飲めばすぐにわかる。いろいろと考えるよりも体験すればわかるという意味だ。ジョブズは「冷暖自治」の考え方に惹かれたのである。その頃に「仏教には初心という言葉があるそうです、初心を持つのは素晴らしいことです」とも言っている。桑原氏がそれを述べると、藤原禅師がそれは禅では「発菩提心」であると答える。そんな対話形式で進んで行く。

ジョブズの口語と禅語の対比

第一章「人生と禅」

第二章「ひらめきと禅」

第三章は「ビジネスと禅」

第四章は「忍耐と禅」

第五章は「一期一会と禅」

本文は五章からなり、ジョブズの54の言葉と対比される禅語が説明されている。ライバルについて質問されたとき「ライバル?僕にはライバルはいないよ」とジョブズは答えた。禅でいえば「自己啓発」になる。「変えられると本気で信じられる人こそが、本当に世界を変えているのだ」は「紙燭を消す」だ。

師に言われた言葉に確信が持てず悩んだ末の言葉「ここに無い物は向こうにもないからって、彼(禅の師)は正しかった」は「看却下」だ。彼らしい言葉である「五つの製品に集中するとすればどれを選ぶ、他は全部やめてしまえ。選ばないとリーズナブルだけどすごくはない製品しかだせなくなってしまう」は「座禅のみの精神」となる。

「あの連中が僕のことで文句を言っているのは承知している。だけど、将来いつか振り返れば今この時期が人生最高のひと時だったと思うだろう」は「梅花鼻をうつ」だ。梅は冬の厳しさを味わうからこそどの花より早く、香り高い花を咲かせるのである。

ジョブズの口語と禅語の対比が素晴らしい。「直感はとてもパワフルなんだ。僕は知力よりパワフルだと思う。この認識は、僕の仕事に大きな影響を与えてきた」は「空の意識」、「このあたりの偉大な会社の血統や、その伝統を守る方法を次の世代に伝える手助けをしたい。シリコンバレーにはずいぶん助けられたんだ、少しでも恩返しをしなきゃね」は「一本の大樹」である。

ジョブズに先んじた日本の起業家たち

日本にも、高度成長期にジョブズのように働く人たちが多くいた。ホンダの本田総一郎は通産省と喧嘩しながら自動車開発を続けた、クロネコヤマトの小倉昌男は郵政省に訴訟をおこされながらも宅配便を作った。ソニーの森田昭夫と井深大はトランジスタラジオを作り米国に挑戦した、京セラの稲森和夫はセラミックの用途拡大に全力を尽くした。彼らは自分の事業が社会のためになると信じて人生をかけた。

クオーツ時計を開発したセイコー、小型電卓カシオとシャープ、人工透析器を東京女子医大と協力して開発した東レ、技術者たちは寝食を忘れて働いた。その逸話は内橋克人の著書「匠の時代」に詳しい。当時の企業人にとっても製品開発は仕事ではなく人生だった。只管打座の気持ちでひたすら働いたのである。

日本人に禅の精神がある限り、日本は大丈夫

すぐれた家具職人は、誰も見ないからとキャビネットの背面を粗悪な板で作ったりしない。ジョブズは美しい製品をつくることに全力を尽くしている。コンピューター内部の基板にまで美しさを求められたデザイナーが、「誰が中までのぞくのですか」と質問したところ、答えは「僕がのぞくのさ」

同著

何かを生み出す人の行動には感動がある。経営者というより芸術家に近い。ジョブズの言葉は投資家やトレーダーの言葉とは一味違う。投資家は金を集めるのが仕事だが禅は捨てることから始める。金儲けと禅の共通点は少ないが物作りと禅の共通点は多い。

令和の今、メディアは日本の開発力が世界から大きく遅れていると悲観論ばかりを言っている。米国はもとより中国に学べ、韓国に学べ台湾に学べの大合唱である。日本人がノーベル賞を受賞すれば今後は取れなくなる、トヨタが最高益を上げれば電気自動車へのシフトで没落すると論評する。

なぜ快挙を素直に喜べないのだろう、将来に困難があるならに立ち向かえば良いのではないか。むやみに卑下したり他者の評価を気してどうなるのだろう。禅は周りの評価を気にしない、目標がはっきりしているからだ。

ジョブズは、評価を気にするより目標に向かってひたむきに進む大切さを禅から学んだ。彼の言葉を知ると、日本は禅の精神が有る限りまだまだ大丈夫だと感じる。もっと多くの人が禅を学べば働き方が変わるだろう。人生の一時期、ジョブズたちのように仕事に打ち込めたら人生は豊かになるに違いない。