本 「 なぜジョブスはなぜ禅の生き方を選んだのか」 ビジネスと禅 

2024年3月9日

アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズの名前を知る人は多いだろうが、彼が禅に傾倒していたのを知る人は少ない。ジョブズは当時の最先端企業アップルを率いながら経営に禅を活かした。彼はビジネスと禅を結ぶ素晴らしい言葉を残している。

ジョブズが残した言葉を、彼に精通する経済ジャーナリスト桑原晃弥氏と、彼を知らない臨済宗妙心寺派宝泰寺住職の禅僧藤原東演氏が紹介するのがこの本だ。ジョブズはなぜ禅を学んだのか、禅の教えはビジネスにどのように活かされたかを解説する。ビジネスと禅という一見対照的な二つには多くの共通点がある。

ジョブスは働くのは人生だといった

自分の人生をキャリアとして考えたことはない。なすべき仕事を手がけてきただけだよ。それはキャリアと呼べるようなものではない。これは、私の人生なんだ。

スティーブ・ジョブス  なぜジョブスは禅の生き方を選んだのか 桑原空弥・藤原東演共著 PHP

ジョブズと仲間は猛烈に働いた。なぜそんなに働くのかと聞かれたとき答えたのがこの言葉である。彼らにとって製品開発は仕事ではなく人生だった。彼らはやっていることが純粋に楽しかった。だから苦しくても働ける。禅の修行もやらされるのでなく悟り開くために自らが進んで行うものだ。お金のためだけに働くのではない、自分の望みを達成するために働けば喜びが得られるのだ。

ジョブズは若い頃に色んな思想に傾倒したが満足できなかった。そんなときに、禅に興味を持ち素晴らしい師と出会う。彼は禅と師の教えをビジネスに活かして事業を拡大していく。その途中で多くの言葉を残した。「仏教には初心という言葉があるそうです、初心を持つのは素晴らしいことです」と桑原氏がジョブズの言葉を取り上げると、藤原禅師がそれは禅でいえば「発菩提心」であると答える。その形式で進んで行く。

ジョブズは知的理解より体験に価値をおいた

僕は知的理解より体験に価値をおいていた。僕は知的、抽象的理解より、もっと意識のあるものを発見した人々に非常に興味をもった。

同著

ジョブズが禅に興味を持った頃の言葉である。彼が大学生の頃の学生は、政治活動をする派とヒッピームーブメントに乗る派に別れていた。彼はヒッピー文化派だった。東洋文化がヒッピー文化に大きな影響を与えことを知り興味を持っているときに、禅の世界と出会い実践を重んじる教えに惹かれた。

藤原氏はその心境を「冷暖自治」と解釈する。「水が暖かいか冷たいかは触るか飲めばすぐにわかる。いろいろと考えるよりも体験すればわかる」という意味だ。ジョブズは「冷暖自治」の心を良しとした。

ジョブズの口語と禅語の対比

本文は五章からなり、ジョブズの54の言葉と対比される禅語が書かれている。

第一章「人生と禅」

第二章「ひらめきと禅」

第三章は「ビジネスと禅」

第四章は「忍耐と禅」

第五章は「一期一会と禅」

「ライバル?僕にはライバルはいないよ」ジョブズがライバルについて質問されたときの言葉である。禅でいえば「自己啓発」になる。「変えられると本気で信じられる人こそが、本当に世界を変えているのだ」は「紙燭を消す」だ。

「ここに無い物は向こうにもないからって、彼(禅の師)は正しかった」は「看却下」である。彼らしい言葉がある。「五つの製品に集中するとすればどれを選ぶ、他は全部やめてしまえ。選ばないとリーズナブルだけどすごくはない製品しかだせなくなってしまう」だ。これは「座禅のみの精神」だ。

「あの連中が僕のことで文句を言っているのは承知している。だけど、将来いつか振り返れば今この時期が人生最高のひと時だったと思うだろう」は「梅花鼻をうつ」だ。その意味は、冬の厳しさを味わうからこそ梅はどの花より早く香り高い花を咲かすことをいう。

ジョブズの口語と禅語の対比が素晴らしい。「直感はとてもパワフルなんだ。僕は知力よりパワフルだと思う。この認識は、僕の仕事に大きな影響を与えてきた」は「空の意識」「このあたりの偉大な会社の血統や、その伝統を守る方法を次の世代に伝える手助けをしたい。シリコンバレーにはずいぶん助けられたんだ、少しでも恩返しをしなきゃね」は「一本の大樹」である。

ジョブズに先んじた日本の起業家たち

高度成長期の日本には、ジョブズのように働いた人たちが多くいた。ホンダの本田総一郎は通産省と喧嘩しながら自動車開発を続けた、クロネコヤマトの小倉昌男は郵政省に訴訟をおこされながら宅配便を作った。ソニーの森田昭夫と井深大は戦後すぐにトランジスタラジオを作り米国に挑戦した、京セラの稲森和夫はセラミックの用途拡大に全力を尽くした。彼らは自分の事業が社会のためになると信じて人生をかけたのである。

クオーツ時計を開発したセイコー、小型電卓カシオとシャープ、人工透析器を東京女子医大と協力して開発した東レ、技術者たちは寝食を忘れて働いたのである。その逸話は内橋克人の著書「匠の時代」にある。当時の企業人はみんなジョブズのように働いた。彼らにとって製品開発は仕事ではなく人生だったのである。只管打座の気持ちでひたすら働いた。

日本人に禅の精神がある限り、日本は大丈夫

すぐれた家具職人は、誰も見ないからとキャビネットの背面を粗悪な板で作ったりしない。ジョブズは美しい製品をつくることに全力を尽くしている。コンピューター内部の基板にまで美しさを求められたデザイナーが、「誰が中までのぞくのですか」と質問したところ、答えは「僕がのぞくのさ」

同著

何かを生み出す人の行動には感動がある。経営者というより芸術家に近い。ジョブズの言葉は投資家やトレーダーの言葉とは一味違う。投資家は金を集めるのが仕事だが、禅は捨てることから始める。物作りと禅は共通するが金儲けとは共通点が少ないようだ。

令和の時代、メディアは日本の開発力が世界から大きく遅れていると悲観論ばかりを言っている。米国はもとより、中国に学べ韓国に学べ台湾に学べの大合唱である。日本人がノーベル賞を受賞すれば今後は取れなくなる、トヨタが最高益を上げれば電気自動車へのシフトで没落すると論評する。

なぜ快挙を素直に喜べないのだろう、将来に困難があるならに立ち向かえば良いのではないか。むやみに卑下したり他者の評価を気してどうなるのだろう。禅は周りの評価を気にしない、目標がはっきりしているからだ。

ジョブズは、禅から評価を気にするより目標に向かってひたむきに進む大切さを学んだ。彼の言葉を読むと、日本に禅の精神が有る限りこの国はまだまだ大丈夫だと感じる。もっと多くの人がビジネスと禅の親和性を学べば働き方が変わるだろう。ジョブズたちのように、人生の一時期だけでも仕事に打ち込めたら人生は豊かになるに違いない。