本 「室町は今日もハードボイルド」 私たちのなかに潜む室町時代のエネルギー

2024年11月9日

これは私たちのご先祖の話である。筆者はいろんな人物を各地に残された古文書から蘇らせた。蘇った人達はおとなしい現代人から想像もできないほど破天荒だった。タイトル通りのアナーキーさで生きて暴れまくる。それがなんとも面白い。

滋賀の桶屋は蓮如を守るために比叡山の僧兵と戦う。岡山の荘園の管理人はカワウソ(まだ生存していた)の肉を食らいながら荘園の農民の妻たちを次々と犯す。驚くほど破廉恥である。倭寇と地方豪族は李氏朝鮮に偽の外交団を送り賜品を騙しとる。妻たちは夫の浮気相手の家に討ち入って家具を破壊する・・・もう何がなんだかわからないくらい元気が良いのである。

エネルギッシュな室町人はポリコレやネットを恐れて縮こまっている現代人を小さく見せる。だが彼らはまぎれもなく私たちのご先祖様なのだ。彼らの荒ぶる遺伝子は現代人の中に眠っている。遺伝子に潜む室町のエネルギーを現代社会に開放する術はないものか。

中世は沸騰し、ご先祖様は元気だった

室町時代は平安の貴族社会から武家社会へ急激に変化した時代である。政治権力は貴族から武士に移り、経済は米や塩の物々交換から貨幣経済へ変わろうとしていた。司馬遼太郎なら「この時代、日本は沸騰していた。貴族も武士も商人も農民も、みんなが熱に浮かされたように走っていたのである、それが室町という時代だった」と書いたかもしれない。

私に馴染みのある中世の人々は、おおむねそうした徳目とは無縁、もしくはそれらの希薄なものたちだったのである。教科書作成者がそれを意図的に行っているとしたら、それはそれで優れて鋭敏な配慮と思わざるをえない。

確かに中世を生きた人びとのなかには「道徳」的な人物は少ない。むしろ、そうした私たちの既存の「常識」や「道徳」の埒外にあることが、中世人の最大の特徴であり魅力なのである。

室町は今日もハードボイルド 清水克行(著) 新潮社 

筆者は古文書を解読し実在する人物や事件を蘇らす。彼らは小説の主人公のように桁外れである。社会は武士が権力を掌握しようとしているが、貴族や寺院、神社などの古い権威もまだまだ力を持っている。農民も武装して戦う気概を捨てていない。そのなかで商人たちは貨幣経済の発達に伴い着実に力をつけていく。

そこは多くの権力が入り混じるカオスの社会だった。暴力が支配する社会でもある。麻薬組織が跋扈する中南米や反政府組織が争うアフリカに似ているかもしれない。現代の感覚では野蛮で残酷だが共有するルールはあった。その混沌のなかから日本という国が形成されようとしていた。

第1部 僧侶も農民も荒ぶる中世人

中世の人は、悪口を言い合いあい、ときには裁判になるほど争った。悪口の語彙が少ないと言われる日本語だが、室町時代は沢山の悪口があった。「お前のかあちゃんでべそ」も室町からの言葉で、おまえの母親は他人に臍をみせるふしだらな女だとけなしたのである。母親への悪口は時代を問わず効果的なようで、サッカーフランス代表のジダンはワールドカップの試合中にそれを言われ頭突きをかましてしまった。

使うのは口だけではない、当然武力も使った。瀬戸内や琵琶湖は海賊が出没して旅人を襲う。大津の顔役の桶屋は蓮如のために比叡山の僧兵と大立ち回りをする。琵琶湖北部の二つの村は50年に渡り争い続けた。力はまだまだ正義であり秩序を維持する手段だったのである。

今の琵琶湖の静まり返った湖畔を見ると争いが続いていたとは信じられないが、古文書に戦いの歴史がしっかり残されている。ときに村は幕府と対立する。あるとき代官が片方の村の申し立てを認めると、対立する村は代官が贔屓をしたと激怒する。殺し屋を雇って代官を暗殺しようとした。代官はかろうじて難を逃れるが、その代官はなんと徳川家康のご先祖だった。小さな村の争いは日本の歴史を変えたかもしれなかった。

第2部 細かくて大らかな中世人

経済も大きく変わっていった。人々は変化をおおらかに受け入れていった。銭の勘定方法や枡の大きさいい加減なものである。寺社や農民がそれぞれの基準とサイズの枡を使っていた。一升はマスによって九合だったり13合だったりした。それはそれで通用したのである。

お金も面白い。銭100文は1文銭100枚で縄で一括りされていた。一括りされていれば93枚でも95枚でも100文だがバラバラにしてしまうと枚数の価値になってしまう。括られた93枚は100文だがバラ銭になると93文になる。バラ銭にするのは勇気がいったようだ。

国の暦である元号もおおらかだった。地方政権の都合で元号が盛んにつくられた。関東地方は当時のフロンティアで経済が猛烈に発達して人手不足だったので、人身売買も頻繁に行われときには子供を飢えから救う手段としても使われた。

室町幕府の支配は、社会や地方に多くの権威が多元的・多層的に存在するため細部まで行き届かない。外交でもそれを良いことに凄いことやっている。地方の豪族が倭寇と組んで李氏朝鮮に偽の外交使節団を送っている。目当ては使節団に下される土産である。

朝鮮の外交文書に使節団の記録が残るが、そこに記された使節の名前は全く存在しない人物や、実在の人物の名前の一文字だけを変えただけの明らかに偽物で舐めたものがる。仮にも独立した王朝に、幕府の使節団として堂々と乗り込んでいく度胸に呆れてしまう。それを百年間に13回もやっている。

第3部、中世人、愛のかたちと死生観

室町は女性も荒ぶった。妻たちは夫の愛人の家をめちゃめちゃに壊す「うわなり打ち」の権利を持っていた。妻は仲間の女性たちと一緒に愛人の家を集団で襲う。男は、可愛いを売りにする日本女性たちの中にも荒ぶるミームが潜んでいるのを知っておくべきだろう。

セクハラもある。岡山の荘園に派遣された東福寺の役人は、ニホンカワウソの肉を精力剤にして荘園で働く農民の妻を次々と襲った。困った農民たちがその悪行を東福寺に訴えた告訴文が残っている。農民は処罰を嘆願したが罰せられた資料は残っていない。

人の命についての考えも今とは随分異なる。織田信長、松永弾正、高山右近、当時のお坊さんが人質の命をどのように考えたかの記録がある。死は今よりはるかに身近で百姓も切腹する時代だった。

第4部、過激に信じる中世人 、虹がでたらその下で市を開く

第4部は、藁人形がアマゾンで売れている話から始まる。中世の信仰は今より遥かに過激だった。仏教徒は激しく戦う、加賀の一向宗は国主冨樫氏を追放し100年間自治を行った、石山本願寺の門徒は織田信長と戦い続けた。呪いや祓いを職業にする者は多くいて朝倉孝景や上杉謙信などの武将さえ呪詛の標的した。

戦う農村 photolibrary 

中世人のエネルギッシュな生き方を学ぼう

室町から戦国時代は、戦乱や飢饉が続き人々は生きるのに苦労したが日本史上最も活気があった時代だった。人生に例えれば、青春の真っ只中、真面目な少年がエネルギーを持て余し急にバイクをかっ飛ばすような時期でだった。

銀の算出量は世界一、鉄砲の保有数も世界一、東南アジアに日本人街をつくり欧州まで使節団を送る国力があった。その時代に生きた人たちは良くも悪しくも精力に満ち溢れ日本の骨格を作った。熱気は江戸時代になると急速に冷めていく。

室町の荒ぶる遺伝子は人々のなかに静かに潜んでいた。明治になるとふたたび爆発し、人たちはアジアに膨張して太平洋戦争を起こしてしまう。そして静かになり、昭和になって経済を武器に再び世界に爆発する。日本企業の社員は世界中を駆け巡りバブルが崩壊してまた静かになっている。

今は、少しハメを外したり余計なことを言うとメディアやSNSでこれでもかというほど叩かれる。そのためか日本全体が小さく萎縮してしまっている。ポリコレやハラスメントも重要だが、もっとおおらかな生き方があるのではないかと思ってしまう。

現代人は、小さく縮こまっているが中世の荒ぶる魂が眠っている。ご先祖様と日本人を再発見できる一冊。閉塞した社会に一風の風を吹き込んでくれる。

Posted by 街の樹