本 「室町は今日もハードボイルド」 私たちのなかに潜む室町時代のエネルギー

2024年9月17日

私たちのご先祖の話である。筆者が各地に残された古文書からいろんな人物を蘇らせたのである。蘇った人達は、おとなしい現代人から想像できないほど破天荒に生き、タイトル通りのアナーキーさで暴れまくる。これがなんとも面白い。

滋賀の桶屋は蓮如を守るために比叡山の僧兵と戦い、岡山の荘園の管理人はカワウソ(まだ生存していた)の肉を食らいながら荘園で働く農民の妻たちを犯す。驚くほどの破廉恥ぶりである。倭寇と地方豪族は李氏朝鮮に偽の外交団を仕立て賜品を騙しとる。妻たちは妻たちで夫の浮気相手の家に討ち入って破壊する・・・もう何がなんだかわからないくらい元気が良いのである。

室町人のアナーキーさは、ポリコレやネットを恐れて縮こまっている現代人を小さく見せる。彼らはまぎれもなく私たちのご先祖様なので、彼らの荒ぶる遺伝子は現代人の中に眠っているはずだ。この遺伝子に潜むエネルギーを現代に開放する術はないものだろうか。

中世は沸騰し、ご先祖様は元気だった

室町時代は平安の貴族社会から武士社会へ急激に変化した時代である。政治は貴族から武士に移り、経済は米や塩の物々交換から貨幣へ変わろうとしていた。司馬遼太郎なら「この時代、日本は沸騰していた。貴族も武士も商人も農民も、みんなが熱に浮かされたように走っていたのである、それが室町という時代だった」と書いたかもしれない。

私に馴染みのある中世の人々は、おおむねそうした徳目とは無縁、もしくはそれらの希薄なものたちだったのである。教科書作成者がそれを意図的に行っているとしたら、それはそれで優れて鋭敏な配慮と思わざるをえない。

確かに中世を生きた人びとのなかには「道徳」的な人物は少ない。むしろ、そうした私たちの既存の「常識」や「道徳」の埒外にあることが、中世人の最大の特徴であり魅力なのである。

室町は今日もハードボイルド 清水克行(著) 新潮社 

筆者は古文書を解読する。登場する人物は実在し事件は実際に起こっている。彼らは小説の主人公のように桁外れに暴れている。武士が権力を掌握しようとしているが、貴族や寺院、神社の古い権威もまだまだ力を持っていた。農民は武装して戦う気概を捨てていない、商人たちは貨幣経済の発達に伴い力をつけてきている。

多くの権力が入り混じるカオスの社会だった。暴力が支配する場所もあった。今で言えば、麻薬組織が跋扈する中南米や、反政府組織が争うアフリカに似ているかもしれない。現代日本の感覚では、野蛮であり残酷だが人々は共有するルールに従っている。

そのような混沌とする社会から日本という国が形成されようとしていた。そこに生きたご先祖様は驚くほどエネルギッシュだった。

第1部 僧侶も農民も荒ぶる中世人

中世の人は悪口を言い合いあい、ときには裁判になるほどだった。日本語は悪口の語彙が少ないと言われるが、当時の社会は沢山の悪口がある。「お前のかあちゃんでべそ」もその一つで、おまえの母親は他人に臍をみせるふしだらな女だという意味である。母親の悪口は時代を問わず効果的なようで、サッカーフランス代表のジダンはそれをワールドカップの試合中に言われ頭突きをかましてしまう。

使うのは口だけではない、当然武力も使った。瀬戸内や琵琶湖は海賊が出没して旅人を襲う。大津の顔役の桶屋は蓮如のために比叡山の僧兵と大立ち回りをする。農民も戦う気概をもっていた。琵琶湖北部の二つの村は50年に渡り争い続けた。力はまだまだ正義であり秩序を維持する手段だったのである。

今の静まり返った琵琶湖の湖畔を見ると、そんな争いが続いたとは信じられないが、戦いの歴史は古文書にしっかり残されている。村はときには幕府と対立する。あるとき、代官が一つの村の申し立てを認めた。対立する村の村人は代官が贔屓をしたと激怒して、殺し屋を雇って代官を暗殺しようとすした。

代官はかろうじて難を逃れるが、その代官はなんと徳川家康のご先祖様だった。小さな村の争いが日本の歴史を変えたかもしれなかったである。

第2部 細かくて大らかな中世人

経済も大きく変わろうとしていた。当時の人たちは変化をおおらかに受け入れていった。銭の勘定方法や枡の大きさもおおらかだった。寺社や農民はそれぞれが基準とするサイズの異なる枡を持っていた。一升が9合だったり13合だったりしたがそれでも平気だった。

お金も面白い、銭100文は1文銭100枚だが、縄でひと括りされていれば93枚でも95枚でも100文だった。しかしバラバラにしてしまうと枚数の価値になってしまう。括られた93枚は100文だが、バラ銭になると93文になるという具合だった。

国の暦である元号も、ときには地方政権が勝手に作ってしまう。フロンティアだった関東地方では元号つくりが盛んに行われた。経済が猛烈に発達し常に人手不足だったので人身売買も頻繁に行われる。ときには子供を飢えから救う手段としても使われた。

室町幕府の支配は、多くの権威が多元的・多層的に存在したため細部まで行き届かなかった。それを良いことに外交で凄いことやっている。地方の豪族が倭寇と組んで李氏朝鮮に偽の外交使節団を送っているのだ。目当ては使節団に下される土産である。

朝鮮の外交文書に使節団の記録が残っているが、使節の名前は明らかに偽物で舐めたものだった。全く存在しない人物や、実在の人物の名前の一文字だけを変えただけである。仮にも独立した王朝に使節団を送り、堂々と乗り込んでいく度胸に呆れてしまう。それを百年間に13回もやっているのである。

第3部、中世人、愛のかたちと死生観

室町は女性も荒ぶった。妻たちは、夫の愛人の家をめちゃめちゃに壊す「うわなり打ち」の権利を持っていた。仲間の女性たちと一緒に愛人の家を集団で襲うのである。今は可愛いを売りにする日本女性たちの中には荒ぶるミームが潜んでいるのだ。男は知っておくべきだろう。

セクハラもあった。岡山の荘園に派遣された東福寺の役人は、ニホンカワウソの肉を精力剤にして荘園で働く農民の妻を次々と襲った。困った農民たちは東福寺へその悪行を訴えた。その告訴文が残っている。農民は処罰を嘆願したが罰せられた資料は残っていない。

人の命についての考えも今とは随分異なった。織田信長、松永弾正、高山右近、当時のお坊さんが人質の命をどのように考えたかの記録がある。死は今よりはるかに身近で、百姓も切腹する時代だった。

第4部、過激に信じる中世人 、虹がでたらその下で市を開く

第4部は、アマゾンでけっこうな数が売れている藁人形の話から始まる。今も信仰は密かに続いているようだが中世の信仰は遥かに過激だった。仏教徒は激しく戦った、加賀の一向宗は国主冨樫氏を追放し100年間自治を行った。石山本願寺の門徒は織田信長と戦い続けた。呪いや祓いを職業にする者は当然多くいた。呪術師は、朝倉孝景や上杉謙信などの国主でさえ呪詛の標的した。その文書も残っている。

戦う農村 photolibrary 

中世人のエネルギッシュな生き方を学ぼう

室町から戦国時代は戦乱や飢饉が続き、人々が生きるのに苦労した時代だが、日本史の中で最も活気があった。人生で言えば青春の真っ只中、真面目な少年がエネルギーを持て余し、急にバイクをかっ飛ばすような時代である。

銀の算出量は世界一、鉄砲の保有数世界一、東南アジアに日本人街をつくり欧州まで使節団を送る国力があった。その時代に生きた人たちは良くも悪しくも精力に満ち溢れていた。彼らが日本の骨格を作ったのである。その熱気は江戸時代になると急速に冷めていく。

だが室町の遺伝子は人々のなかに静かに潜んでいた。明治になるとふたたび爆発し太平洋戦争を起こしてしまう。その後また静かになり、今度は経済を武器に再び世界に爆発する。日本企業の社員は世界中に駆け巡った。そしてバブルが崩壊してまた静かになった。

今は、少しハメを外したり余計なことを言うと、メディアやSNSによってこれでもかというほど叩かれる。そのせいか日本全体が萎縮してしまっている。ポリコレやハラスメントも重要だが、もっとおおらかな生き方があるのではないか。

小さく縮こまっている現代人だが、その中には中世の荒ぶる魂が眠っている。ご先祖様と日本人を再発見でき、閉塞した社会に一風の風を吹き込んでくれる一冊。

Posted by 街の樹