本 「スタンフォード大学の共感の授業」共感は人生を変える
最近、共感や利他主義、ギバーなど人の優しさに関する書籍が多く出版されている。人に備わる共感力が、格差社会、上級国民、インセルなどの言葉に代表される社会の分断を修復しようとしているのかもしれない。
世界中の人たちがロシアに侵略されたウクライナに共感を寄せている。多くの人たちは一刻も早い終戦を望んでいる。しかしロシアの人たちがウクライナの母子の涙に共感することはない。この差は何だろう、共感とはいったいどのような感情なのか。
私達は、共感を破壊するシステムの中で暮らしている
「私達は共感を破壊するシステムのなかで暮らしている」仮に共感を破壊するシステムを作りたいと思うなら、今まさに僕らが築いている社会以上にふさわしいものはつくれないだろう。ある意味で、共感は既に壊れている。時代を経るうちに共感の力は摩耗してしまった。
スタンフォード大学の共感の授業 人生を変える「思いやる力」の研究 ジャミール・サキ(著)上原祐美子(訳) ダイヤモンド者
筆者ジャミール・サキは、スタンフォード大学の心理学者である。彼は「現代人は共感を破壊するシステムの中で暮らしている」という。人間の共感力が弱っている兆候が世界中に現れている。そんな現代社会に筆者たちは共感力を呼び戻そうとしている。
共感力は動物にもともと備わっていた能力である。人はそれを特別に発展させた。人は共同体で暮らすことで自然や動物の脅威に対抗した。効果的に対応するには住民全体の協力が必要であり、それを支える円滑な人間関係の維持は重要である。人間関係を良好にするため共感力を発達させた。相手を思いやれば相手から優しい反応が返ってくる、その繰り返しが大切だった。
共感力は相手が誰かわかる規模の共同体で生まれた。やがて人口が増加して共同体は都市になり、現代人の大半は大都市に住むようになった。現代人の殆どはその街で一人暮らしをする。たくさんの人とすれ違っても知らない人ばかりの親しい人が少ない社会に生きている。脳は小さい共同体で暮らした時代から変わらず、知らない人への共感は弱い。そして社会全体の共感力が弱くなる。
現代社会の技術発展はいつでも多くの人と繋がることができるSNSを生み出したが、そのやりとりは断片的なテキストメッセージだけで、相手の仕草や表情から伝わる情報が無く全人格がわからない。SNSの共感力は弱く、少しの意見の相違で簡単に壊れてしまう。いいねをくれない人はブロックしようとなる。大都市とSNSは共感を破壊するシステムだ。
今の社会を見ると筆者の指摘通りだと暗澹となるが、筆者たちは破壊された共感力は取り戻せると楽観的だ。ヘイトを捨てたヘイトクライマーや、人が物語や演劇によって癒やされ共感力を取り戻すことを知っているからだ。
共感力は増やせる、大人の脳は変化する
共感力は三種類があり相互に関係している。「相手の体験や感情を共有する体験共有」「相手の心を考える認知的共感」「相手に配慮する共感的配慮」だ。失意の友人を前にすると彼の失意に反応して自分も悲しくなる。それが体験共有(ミラーニング効果)だ。次に相手の気持ちを推測するのが認知的共感、相手に何かをしてあげたいと思うのが共感的配慮である。
この共感力は脳に組み込まれている。長い間成人の脳は変わらないとされてきた。そうであれば共感力が増えたり、壊れた共感力はもとに戻らないが、実際はそれが起こっている。最新の脳科学は成人の脳が体験や習慣により変わることを発見した。脳は年齢に関係なく刺激により対象の領域が発達したり退化する。(サキはウェゲナーの大陸プレート移動説をもじって、心移動説と言っている)共感力も体験によって変化するのである。
災害や犯罪によって心に傷を負った人が、同じ境遇の人に強い共感を示すことはよく知られている。ハリケーンカトリーナの被災者たちは、ハービーの被災者を助ける救助プログラムを立ち上げた。トラウマサバイバーは強い共感力を持つ。
白人至上主義者でダヤ人排斥主義の指導者の男性、まぁよくぞ揃ったものだが、彼は我が子とユダヤ人カウンセラーから与えられた共感によってヘイトを捨てた。ウガンダのフツ族とツチ族は大虐殺を繰り返し多くの人が傷付いた。一本のラジオドラマが両方の部族の心を癒やしている。共感力を持つ聞き手に救われたヘイトクライマーの存在、共感力が蘇る例が数多く示される。
共感を遮断する能力とナッジの必要性
その反面、人は共感を遮断する力を持っている。密航中に海で溺れた難民少年に強い共感を寄せるが、内戦で亡くなる無数の人々に関心を示さない。共感し続けると疲れてしまうのだ。それを防ぐために遮断する力が備わっている。現代は個人が接する情報量が圧倒的に多い、そのために遮断する力が頻繁に使われる。これも社会の共感を力が弱まる理由になっている。
サッカー好きなら理解しやすい実験がある。被験者はマンチェスターユナイテッドのファンである。彼らはチームへの想いを紙に書いた後ある場所へ行くように指示される。途中にマンチェスターのジャージを着た人か、リバプールのジャージを着た人が倒れている。被験者はリバプールのジャージの人は助けない。リバプールサポーターは仲間でないからだ。
次に、彼らはサッカーへの想いを書いて出発する。今度も二つのうち一つのジャージを着た人が倒れている。被験者はどちらのジャージを着た人でも助ける。被験者の意識が、サッカーの思いを書いたことで、マンチェスターファンからサッカーファンに広がった。サッカーファンという仲間になり共感が生まれた。
サッカーへの想いを紙に書くというような行為やきっかけを「ナッジ」と呼ぶ。ちょっと背中を押すというくらいの意味だ。人はちょっと押されるだけで変わる。サキたちは社会にナッジを仕掛けようとしている。
世界は分断されても共感力は無くならない
コロナや経済格差、紛争や難民、人種偏見など多くの問題を現代社会は抱えている。人間を特定の集団(同族)に分類して分断しようとする力が働いている。経済格差は性の格差につながりインセルと呼ばれる女性蔑視の集団を生み出した。日本でも上級国民や親ガチャなど格差を煽る言葉が流行っている。
メディアは、分断や対立を面白くおかしく報道しそれがまた新たな分断や対立を生む。ニュースを信じる集団と信じない集団が激しく対立する。彼らは相手の集団の正確な情報を知らないままに争い、相手を理解しようとはしない。両者に妥協はなく対立は更に進む。まさに筆者のいう「共感を破壊するシステムの中」にいる。
しかし人間は共感力を進化さて生き残った生物である。分断する力がいくら強くても、備わった共感力が簡単に無くなることはない。サキたちのような共感を取り戻そうとする人たちがいる。人は現代社会を共感に満ちた世界に変えていくに違いない。
シャミール・ザキは不幸な少年時代を過ごしたが楽観的な性格をしている。その研究は共感は取り戻せることを証明している。彼は分断の元凶であるSNSすらも、上手く使えば共感力を増やすツールになると考えている。彼らがいる限り共感は取り戻せると思える一冊。
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