本 「眠れない一族」 食人の痕跡と殺人タンパク質の謎  

2024年12月14日

面白いけれど怖い。物語はベネチアに住む高貴な一族から始まる。その一族の半数の人たちは、中年期を迎えると眠れなくなり最後は死んでしまう。異常な発汗と頭部硬直、瞳孔収縮が始まり不眠症になって終わりを迎える。それでも彼らはイタリア伝統の家族主義を守り子孫を残してきた。2世紀もの長い間奇妙な病気に苦しみながらである。

眠れない一族とプリオン病

20世紀になって、一族を苦しめてきた病気は「致死性家族性不眠症(FFI)」という遺伝性のプリオン病と分かる。しかし治療法はまだ見つかっていない。彼らを苦しめるプリオンとはいったい何なのか。筆者ダニエル・T・マックスは、病気に挑む科学者たちの姿を「知的かつ不気味な医学小説」と評されるエンターテイメントに仕上げた。

部隊はイタリアの呪われた一族の不眠症から始まり、欧州で流行った羊のスクレイピー、パプアニューギニアのクールー病、英国の狂牛病と広がっていく。イタリアの医者たちは一族の病気の原因を細菌やウィルスだと考え、懸命に探すが発見できない。わかったのは、病気は遺伝するが発症する者としない者に分かれることだけだった。発症の確率は50%、罹れば確実に死ぬのだ。一族の人たちが中年期までに感じる恐怖はまさにホラーである。

同じ頃、ヨーロッパで羊に「スクレイピー」と呼ばれる奇妙な病気が流行っていた。羊は病気に罹ると身体を何かに擦り続ける、性格が凶暴になって歩けなくなり死んでしまう。病気は欧州中に蔓延して牧畜産業に大きなダメージを与えた。研究者たちは原因を探すが見つからない。その状況のなか品種改良のための近親交配を疑う。

なぜこんな美味しい物を今まで食べなかったのか

遠く離れたパプアニューギニアでも原住民フォア族にクールー病が流行っていた。クールー病に罹ると身体を震わせながら死んでいく。村に新しく派遣された科学者、カールトン・ガイシェジェックはフォア族の食人の習慣が原因でないかと疑う。

続いて派遣された人類学者、ロバート・グラスとシャーリー・グラスは、村人からクールー病が新しい病気だと聞きだした。病気は「50年前にタワツィという先祖を食べた」ときから始まったという。宣教師が食人を止めさせると病気は減少した。ただクールー病と食人は関係することは分かったが病原菌を見つけることはできなかった。

ガイシェジェックはノーベル賞を受賞するほどの優秀な学者だったが、少年愛好者でもある性格破綻者だった。フォア族も食人や男色を当然とする性のタブーのない人たちであった。フォア族とガイシェジェックの異常性が物語のエンターテイメント性を高めている。そのなかでも凄いのがフォア族が初めて人を食べたときの感想である。「なんとしたことだ、なぜこんな美味しいものを今まで食べなかったのか」人は美味しいらしい。

プリオンの発見と食人の履歴

カールトン・ガイシェジェックは、最初にクールー病、クロイツヤコブ病、スクレービーはスローウィルスによって起こされると考えた。しかしそれは見つからない。そんなときに化学者スタンリー・プルジナーが登場する。野心に燃える彼は、病気にかかった動物の脳からあらゆる物質を抽出し、実験動物に注入して病気の再現に成功する。

実験の結果、発見された物質は非常に小さな蛋白質だった。彼はそれをプリオンと名前けた。異常プリオンは体内に侵入すると、正常プリオンをドミノ倒しのように異常プリオンに変えてしまうという原因は解明されたが、クロイツフェルト・ヤコブ病やクールー病が、異常プリオン蛋白質によっておこることはわかったが、プリオン病に罹りやすい人とそうでない人が存在するのは何故か、科学者の探求は続いた。

クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)

これらの病気の原因は、ドイツの二人の神経学者ハンス・ゲルハルト・クロイツフェルトとアルフォンス・マリア・ヤコブによって明らかにされる。彼らは1920年と1921年に症例報告を行い、ドイツの精神科医ヴァルター・シュピールマイヤーが、クロイツフェルト・ヤコブ病と名付けた。異常なプリオン蛋白質が、脳内に侵入し脳組織に海綿状の空腔をつくって、全身の不随意運動や認知症脳機能障害を急激に引き起こすのである。

異常プリオン蛋白質は、正常プリオン蛋白質を異常プリオン蛋白質に変える。少量の異常プリオン蛋白質を摂取するだけ発症する。異常プリオン蛋白質が中枢神経に沈着すると、中枢神経が変異して発症から約1年から2年で死亡する。異常プリオンは、ゲルストマン・ストロイスラー・シャインカー症候群や致死性家族性不眠症(FFI)なども発症させる。

さてプリオン病に強い人がいる理由もやがて解明される。50万年前、人類の正常なプリオン遺伝子のコードはメチオニンだった。そこに、バリンをコードとする遺伝子が突然変異で現れた。その結果、人はメチオニンとバリンの二つのプリオン遺伝子を持つことになった。

母と父から一対づつ受け継ぐので、メチオニンとバリンのヘテロ結合と、メチオニンとメチオニン、バリンとバリンのホモ結合のタイプがいることになる。研究の結果、プリオン病に罹る人の多くはホモ結合の人たちであるとわかる。ヘテロ結合の人たちは罹り難く罹っても発症しにくい。

ニコラス・ケイジに似た筆者ダニエル・T・マックスは、眠れない一族の苦悩から、ニューギニアのクールー病、家畜に伝染する謎の病気と、プリオンを発見する科学者たちの活躍をホラーサスペンスのように描き出している。ノンフィクションでありながら下手な冒険小説より面白い。まるでジェームズ・ロリンズの「アマゾニア」のようなのりである。

世界の民族はヘテロ結合の人が大半である。過去に人類が食人をしてプリオン病が流行したこと、病気に強いヘテロ結合の人間が生き残った結果である。原因は分かったが治療法は見つかっていない。眠れない一族はどうなったか、最後まで読んでいただきたい一冊である。

狂牛病(BSE)に弱い日本人

人類は古代のプリオン病流行によって食人をタブーにした。近代になって商業的利益追求のために羊の近親交配を行いプリオン病を生み出した。牛に牛の肉骨粉を食べさせて異常プリオンを生み出し、牛肉を食べた人を狂牛病に罹らせた。さらに血液製剤、硬膜や角膜の移植によって感染を広げた。

このノンフィクションは、優れたエンターテインメントであると同時に人類が踏み込んではいけない領域があることを知らせる警鐘でもある。創造主(いるなら)は、高等な哺乳類が同類を食べるのを異常プリオンを使って禁じた。近親交配による異常プリオンの発生は遺伝子の多様性が狭まるのを防ぐ仕組みである。なのに21世紀の人類は経済的な利益を求めて禁じられた領域に踏み込もうとしている。商業主義のための遺伝子操作は、第2の異常プリオンを発生させる可能性がある。

世界はヘテロ結合のプリオン遺伝子を持つ人が多数だが、日本人はほとんどがホモ結合の遺伝子を持っている。島国で暮らしていて多民族との交流が乏しかったこと、また過去に食人の経験が無かったことが理由らしい。狂牛病騒動の際、プリオン遺伝子のホモ結合は話題にならなかったが日本人は狂牛病(BSE)に弱いのである。

当時は厳しい制限に文句を言う人たちも多かったが、制限がなければスペインによって天然痘を持ち込まれたインカ帝国のようになっていたかもしれない。人種差別をするのはいけないが、違いが存在するのは事実なのである。創造主は人類に色んな仕掛けをしている、それが怖くて眠れない一冊。

Posted by 街の樹