旅 萩原朔太郎 海風のやうに吹いてくる気持ち
旅行の実の楽しさは、旅に中にもなく後にもない。ただ旅にでようと思った時の、海風のやうに吹いてくる気持ちにある。旅行は一つの熱病である。恋や結婚と同じやうに、出発の前に荷造りされている、人生の妄想に満ちた鞄である。
‐萩原朔太郎‐
詩人萩原朔太郎は「海風のやうに吹いてくる気持ち」と旅に出たい気持ちを表現した。流石に大詩人、言葉でだけで海風を感じさせる。コロナが終わって、たくさんの人の心に海風が吹いているに違いない。この素晴らしい言葉を知ったのは林望先生の著書「定年後の作法 ちくま新書」である。この風は働き盛りの青年の心にも定年後の老いた気持ちにも年齢や性別に関係なく吹いてくるようだ。
定年後の作法 (ちくま新書)旅は熱病である
旅はどのような時でも人を誘う。西行法師や松尾芭蕉は老いてから旅に出た。西行法師は「願はくは花の下にて春しなむそのきさらぎの頃」と旅の空で詠んだ。芭蕉は「古人も多く旅に死せるあり」と旅先の死を覚悟した。旅とは別れでもある。
種田山頭火や若山牧水も旅空の下に暮らした。中世ヨーロッパの錬金術師パラケルススも旅の人だった。彼は悪魔を封じ込めた剣を持ち欧州中を巡った。一つの街に三ヶ月と滞在することは無かったという徹底ぶりである。現代はノマドという人たちがパソコンを共に世界を旅している。
うちは田舎だったから、郵便局にハガキを買いにいくのも「旅だったよ」 ‐リリー・フランキー‐
子供が感じるドキドキ感が鮮やかに表現されている。幼い頃、世界は謎と不思議に満ちていた。母が読む絵本、図鑑、動物園や水族館、デパートや遊園地、キャンプ場すべてが未知なる世界だ。毎日がUSSエンタープライズ号の旅のようだった。
子供の世界は成長するにつれて小さくなっていく。思春期を迎えると興味は自分の内面に移り、外部への好奇心は減っていく。だが子供心はヘルペスの菌のように心の中に潜むのである。水疱瘡の細菌は病気が治っても、神経の奥深くに隠れていて、免疫が弱ったときピリピリとした痛みをもたらすヘルペスすなわち帯状疱疹になって現れる。
子供心も心の奥深く眠っていて心が弱ったときいろんな症状になって現れる。旅の欲求またその一つだ。仕事に疲れたとき、辛い経験をしたとき、友人との何気ない会話、生活が変わったとき思いがけずに湧いてくる。旅はその時から始じまる。
身近な外国 東洋のフォルモサ台湾へいこう
初めての一人旅は台湾だった、羽田から松山空港へ、松山空港は中山駅まで10分くらいの便利な場所にある。パイナップルケーキ(鳳梨酥)の有名店「微熱山丘」もその近くにある。空港から微熱山丘に歩いて向かったが道に迷ってしまう。小さな公園にいた女性に道を聞くのだが上手く伝わらない。
しつこく聞いていると、いかつい男性にスマホを取り上げられてしまった。女性につきまとう不埒なやつと思われたのか。どうなるのだろうと驚いていると、彼はgoogleナビをセットしてくれた。その道は驚くほど簡単だった、それがわからないのが旅なのである。
サニーヒルズ パイナップルケーキ 5個入 お彼岸 敬老の日 ギフト待つが祭り、旅立ちまでを楽しもう
「待つが祭り」という諺がある。祭りは始まるとすぐ終わってしまう、祭りの日を待つ間がいちばん楽しく本当の祭りはそれを待つ心の中にある。旅も出発すればすぐに帰りの日がやって来る。祭りと同じように旅の準備や旅先を想像する時期が楽しい。コロナは妄想を鞄に詰め込む長い期間だった。
旅はよく人生に例えられる。楽しみや困難が繰り返されるからだ。旅が終われば次の日がやってくる、でも人生の終わりは死である、その先に何があるか分からない。旅の終わりの先にあるのは次の旅である。
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