旅 萩原朔太郎 海風のやうに吹いてくる気持ち 

2024年8月22日

旅行の実の楽しさは、旅に中にもなく後にもない。ただ旅にでようと思った時の、海風のやうに吹いてくる気持ちにある。旅行は一つの熱病である。恋や結婚と同じやうに、出発の前に荷造りされている、人生の妄想に満ちた鞄である。                    

‐萩原朔太郎‐

「海風のやうに吹いてくる気持ち」、詩人萩原朔太郎は旅に出たい気持ちをこう表現した。流石に大詩人、言葉でだけで海風を感じる。コロナが収束して、多くの人の心に海風が吹いているに違いない。この素晴らしい言葉は、林望先生の著書「定年後の作法 ちくま新書」にある。この風は、年齢や性別に関係なく働き盛りの青年の心にも定年後の老いた気持ちにも吹いてくる。

定年後の作法 (ちくま新書)

旅は熱病である

コロナは世界の国の扉を閉ざした。人々は旅行ができない不満を募らせた。どのような時でも旅は人を誘う。西行法師や松尾芭蕉は老いてから旅に出た。「願はくは花の下にて春しなむそのきさらぎの頃」と西行法師は詠んだ。「古人も多く旅に死せるあり」芭蕉は旅先の死を覚悟した。旅とは別れでもあった。

種田山頭火や若山牧水も旅空の下に暮らした。中世ヨーロッパの錬金術師パラケルススも旅の人だった。彼は悪魔を封じ込めた剣を持ち欧州中を巡った。一つの街に三ヶ月と滞在することは無かったという。現代にはノマドという人たちがいる。パソコンをともに世界を旅している。

うちは田舎だったから、郵便局にハガキを買いにいくのも「旅だったよ」 ‐リリー・フランキー‐

子供の頃に感じたドキドキ感が鮮やかに表現されている。幼い頃世界は謎と不思議に満ちていた。母が読む絵本、図鑑、動物園や水族館、デパートや遊園地、キャンプ場すべてが未知なる世界だった。毎日がUSSエンタープライズ号の旅のようだった。

子供の未知の世界は成長するにつれて小さくなっていく。思春期になると、興味は内面に移り外部への好奇心減っていく。子供心はヘルペスの菌のように心の中に潜む。ヘルペスは水疱瘡の細菌が引き起こす厄介な病気だ。細菌は水疱瘡が治っても身体の奥深く神経に隠れ、身体が弱ったときピリピリとした痛みをもたらす帯状疱疹になって皮膚に現れる。

心の奥深く眠る子供心も、心が弱ったときいろんな症状になって現れる。旅の欲求またその一つだ。仕事に疲れたとき、辛い経験にあったとき、友人との何気ない会話、生活が変った、思いがけず湧いてくる。旅はその時から始じまっている。

身近な外国 東洋のフォルモサ台湾へいこう

初めての一人旅は台湾だった、羽田から松山空港へ、松山空港は中山駅まで10分くらいの便利な場所にある。パイナップルケーキ(鳳梨酥)の有名店「微熱山丘」もその近くにある。ホテルオークラの鳳梨酥が一番と言われるが微熱山丘も美味しい。「CHIMEI」というブランドも捨てがたい。

サニーヒルズ パイナップルケーキ 5個入 お彼岸 敬老の日 ギフト

空港から微熱山丘に歩いて行こうと考えて向かったが、道に迷ってしまった。小さな公園にいた女性に道を聞くが上手く伝わらない。しつこく聞いているうちに、いかつい男性がやって来てスマホを取り上げられてしまった。女性につきまとう不埒なやつと思われたのか。驚いているとgoogleナビをセットしてくれた。驚くほど簡単な道がわからない、それが旅なのである。

待つが祭り、旅立ちまでを楽しもう

「待つが祭り」諺がある。祭りは始まるとすぐ終わってしまう、祭りの日を待つ間がいちばん楽しく、本当の祭りは待つ心の中にある。旅も出発すればすぐに帰りの日がやって来る。旅の準備や旅先を想像するのが楽しい。コロナによって遠くなった世界がまた近くなった。コロナはみんなの旅への想いを深めた。妄想を鞄に詰め込む長い期間だった。

旅はよく人生に例えられる。楽しみや困難が繰り返されるからだ。旅の終わりは次の旅の始まりだ、でも人生の終わりは死である、その先に何があるか分からない。それなのに例えられるのは何だかの感じがする。旅の終わりの先には次の旅があるのは間違いない。時代は始まっている。

Posted by 街の樹