フィリピン旅行記 イントラムロス幻想 サン・アグスチン教会

2023年2月22日

マニラと聞けば、「危険な街」と脳内変換され、注釈に「行ってはいけない」が付いた。怖がりのくせに独り歩きが好きなので避けるべき街にしていた。そのマニラに知人に誘われて行くことになった、目的は夜の散策だそうである、これは危ないかも。

マニラは怖い街ではなかった。

マニラの夜の繁華街では、日本人は手足がついた財布のようなものだ、油断をするとあっという間にホールドアップに会い身ぐるみ剝がされる、そんなイメージが強く不安になる。お金はどこに持つ、パスポートはどこに隠す、カードはどうする、独り歩きは無理かもしれない、初めてのお使いならぬ海外旅行状態になってしまう。

ニノイ・アキノ国際空港に着いてタクシーでホテルへと向かい街にはいると、大きな建物の入口にショットガンを持って立つ警備員が見える。銃に入っているのは実弾だろうかとぼんやり見ていると、人波に青いシャツに拳銃を持った人がいる。

運転手が、ドゥテルテ大統領の(悪名高き?)麻薬対策チームだと教えてくれる。ブルーのTシャツ、腰には45口径(だと思う)を装着して、怖そうだがちょっとかっこいい。拳銃は大きくてさすがに迫力がある。射殺許可を持っているらしく、まさにダーティ・ハリーである。それがチームでいるのだから凄い。

ホテルは、初めての海外旅行気分なので奮発してダイヤモンドホテルを予約した。タクシーは、車寄せに入る前に止められてミラーで車の下の爆発物をチェックされる、その後玄関で手荷物検査(警備犬もいる)を受けて、金属探知のゲートを通ってやっとロビーに入れた。

警備の厳しさから想像すると街は危険がいっぱいかもしれない、と身構えて外出したが拍子抜けだった。心配は杞憂だった、天は落ちてこず、街は日本人のお独りさま風情の男性でいっぱいだった。バッドタイム、バットプレースのルールを守れば大丈夫のようだ。ただ歩く財布は当たっていて散財してしまった。

マニラ湾の朝

ダイアモンドホテルは、マニラ湾に面している。早朝の海を窓から眺めていると、大きな道路の向こう遊歩道があり多くの人が歩いている。気持ち良さそうなので行ってみる。なかなか青信号にならない横断歩道を渡ると、地元の人がのんびり散歩している。

遊歩道に観光客相手でない地元の人向けの売店がある。歩道の片側は背の高い椰子の木が並び、反対側にマニラ湾が広がっている。空気は湿気をおびているが、朝が早いので暑くなくて気持ちが良い。観光地も良いけれど、地元の生活の場所も良いものだ。

海に数艘の船が浮かびただ眺めるだけの贅沢な時間が過ぎる。ここはいい場所である。いつまでも居たい気持ちになる。

サン・アグスチン教会のサント・ニーニョに感動する

観光地として名高いサン・アグスチン協会に向かう。教会は、マニラのカップルが結婚式をあげたいナンバー1だそうだ。世界遺産の教会は、石造りのバロック建築で堂々と立っている。古さと大きさに驚かされる。

教会は、二度の火事を経て1607年に石造りに再建された。17世紀、当時の人たちは、そびえ立つ教会をどのように見ていたのだろうか。1610年に、日本のキリシタン大名高山右近が、マニラに追放されている。右近たちは、国を失くして長い航海の果に港にたどり着いた。教会をみたとき、彼らは何を思ったのだろうか。

教会は、高い天井の聖堂とステンドグラスが印象的である。教壇が見える二階のテラスに行くことができる。おりしも洗礼式が行われていた。おごそかなな雰囲気は300年前と同じなのだろう。

さきに進むと、墓石を並べた部屋がある。聖職者の墓と思うが、(間違っているかもしれないが)日本軍によって殺害された人の墓石もあるそうだ。戦争の傷跡の深さを思い出す。

教会に付属して博物館に入る。入館料は200ペソ(日本円で50円くらい)で、京都の清水寺の拝観料400円と比べると随分安く感じる。展示されているのは、過去の書籍や聖職者の衣装、最後の晩餐の絵画と12個のパンである。歴史を感じさせるものが多い。

印象に残るのは、正装した少年セント・ニーニョの絵だった。ちょっと異様さ感じさせるが、少年は幼きキリストらしい。初めての布教がセブ島で行われて以来、ずっと信仰されているそうだ。セント・ニーニョの信仰に、フィリピン人のアイデンティティーを感じる。(写真があれば良かったのだが)

回廊で想像に浸る

長い回廊を歩き、建物の壁に飾られている絵画を眺めていると奇妙な感覚に襲われる。この場所は、三世紀以上まえからたくさんの人たちが行き来きしたところだ。

布教のために海を越えた修道士、教会を建てたマニラの人たち、日本やスペイン、インドの商人や役人たち、多くのキリスト教徒が、祈りのために教会を訪れた。

高山右近と家臣も来たはずである。十字架に祈る家臣たち、そのなかには少女もいただろう、美しい横顔、心に浮かぶのは信仰の地を得た喜びか、それとも望郷の思いか・・・妄想が広がる。

初代の教会は。中国の海賊と倭寇に襲われ炎上した、石造りに作り直される教会、スペインの植民地政策、アメリカの統治、そして太平洋戦争・・・歴史が脳裏を巡る。過去の人々が、回廊を幻のように通り過ぎていく、そのようなことを思わさせる教会だった。

キリスト教徒でなくても、ここが信仰の場であり続けているとわかる。信仰と歴史の重さに、少々凹みながら外にでると、南国の太陽が容赦なく照りつける。通りからはフィリピンのおばさんの陽気な声がする。来て良かった、街の騒音と強い日差しの下で思った。

次は、サンティアゴ要塞へ行こう。どのような歴史が見られるか楽しみである。

旅 フィリピン マニラ イントラムロス幻想 サンチャゴ要塞編に続く。

Posted by 街の樹