旅 フィリピン  イントラムロス幻想 サンチャゴ要塞

2023年1月20日

サン・アウグスティン教会から出ると南国の強い日差しが肌に突き刺さる。その感覚が、積み重ねられた歴史の重みから開放してくれるようで心地よい。明るい太陽の下では陰気になれないな、そんなことを考えながら歩いているといつの間にかサンチャゴ要塞の前に着いていた。

憩いの公園になったサンチャゴ要塞

イントラムロスは、16世紀にスペインがフィリピン統治のために建てたマニラで最も古い城壁都市である。スペイン語で「壁の内側」を意味し、当時はスペイン人とその混血であるメスティーソたちのみが住んでいた。

要塞はイントラムロスの先端にありパシック川に面している。全体が公園にされて街の人たちの憩いの場になっている。広い石畳を抜けると要塞の門が見えてくる。門の前はパシック川の水を引いた堀になっていた。門はヨーロッパ建築にアジアの風味が加わり、施された彫刻は歴史を感じさせる。これを作ったスペイン人たちは、遠く故郷を離れたマニラで何を思っていたのだろう。

建物に残る太平洋戦争の傷跡

要塞のなかに銃撃の跡が残る廃墟が残されている。サンチャゴ要塞は太平洋戦争の激戦地だった。戦争の記憶を忘れないように日本軍が銃撃して破壊した建物が当時のままにされている。

日本が占領した1942年から1944年までの間に、戦闘による死者は日本軍26万人、米軍は1万人だった。フィリピン人は日本軍の巻き添えになって100万人が亡くなった。日本軍がアジアの最大防衛拠点として頑強な抵抗を続けたために米軍は無差別爆撃を行わねばならなくなった。それに多くの人たちが巻き込まれたのだ。戦艦武蔵もレイテ湾で沈んでいる。

日本軍が来なければ戦闘はなかったのだから、現地の人たちにとってはとばっちりでしかない。米国はフィリピンの独立を既に約束していたので開放の大義はなかった。その歴史をフィリピンの人たち許してくれている。寛容さに感謝しながら城壁の上を歩いて行く。輝く太陽のもと、赤い花が咲く人気のない城壁を一人歩いていくと時間が止まったように感じる。

17世紀のグローバル都市マニラ

城壁からパシック川の対岸を眺めると現代の街並みが広がっている。足をとめ、川の流れを見ながら過去に思いを馳せる。このようなのんびり感は忙しいツアーでは味わえない。

1571年、スペインはマニラを首都と宣言する。その3年後、中国の林鳳の大海賊団がイントロムロスを襲う。海賊の主力は日本人を大将とした1500人の倭寇だった。当時の倭寇は、日本人に中国人、朝鮮人を混じえた集団だったが、そのなかでも日本人倭寇は死より潔さを重んじたことから、外国人の目には死を恐れない凶猛な戦士と写った。そんな倭寇の大群に対峙するスペイン軍はわずか200人だった。

戦場に、スペイン語、タガログ語、中国語、日本語の怒号が飛び交い、マスケット銃の銃声や大砲の音が鳴り響いた。街は燃え上がり、炎を背景に男たちは戦った。木造のサンチャゴ要塞は粉砕され、サン・アグスチン教会は燃え上がり炎のなかに崩れ落ちた。それは、恐ろしくも美しい光景だったろう。

倭寇の将軍は戦巧者ではなかったようだ。やがて船の能力と大砲の火力に勝るスペイン軍が、中国と倭寇の連合軍を押し返す。林鳳はイントラムロスの占領を諦めた。かろうじて街は守られた。これを機会に砦は堅固な石作りに再建され、以降300年以上に渡りイントラムロス防御の拠点となり、オランダ、イギリス、アメリカと戦う。

マニラは、スペイン来航以前から明と貿易が盛んだった。スペイン船が来るようになると、港に日本やアジア、ヨーロッパの大型商船が行き交ったことだろう。

大型船に、小舟に果物を積んだ綺麗なフィリピンの娘が売り込みにやってくる。「それ、買った」という日本人船員が呼びかける、それを聞いた中国人のおばさんが「なんで、私から買わないのさ」と怒ると「決まってるだろ」とスペイン人が冷やかし、色んな国の船員がどっと笑う・・・そんな光景があったかもしれない。多くの言語が飛び交い活気に満ちていた。

言葉や服装、髪型は商売に関係なく自由に行われた。そこへ国が出てくるとややこしい。もし江戸幕府が鎖国をしていなければ、東南アジアはどうなっていただろうか。アジア各地の日本人街は大きくなり、経済的な結びつきが強くなっただろう、日本の国力を背景に、アジア各国は富を蓄えもっと早く独立できたかもしれない。

そうすれば太平洋戦争とは別の歴史があったかもしれない。要塞は「歴史にたらはないよ」とただ静かだった。

海洋民族 日本とフィリピン

フィリピンは多くの島からなる海洋国家である。人々は島から島へと自由に海を渡って暮らしていた。日本人も同じように海を渡っていた。スペイン人がマニラにやってきたとき、少ないけれど日本人が既に住んでいた。

室町時代から倭寇や商人としてマニラを訪れていた。ルソン助左衛門や高山右近、秀吉の命を受けた原田喜右衛門が使節として来ている。マニラからは修道士たちが長崎にやってきた。南シナ海は海を棲家にする人たちの自由な海だった。イントラムロスはそんな歴史を思い出さしてくれ場所である。

サンチャゴ要塞は、厳しい歴史遺跡が残っているが、大航海時代のダイナミズムを感じることができる所だった。綺麗な観光名所も良いけれど、歴史を感じる名所も良いものである。

大航海時代の歴史やおせいさんを愛したフィリピンの英雄リサールを知ることができる場所、機会があればぜひ行って見て頂きたい。隣接する売店もお土産が揃って楽しい。

Posted by 街の樹