とかくこの世は生きづらい

2024年8月22日

とかくこの世は生きづらい、と夏目漱石は言った。コロナが収束しても世界は息苦しくて、漱石が嘆いた時代が懐かしい。世界の賢者はコロナ以前の社会はもう戻らないと言う。格差は大きくなり社会の分断が進む。バーチャルやリモート、ロボットの技術開発が進み、非接触がよいとされ、人の肌に触れ合いが無くなっていく。誠に生き難い世がやってきた。

知に働けば角が立つ。情に掉させば。意地を通さば窮屈だ。とかくこの世は生きづらい。                                   

夏目 漱石

技術は生きづらさを加速する

「2025年を制覇する破壊的企業 SB新書」に近未来の働き方がある。IT技術が進化して、予定管理をしてくれるのはもちろん、会議や面談まで全て自宅で済ませられる。ワイワイと集まる会議や交通機関を使った移動は無くなる。効率的だが、楽しい働き方なのか。家に籠りきりで、無駄も無ければ握手もしないなんて。

非接触化や省人化は心地良い社会につながるのか。人は、社会性が強く身体が触れ合うことによって安心を得るようになっている。オキシトシンは幸せを感じさせるホルモンだ。肉体が触れ合うと脳に分泌される。幸せになる。背中を撫でるとオキシトシンの分泌量が増え認知症さえ改善する。握手は相手と安心と信頼を共有する。触れ合いを減らす社会が人を幸せにするとは思えない。

人類の歴史にペストやコレラ、スペイン風邪など多くのパンデミックが刻まれている。人は、最良の対策が人同志の接触を無くすことであると知っていても感染が収束すると街に戻ってきた。人は集まりたいのだ。超未来に人類が宇宙空間に暮らすなら非接触技術は必要だろうが、地球に住んでいる限り人は接触を求め続けるだろう。

仏教は、人の根本を眼、耳、鼻、舌、身(皮膚)、意(精神)の六根としている。今の技術は眼と耳の感覚を共有できるが、鼻、舌、身(皮膚)、意(精神)は難しい。人は六根が揃って一人前なのだ。

人生を良くするもの

人は、コロナの間、不自由な生活を強いられた。医学の発達によって大規模な感染症の流行はないと思っているときにロナはやってきた。何かが忘れた頃にやってくる、人の世は何かと生き辛くなっている。いつの世もそれなりに生き辛いが、そんな世を良くする物もある。宗教や哲学、本、旅、食事である。それらは、人生に生きる意味を与えたり癒したりしてきた。そのなかでも本は、宗教や哲学、旅や世界のことを伝える重要なツールだった。今もそれは変わらない。

古代でもプラトンやヘロトドスは旅をした。中世は三蔵法師や西行法師の旅が有名である。彼らの旅は旅行記になって出版され、多くの人たちがその本を読んだ。ジパング伝説は多くの人に影響を与えた。コロナは旅を制限したが、旅の本は多くありそれを読むのは自由だった。旅に出られる日を思いながら読むの良いものだ。禅に遊戯三昧という言葉がある。良い時も悪い時も楽しもうということだ。どんなときでも愉しみはある。

人は、科学技術は発達させて、非接触の社会をつくり、いつも他人と繋がるSNSを生み出した。医学は老いや死を無くそうとしている。新しい世界は人を幸せにするのだろうか。新しいものは分からないけれど、過去から人生をより良くしてきたものは分かる。思いつくのは、本、旅、哲学、禅、食事である。そんなものを探して語りたい。とかく棲みにくい世を少しでも良くするものを見つけたい。

最初に紹介したい本

最初のお勧めは「新しい世界 世界の賢人16人が語る未来、クーリエ・ジャポン編 講談社現代新書」である。「ホモサピエンス全史」のユバル・ノア・ハラリ、「銃・病原菌・鉄」のジャレット・ダイアモンド、「ブラックスワン」のニコラス・タレブ、ごぞんじ、マイケル・サンデル、ピケティ、若き哲学者マルクス・ガブリエルが専門分野からポストコロナを語っている。

フランスの人口学者エマニュエル・トッドは乳幼児の死亡率からソ連の崩壊を予言した学者である。彼の言葉は印象に残る。ポストコロナはどのような社会になるのか、私達はどのように行動すべきかを教えてくれる。