とかくこの世は生きづらい

2025年3月18日

夏目漱石の言葉である。世の中コロナが収束してもなぜか息苦しい。それを生み出すのは技術の発達ではないだろうか。たとえば非寛容なSNSである。不満と批判が溢れているが、いくらポストしても心は晴れない。パソコンもスマートフォンも無かった漱石の時代が懐かしい。生き辛さはあったが寛容もあった。そんな社会に戻りたいが、世界の賢者たちはコロナ以前の社会には戻らないと言う。益々非寛容になり、格差と分断が進み、バーチャルやリモート、ロボットは肌の触れ合いを無くす、なんとも生き難い世になりそうだ。

知に働けば角が立つ。情に掉させば。意地を通さば窮屈だ。とかくこの世は生きづらい。                                   

夏目 漱石

最新技術は生きづらさを加速する

「2025年を制覇する破壊的企業 SB新書」に近未来の働き方のモデルが描かれている。AIや通信技術の進化によって会議や面談は全て自宅で済ませられ、ワイワイと集まる会議や交通機関を使った移動は必要無くなる。たいへん効率的だがそんな働き方は楽しそうに思えない。家に籠りきりで無駄話もなければ握手もしない仕事に満足できるのだろうか。

人は社会性が強い生き物である。身体が触れ合うことで安心や快感を感じるようにできている。非接触の社会は心地よく暮らせない。人の脳は肉体が触れ合うとオキシトシンという幸福感をもたらすホルモンを分泌する。オキシトシンは背中を撫でられても分泌され認知症をも改善する。触れ合いの無い社会では幸せに暮らせないのである。

だから人は集まる。人類の歴史にコロナやペスト、コレラ、スペイン風邪などのパンデミックが刻まれている。感染症の対策は人同志の接触を無くすことが最良と知っても、病気が収束すると街に戻ってくる。人は人である限り集まり肉体の接触を求める。仏教は人の根本を、眼、耳、鼻、舌、身(皮膚)、意(精神)の六根としている。最新技術は眼と耳の感覚の共有はできるが、鼻、舌、身(皮膚)、意(精神)はできない。六根が揃って人だからバーチャルやリモートの世界で人は不完全な存在なのである。

人生を良くするもの

誰もが現代医学のもとで過去のような世界的なパンデミックは起こらないと思っていた。そんなときコロナはやってきた。災害は忘れたときにやってくる、人の世は生き辛くできているのだ。それはどの時代も同じだが社会を癒やす物も常にある。宗教や哲学、旅、本である。宗教や哲学は人に生きる意味を与える、旅は好奇心を満たし新たな発見をもたらす、本はそれらの情報を伝える重要なツールだ。

人は好奇心から旅をする。古代人も旅をした。プラトンやヘロトドスは辺境の地まで足を延ばした。三蔵法師や中国からインドに向い、イブン・バットゥータは欧州から中東の旅をした。ともに中世の名高い旅行者である。彼らの旅は旅行記になり人たちに読まれた。マルコポーロはイタリアから中国に行き、彼のジパング伝説は新大陸発見につながる。

幸いにして、今の世界は本を読むのは自由だ。コロナであっても本は読める。禅に遊戯三昧がある。良い時も悪い時も楽しもうという言葉である。どのような時でも場所でも愉しみはある。旅に出られなくても本のなかに旅はある。

科学者は非接触の技術を開発しようとする。他人といつでも話せるSNSを生み出した。医者は老いや死を無くそうとする。そんな技術の先の世界で幸せに生きられるのだろうか。未来に生まれる物は分からないが、過去から人の社会を良くしてきた物は分かる。とかく棲みにくい世である、少しでも良くする物を見つけたい。

最初に紹介したい本

コロナはもう忘れられたが多くの教訓を生んでいる。「新しい世界 世界の賢人16人が語る未来、クーリエ・ジャポン編 講談社現代新書」は世界の賢者がポストコロナを予測している。「ホモサピエンス全史」のユバル・ノア・ハラリ、「銃・病原菌・鉄」のジャレット・ダイアモンド、「ブラックスワン」のニコラス・タレブ、ごぞんじ、マイケル・サンデル、ピケティ、若き哲学者マルクス・ガブリエルが専門分野からポストコロナすなわち今を語っている。世界の叡智に触れる一冊。