とかくこの世は生きづらい

2024年11月13日

知に働けば角が立つ。情に掉させば。意地を通さば窮屈だ。とかくこの世は生きづらい。                                   

夏目 漱石

「とかくこの世は生きづらい」は夏目漱石の言葉である。コロナが収束しても世の中はなぜか息苦しく漱石が嘆いた時代が懐かしい。世界の賢者と言われる人達は人の社会はコロナ以前に戻らないと言う。格差や分断は更に進み、バーチャルやリモート、ロボットの技術開発は人肌の触れ合いを無くしていく。ポリコレは厳しくなりおちおちものも言えなくなりそうだ。誠に生き難い世になってきたものだ。

技術は生きづらさを加速する

「2025年を制覇する破壊的企業 SB新書」に近未来の働き方のモデルがある。AIや通信技術が進化して、予定管理はもちろん会議や面談まで全て自宅で済ませられる。ワイワイと集まる会議や公共交通機関を使った移動は必要が無くなる。その働き方はたしかに効率的だが楽しいのだろうか。家に籠りきりで無駄話も無ければ握手もしないなんて。

非接触や省人の技術は心地良い社会をつくるのだろうか。人は社会性が強い生き物だ、身体が触れ合うことで安心や快感を感じるようにできている。脳は、肉体が触れ合うと幸せを感じさせるホルモン、オキシトシンを分泌する。オキシトシンは人を幸せにする。背中を撫でるだけでもそれは分泌され認知症をも改善する。握手は相手と安心と信頼を共有する手段である。触れ合いが無い社会で人が暮らせるとは思えない。

ペストやコレラ、スペイン風邪、人類の歴史に多くのパンデミックが刻まれている。人は、感染症の最良の対策が人の接触を無くすことと知っても、病気が収束すると街に戻ってきた。人は集まりたいのだ。人類が宇宙空間に暮らすなら非接触は仕方ないが、地球に住んでいる限り肉体の接触を求め続けるだろう。

仏教は、人の根本は、眼、耳、鼻、舌、身(皮膚)、意(精神)の六根としている。今の技術は眼と耳の感覚は共有できるが、鼻、舌、身(皮膚)、意(精神)はできない。人は六根が揃って一人前なのである。

人生を良くするもの

人はコロナの間、不自由な生活を強いられた。大規模な感染症の流行は、医学の発達によってもうないと思っていた。そんなときにコロナはやってきた。忘れた頃に何かがやってくる、世は何かと生き辛い。どの時代も生き辛かったがそんな世を良くした物がある。宗教や哲学、本、旅、食事は生きる意味を与え心を癒してきた。特に本は今も、それらを伝える重要なツールである。

旅は人の好奇心のなせる業だ。古代人も現代人も人は旅をする。プラトンやヘロトドスは古代の辺境まで足を延ばした。三蔵法師やイブン・バットゥータは中世の名高い旅行者である。彼らの旅は旅行記になって多くの人たちに読まれた。マルコポーロのジパング伝説は欧州に影響を与えて新大陸発見につながった。

コロナが旅を抑制しても本を読むのは自由だった。禅に遊戯三昧という言葉がある。良い時も悪い時も楽しむという意味である。どんなときでも愉しみはある。旅に出られない日でも本のなかの旅はできるのだ。

科学者は技術を発達させて人と人の接触の少ない社会をめざしている。いつでも他人と話せるSNSも生み出した。医者は老いや死を無くそうとしている。人は、そんな技術の先にある世界で幸せに生きられるのだろうか。未来にやってく物は分からない。だが過去から人の生活をより良くしてきた物は分かる。本、旅、哲学、禅、食事である。とかく棲みにくい世を、少しでも良くするものを見つけたい。

最初に紹介したい本

最初は「新しい世界 世界の賢人16人が語る未来、クーリエ・ジャポン編 講談社現代新書」である。「ホモサピエンス全史」のユバル・ノア・ハラリ、「銃・病原菌・鉄」のジャレット・ダイアモンド、「ブラックスワン」のニコラス・タレブ、ごぞんじ、マイケル・サンデル、ピケティ、若き哲学者マルクス・ガブリエルが専門分野からポストコロナ、すなわち今を語っているを語っている。面白い一冊。