日本人の考え方 「おかげさま」と「ぼちぼち」

2024年12月9日

「お仕事の調子はどうでっか」「お陰様で、ぼちぼちですわ」商都と言われる大阪の商人の会話です。意味はなんとなく分かりますが、よく考えてみると分かり難い会話です。まず「ぼちぼち」が分かり難い。「お蔭様」って誰のこと。

大阪商人の会話

「子供さん、どうしたはります」「お蔭さんでぼちぼちやってますわ」こんな会話も普通です。「ぼちぼち出発の時間でっせ 」「そうでっか、ぼちぼちいきまひょか」もあります。

まず「ぼちぼち」とは何ぞやです。「ぼちぼち」は関西でよく使われる言葉で大きく二つの意味があります。「ぼちぼち始めまひょか」と言えば「そろそろ始めましょうか」になります。「ぼちぼち行まひょか」は「のんびり行きましょうか」と「そろそろ行きましょうか」のどちらの意味もあります。その言葉を使ったときの雰囲気によって違います。

もう一つは「ぼちぼちですわ」のような使い方です。この場合「まぁまぁである」とか「悪くない」になります。「ぼちぼち」がどうして「まぁまぁ」になるのか。ぼちぼち(ゆっくり)歩いていっても大丈夫なくらい余裕があるからきたのでしょうか。

「ぼちぼち」に語源は無いそうです。江戸時代の中期からなんとなく使われ出したらしいですが、音の響きでなんとなく意味がわかりますね。「それが分かるのは関西人だけです」「えらいすみまへん」

謎の言葉 ぼちぼち

大阪人は、商売がとても上手くいっているときも謙遜して「ぼちぼち」と言ったり、あまり上手くいっていないときも隠そうとして「ぼちぼち」を使います。どちらかの意味かを理解するには、相手の顔色を見て判断するしかありません。どちらにしても、相手は詳しく説明するが面倒だと思っていますが、強い拒否はしたくないので「ぼちぼち」とあやふやな表現を使っています。だからそれを聞いた人は詳しく内容を追求してはいけません。

「まぁ、ぼちぼちですわ」との返事だったら「それは良ろしな」と返答して次の話題に移るのが良いのです。「まぁ、ぼちぼちですわ」「ぼちぼち言うても、どれくらいでっか」とやってはいけないのです。「なんで、あんたにそれを言わんとあかんのや」と気まずくなる場合があるので要注意です。「ぼちぼち」は挨拶みたいなものです。英語の「I’m fine」に近いかもしれません。

お陰様は仏教の言葉

それでは次の「おかげさま」の説明にぼちぼちいきましょうか。「おかげさま」は、人の名前ではなく光が作る影でもありません。日本人が感謝の心を表す言葉でビジネス会話にもよく登場します。「この度はありがとうございました。おかげさまでプロジェクトは順調に進んでおります」「おかげさまで、契約がとれました」というように使います。

あなたのおかげは、あなたの協力や支援によって仕事が成功したという感謝の意味になります。このビジネスの場合は感謝の対象がはっきりしていますが、日常会話は対象がはっきりしないことが多くあります。「子供さん、どうしたはるの」「おかげさんで元気にやってます」「体調はどうや」「おかげさんで、良いです」このときは質問した人に感謝しているのではありません。

それでは誰に感謝しているのでしょう。それは仏様なのです。仏様のご加護で子供が元気に暮らせている。仏様のおかげで自分は元気でいられるとの感謝です。殆どの人は信仰の言葉と意識せず慣用句として使っていますが、もともとは仏教の言葉です。ではどうして「ありがとう」でなく「おかげ」というのか。

仏様の智慧と慈悲の陰

「おかげ」を漢字で書くと「お蔭」になります。仏様の知恵と慈悲は人々が幸せになるように大樹のごとくこの世を覆い、人はその陰の下に暮らしています。人々はその陰と作ってくれる仏様に感謝して「おかげ」といいます。そこから他人から受ける恩恵や力添えへの感謝に使うようになりました。

人は一人で生きていけません。家族や社会、自然、自然界の生き物などあらゆるものに助けられています。日本人は信仰を持たないとよく言われますが、無意識のうちに信仰を持っているのです。最近はネットやSNSのせいで不満ばかりをいう人が増えましたが、いろんなものに感謝して生きるのが本来の日本人の姿です。それを象徴する言葉が「お陰様」です。ただ「ぼちぼち」は大阪ではよく使われますが、東京では通じないかもしれません。