「武士道とは死ぬことと見つけたり」刺激的な言葉ですね。似た言葉にヨーロッパの「メメント・モリ」があります。これは人は死を意識すれば今を大切に生きられるという内省的な言葉です。これに対して「武士道とは」は、武士は忠義のために死なねばならないという武士への要求です。
武士は侍(さむらい)とも言われます。日本における戦闘の専門家でありそれを職業とする家系の人たちです。武士は平安時代に現れ明治時代に身分制度が廃止されるまで存在しました。携帯に夢中になる若者たち、マクドナルドで笑う女子高校生、笑顔をふりまく店員、居酒屋で盛り上がるおじさん、今の街で見かけるのは温厚そうな人達ばかりです。その中には過激な武士の末裔が存在します。
けっこう戦う日本人
日本の街では強そうな人を滅多にみませんが、砂の惑星の先住民フレーメンが皇帝親衛隊サウダルカーと同レベルの戦闘力を持っていたように、日本人はその外観から想像できない戦闘民族なのです。彼らは死ぬことを厭わず戦うことで知られていました。13世紀には世界帝国モンゴルを撃退しました。15世紀に内戦が始まり100年に渡って争い戦力を高めます。日本を統一した豊臣秀吉はその戦力を使って欧州列強の植民地化を防ぎました。
19世紀に明治維新によって徳川幕府が倒れ近代国家になりました。その後は、当時の大国清やロシアと戦い勝利し、第一次大戦にも参戦し列強国になりました。次の太平洋戦争で米国に徹底的にやっつけられますが、苛烈に戦い悪名高いカミカゼ攻撃を行いました。
映画インディペデンスデイやザ・コアにあるように、個人が命を捨て仲間を救う事はありますが、組織だって命を捨てる戦いをするのは日本人だけです。17世紀の初頭、日本の覇権をかけた決戦が、徳川家康の東軍と石田三成の西軍の間で行われました。関ヶ原の戦いです。薩摩藩は西軍に属します。戦いは東軍が勝利し、薩摩軍は東軍の大軍勢のなかに取り残されてしまいます。
窮地にたった薩摩の武士たちは壮絶な撤退戦「捨て奸(がまり)」を実行します。それはどのような戦術だったか。戦術と呼べるものではありませんでした。主君を逃がすためにみんなが死ぬ戦い方でした。その場所に小部隊を残し、その部隊は全員が死ぬまで戦い敵軍を足止めします。
鉄砲の命中率を上げるため座禅を組んで狙撃し、銃弾が尽きたら敵に切り込んで時間を稼ぎます。小隊が全滅すると、また新しい小部隊が残り同じことを繰り返します。
「今度はわいが行きもうそう」
「徳川にひと泡ふかしもんそ」
「殿のことはまかすっ」
武士たちは主君への忠義のために平然と死を受け入れました。
葉隠 生きて恥を晒すより、死んで名誉を守ることを選べ
日頃は「和をもって貴し」を守る日本人が何故こんなに勇猛に戦うのでしょうか。答えは日本人独特の死生観にあります。それを理解する手助けが「葉隠」にあります。「葉隠」は江戸時代の中期に、肥前国佐賀鍋島藩の武士、山本常朝が武士の心得を口述し田代陣基が筆録したものです。「武士道とは死ぬことと見つけたり」の書き出しで始まります。
常朝が生きた時代は平和が長く続き、武士は戦闘要員から官僚になり、考え方も儒教を基礎にした穏やかなものになっていました。
「そうではない、本来の武士道はそのようなものではないのだ」
常朝はその風潮をと嘆きました。ただ「葉隠」の存在を知る人は限られていました。常朝が自分の言葉が世間に広がることを嫌がったからです。「葉隠」の存在は知られていませんでしたが、彼の精神は多くの武士や庶民が共有していたようです。明治時代なって葉隠れが発表されると一躍注目を浴びました。
山本常朝は言います。
武士道とは死ぬことだと気付いた。いつ死んでも良いように生きねばならない。武士の家臣は忠義のためにはいつでも死ぬ覚悟を持つべきだ。人生には必ず生と死の二者択一を迫られる時がある。そのときは迷わず死ぬ方を選べ。細かい事は気にせず腹をくくって進めばよい。思惑が外れ手柄を立てずに死ぬこともあろうが、それを犬死と考えるのは今風の気取った武士道にすぎない。
人は二者択一をするとき、いつも正しいほうを選ぶとは限らない。私も人も生きるほうが好きだ。二者択一が生か死かであれば、何かしら理屈をつけて好きな生のほうを選ぶだろう。だが、判断を間違い、なお生きることにしがみついていたら腰抜け扱いされる。ここが難しい。
一方、死んだとしたら、判断を間違えて無駄死になっても恥にはならない。武道の心構えはこれで十分である。保身か捨て身か、生か死かというときは捨て身や死を覚悟すべきだ。毎朝、毎夕、死を覚悟して、いつでも死ぬ準備、我が身を捨てる覚悟ができていれば、我が身大事の束縛から心が解放され自由になる。
心が自由になり仕事に取り組めば、生涯落ち度なく役目を果たすことができる。死を覚悟するのは、実は自分自身を生かすことでもある。
恥を恐れる文化
簡単にいうと、以下のようになります。
忠義のために死ぬ覚悟を持て。
生死の選択が必要なときは死を選べ。
生に執着して恥をかくな。
犬死にと言われれても死ねば恥にならない。
死を受け入れたとき心は色んな束縛から解放される。
死を覚悟することによって生きることができる。
重要なのは「死の覚悟」と「恥をかくなかれ」です。日本人にとって世間に恥を晒すことは最も軽蔑される行為です。武士は恥より死を選びます。恥をかくより切腹を選ぶのです。農民も江戸時代になって禁止されるまで切腹をしました。命惜しむな名をこそ惜しめと死を選ぶのが日本人の意識です。
関ヶ原の戦いから300年後、欧米の開国要求に端を発し、明治維新という内戦が勃発します。武士は朝廷軍と幕府軍に分かれて戦います。常朝が気取った武士道と揶揄した幕府の武士たちはどのように戦ったのでしょうか。新選組の近藤勇や土方歳三、長岡藩の河合継之助、会津藩の白虎隊や江戸の彰義隊に参加した少年たちまでが忠義のために命を散らします。「武士道とは死ぬことと見つけたり」を実践したのです。
明治時代移行は、忠義を捧げる相手は国や家族に変わりました。そうなっても、生に執着して恥をかくより潔く死を選ぶという葉隠れの精神は変わらず多くの人たちが国に殉じたのです。
現代日本人の覚悟
日本の漫画や映画に、少数の仲間が大人数の敵に戦いを挑むシーンがよく有ります。たった一人で100人の敵へ切り込んでも勝てるわけがありません。分かっていても忠義のために切り込むのが武士でした。「捨て奸(がまり)」や「神風」が典型です。この意識は西欧の合理主義や中国の個人主義では理解し難しいかもしれません。
日本人は短期間に一斉に散る桜を愛します。花鳥風月、春夏秋冬、移ろいのなかに美を求めます。潔さや儚さを愛します。恥より潔く散るのが美なのです。現代になって武士は居なくなりました。しかし「武士道とは死ぬことと見つけたり」の精神は遺伝子に組み込まれています。いざとなれば日本人は手強い武士に戻るでしょう。
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