母の日 花を贈るのは贈らないより数倍良い。それが母の好みの花でなくても。

2026年3月4日

もうすぐ桜の季節がやってくる。桜の花は日本中をピンクに染め上げる。美しいな、と花に酔っていると花は散り新緑になる。爽やかな風が新緑を揺らす頃、母の日はやってくる。まだ先だと油断しているもうその日である。結局、何もしないで終わってしまったと後悔する。慌ただしい時期だけどたまには母へ感謝の気持ちを贈りたい。

やっぱり定番 いろんな色が増えました

目が見えなくてもいいのだけれど、一度だけ目が見えたら母の顔をみたい

母へのせつない想いが溢れる美しい言葉だ。盲目のピアニスト辻井伸行さんの言葉である。声は聞こえるが顔は見えない。自分の母はどんな顔をしているのだろう。母を思う心は全ての子供に共通する。そんな大切な母なのに、いるのが当たり前なってつい忘れてしまう。

そんな男でも母の日の声を聞くと何かをしたいと思う。今年は会えないかもしれないので花を贈ろう。いつも会っているけど特別の日だから花を贈ろうと思う。でも花を贈りたいが、どこに頼めば良いかわらない。毎年カーネーションを贈っているけど今年は違う花を贈りたい。

どのような花が良いだろう、悩んでいるうちに忙しくなり忘れてしまう。気がつけばもう間に合わない。大抵の男はそんなことを繰り返す。「いいんだよ。気を使わなくても」母はどこまでも優しい。だからこそ今年は贈ろう。

母の日の由来

母の日は米国のバージニア州から始まった。南北戦争のさなか、敵味方関係なく負傷兵の衛生状態を改善しようと活動した一人の女性がいた。アン・ジャービスさんである。彼女が亡くなった後、彼女の娘のアンナ・ジャービスさんは母の功績を偲ぶ会を開催したいと考えた。彼女の願いは、1907年5月12日、母が日曜学校の教師をしていた教会でかなった。

アンナ・ジャービスは母が好きだった白いカーネーションを集まった人に配った。多くの人たちが彼女の母を思う気持ちに共感し5月12日を母の日として祝うようなった。1914年に、5月の第2日曜日が母の日と定められて米国の正式な記念日となった。女性たちの優しさが政府を動かしたのである。

アイルランドとイギリスには17世紀からマザリングサンディがあった。当時子供たちは幼くして働きに出た。その子供たちが母に教会で会える日だ。オーストラリアの母の日は、シャトル・ヘイリンさんが、老人ホームで過ごす寂しい「忘れられた母達」を癒そうとクリサンセマム(菊)を贈ったことに始まる。

日本でもかつて薮入という習慣があった。旧暦1月15日(小正月)と旧暦7月15日(盆)は奉公に出た子供や嫁いだ娘が実家に帰れた。母に甘えられる数少ない日だった。母に会いたい子供の気持ちは洋の東西を問わない。日本の母の日は1949年に米国に倣って始まった。母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを贈った。

淡き花 紫陽花

母が好きでない花を贈っても、贈らないよりは数倍良い

カーネーションを贈っておけば無難だけれど、他にも綺麗な花がいっぱいあるから別の花を選びたい。だけど、どの花を選らんだらよいかわからない。そんなときは母が好きだった花を思い出してみよう。幼い頃いっしょに眺めた花。母が育てていた花。母が撮った花の写真。テーブルに置かれていた花。ヒントは記憶のなかにある。面倒で照れくさいが年に1回のことだから一生懸命思い出そう。母の好きな花を思い出したら楽しい思い出をメッセージを添えるのも良い。花を育てるのが好きな母には鉢植えも良いだろう。思い出をたどる時間は悪くないはずだ。

母と言えばサトウハチローの詩が美しい。彼の詩には紫陽花(あじさい)がよく出てくる。その詩を知る人にとっては母のイメージが強い。花言葉は「移り気」「浮気」「無常」である。こんなのはお贈れない。だがそこは良くしたもの、ピンクの紫陽花の花言葉は「元気な女性」だ。これなら大丈夫、実際ピンクの紫陽花は人気がある。

気をつけるのは「嫉妬」や「孤独」は避けること。花言葉は良く出来ていてみんなが好きな花には良い意味がある。ああこれは駄目だと諦めずに調べてみよう。

子供が口にしないことでも母親は理解している

考えてもどうしても母の好きな花が思いだせない、決まらない、考えるのが面倒臭くなった。その時は唯我独尊で花を選ぼう。自分の好きな花を贈ればよい。自分の遺伝子の半分は母だから好みが似ている可能性も半分ある。潜在意識に子供時代の記憶が眠っている。それが無意識に母の気に入る花を選ぶことに期待する。孫が選んだと言えばどんな母も文句は言わない。要はどんな花でも贈らないよりは数倍よいのである。

「子供が口にしないことでも母親は理解している」ユダヤの諺である。母はなぜその花を選んだかをわかってくれる。照れくさいので文句は言うかもしれないが、どんな花を貰っても嬉しいのだ。たとえ野に咲く一本の花でも嬉しい。それでも決まらないなら花は諦めてお菓子や果物にしよう。一緒に食べればさらに喜ばれる。