母の日に読みたい、母を想う詩人サトウハチロー
今年の桜は開花が遅い、それでも咲いたかと思うとすぐに新緑の季節がやってくる。五月は母の日の月である。先年、世界中の人たちがウクライナの母の涙を見た。母たちはロシアの侵攻によって瓦礫になった故郷を捨て、幼い子供の手を引いて隣国に逃げてきた。安全な場所に着いたことに安堵して涙を流す。その姿が世界中に放映された。
世界で最も美しいと言われる国の母親たちである。彼女たちが家族や故郷を思って流す涙は人々の胸を打った。涙に濡れる横顔は映画や小説に描かれる母の姿そのものである。その戦争は終わらず、更にイスラエルやパレスチナでも悲劇が起こった。母たちが悲しみに暮れる世界は間違っているだろう。
母親の涙
平和な国の母はやかましい。夫や子供にしょっちゅう文句を言っている。「どうして歯磨きをちゃんとしないの」「あなたも何か言ってよ」「またぁ、人の話を聞いていない」「どうするのよ」・・・世界は私の望むとおりになるべし、のごとくの剣幕である。
「聞いてはいるけど返事をしにくいこともあるだろう」「どうするのと言うだけじゃなく自分も考えてくれよ」と思っても賢明な夫は口にださない。勝てないのを知っているからだ。夫は母が子供の危機に身を挺するのを知っている。
男は偉そうにいっても女がいないと生まれてこない。「女をば法の御蔵と 云うぞ 、実に釈迦も達磨もひょいひょいと生む」一休さんの言葉である。キリスト教でも同じだ。イエス様はマリア様の処女懐胎で産まれたから男は全く必要ない。ロバート・フルガムの「マリアの父親」にそのくだりが面白く書かれている。秀逸なのでぜひ読んで頂きたい。
母の日の由来 アン・ジャービスとアンナ・ジャービス
さて母の日である。母の日はなぜ五月の第二日曜日なのだろう。調べると一人の女性の存在があった。母の日は米国のバージニア州に始まる。南北戦争の時、敵味方を問わず負傷兵の衛生状態を改善しようしたアン・ジャービスという女性がいた。敵味方を問わずというのが素晴らしい。
ジャービスの亡き後、娘であるアンナ・ジャービス(少しややこしい)は母の功績を想い記念会を開催したいと考えた。彼女の望みは母が日曜学校の教師をしていた教会で叶う。その日は1907年5月12日の日曜日だった。アンナは記念会で母が好きだった白いカーネーションを配った。
アンナの母を思う気持ちに多くの人が共感し、翌年の1908年5月10日の日曜日を母の日として祝った。母の日は1914年に5月の第2日曜日が正式な記念日として定められた。母を想う一人の女性が政府を動かしたのである。
日本では米国に習って1949年から始まった。母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを贈った。
母を想う詩人 サトウハチロー
どのような人の心にも優しい母の思い出がある。日本にも母の愛と思い出を求め続けた詩人がいた。サトウハチローである。詩人の外観はいかついが詩は繊細でせつない。
貧しければ貧しいなりに
小鳥を飼い 金魚鉢を置き
小窓に草のみどりを絡ませる
それをわが子といっしょにながめるために
ただそれだけのために
サトウハチロー 詩集 おかあさん<セレクト版> 日本図書センター
母と小さな子供が窓から外を見ている、二人の後ろ姿が目に浮かぶ。子供は無心に外を眺め、母は子供の眺めるものを見ている。そこにあるのは母の無償の愛と子供の信頼だけ、完全に純粋な世界である。
サトウハチローの詩を読むと子供のころを思い出す、自分にそんな時があったのだと不思議な気分になる。幼い頃は母が世界の全てだが、成長するにつれて偉そうになり、ついには母の世話が大変だと嘆くようになる。そうなっても母親は優しく子供を受け入れる。父親はそうはいかない、母と子の世界に入れない。ハチローの詩はそんな父親でも母と子の世界に連れ戻す。
サトウハチローと母の詩
サトウハチローは、いわゆる放蕩息子で母との関係は複雑だった。それゆえに普通の人が気づかない母への気持ちを詩にできた。子供はいつか母と子の二人の世界から出て行く。旅立ちはせつないけれど母と過ごした時間は思い出になる。
小林秀雄は芸術とセンチメンタリズムは違うと言う。ハチローの詩はセンチメンタリズムそのものだ。小林に言わせればハチローの詩は芸術ではない。庶民が知らない偉大な詩人と、多くの人が心を打たれる大衆詩人、どちらが真の芸術家なのか私はわからない。
人生からみれば母と子供の時間はとても短い。ハチローはその時間を持たなかった、だから思い出を求め続け自分の知らないふれあいを想像して詩を書いた。マザコン男のような姿に抵抗を感じるかもしれないが、母の日を機会に読んでみたらどうだろう。離れて暮らす母や妻の優しさを再発見できるはずだ。
サトウハチロー・いわさきちひろ詩画集 おかあさん [ サトウ ハチロー ] 価格:1,320円 |
サトウハチローを読んでみよう
サトウハチローの作品には、童謡の「小さな秋みつけた」やフォーククルセイダースの「悲しくてやりきれない」がある。どれも哀愁おびた良い詩だが、母の詩が一番心に染みる。いわさきちひろの絵と組み合わせた詩集は特に良い。爽やかな五月の風を感じながら、このような詩を読むのは悪くはない。
よく似た名前の漫画家にサトウサンペイがいる。彼の作品は疲れたサラリーマンを癒やしてくれる。
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