禅語は最高 「日々是好日」 心の持ち方しだいで好日になる

2025年9月25日

禅は難しい。禅語も難しい。だから勝手に解釈して使っている。それで良いと思っている。案外、慧能禅師も道元禅師も、一休さんも良寛さんも「それで良い、それで良いんじゃよ、Let it be じゃ」と言ってくれそうだ。今日は、「日日是好日」である。

高僧雲門が問う「これから先のことを一句言ってみよ」

唐代の高僧、雲門は雲門宗の開祖である。あるとき彼が弟子の修行僧たちに言った。

「これまでのことは訊かない。これから先のことを一句言ってみよ」

弟子たちは緊張した。誰も答えない。

雲門は自ら言った。「日日是好日」

僧たちはざわめいた。明日のことなど誰にもわからない。まして遠い未来はもっと分からない。それなのに、師匠は、この先の日はすべて好い日であると言い切る。どしてそう言えるのだろうか。

弟子たちは分からなかった。

弟子たちは思う。現実の社会は辛いことばかりだ。映画や小説の主人公はいつも苦しんでいる。キングダムの兵隊は蟻みたいに死んでいく。明日には自分に不幸が降りかかるかもしれない。大切な人との別れが来るかもしれない。それでも師匠は未来は好日ばかりだと言いきる。

雲門はざわめく弟子たちを見て微笑んでいる。彼の視点は弟子と違った。

世の中は晴れの日があれば雨の日もある。人は明日の天気が分かっても天気は変えられない。受け入れることしかできない。雲門は弟子に何事も受け入れる心の大切さを教えたのである。

日々是好日

雨より晴れが好きな人は多い。だがディーン神父のように雨が大好きな人もいる。ディーン神父は米国の推理小説の名探偵である。彼は、紫陽花を濡らす驟雨も葉が落ちた冬の林に降る雨も美しいと感じる。彼は雨だけでなく風の強い日も楽しむ。新緑の木々を揺らす風も、秋の草原を渡る風も気持ち良い。雨や風が楽しいと思えるのは心の持ち方次第だ。

人生も同じである。順風満帆のときはそれを楽しむ。反対に逆境になってもそれを受け入れる。明日、どのようなことがあってもあるがままに受け入れる。その覚悟を持つことが大切だ。覚悟を持てば明日は好日になる。未来を心配しすぎたり、過去をいつまでも後悔してはいけない。今を懸命に生きれば明日は好日になる。

禅は、楽しいことは素直に楽しみ、楽しみが無いなら無いことを楽しめという。逆境の日でも好日と思えば良い日にる。悲しみや苦しみをあるがままに受け入れる心を持てば毎日が好日になる。そんな事は無理だ、と誰もが思う。だが、そんな風に思うほうが心は軽くなる。