滋賀県坂本 あまり知られていない石垣の街

2026年3月5日

電車を降りて日吉大社の参道をものの5分も歩けば坂本の街につく。参道は広く、中央を車が走っているのを除けば石畳の歩道と石垣が続く風景はまるで中世日本である。道路と歩道の間に草地があって所々に古い石灯篭が立っている。桜やもみじの古木がそのうえに枝を広げている。その幹もまた苔に覆われている。春は桜が満開になり秋はもみじが真っ赤に色づくのだろう。

日本の中世の面影を残す街

坂本は石垣の街である。古くから近郊の穴太村に石垣作りを良くする人たちが住んでいたからだ。彼らは穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石垣建築の専門集団だった。穴太衆は自然の石を使って堅牢な石垣を築いた。その石垣は堅固なだけでなく美しかったので、「穴太衆積み(あのうしゅうずみ)」として評判になり数々の城郭や寺院に採用された。彼らは室町時代から戦国時代にかけて活躍した。織田信長の安土城も穴太衆積みである。

彼らは坂本の里坊の石垣も作った。彼らは信仰心を持ってそれを築いた。坂本は比叡山延暦寺の門前町である。高僧は年老いて修行が出来なくなると比叡山を降り坂本で庵を結んだ。それが里坊である。里坊は建屋と広い庭園が石垣や生垣に囲こまれている。里坊と里坊の間は石垣に挟まれた細い路地になっている。苔むした石垣の細い道を歩けば中世から時間が止まっている感覚になる。他の観光地に無い静寂がある。

世界的観光地の京都から坂本まで電車で16分

坂本は、比叡山を挟んで京都の東隣、びわ湖の南岸に位置した。東国や北陸から運ばれる物資を京都や大阪へ中継するのに絶好の港だった。街は比叡山延暦寺や日吉大社、西教寺の門前町としても栄える。商業が栄えたことから銅銭の鋳造が盛んになり、江戸時代になると京銭と呼ばれる流通銭の鋳造が行われた。オランダ商人は京銭を「サカモト」と名付けて中国や東南アジアに輸出した。

当時は大きな都市だったので、戦国時代には室町幕府12代将軍足利義晴・13代将軍足利義輝、細川晴元が、三好長慶に追われて都落ちしている。安土桃山時代に明智光秀が坂本城を築き城下町になった。城は光秀が山崎の戦いに敗れたあと重臣明智秀満が火を放った。そんな歴史のある街が観光客でごった返す京都から僅かの距離にある。

JR京都駅から坂本のある比叡山坂本駅まで、湖西線で所要時間は16分、運賃は320円だ。昔は比叡山の向こうの遠い街だった。それがわずか16分である。京阪電車なら、三条京阪から地下鉄東西線でびわ湖浜大津駅まで行き、京阪石山坂本線に乗り換えて坂本比叡山口駅まで行く。この路線は各駅停車だから35分くらいかかる。運賃も570円と高くなる。

この路線は、小さな電車が三井寺、穴太、松の馬場などの観光スポットに停まって行く。旅を楽しむならこちらが良いのである。JR大津京駅から京阪浜大津駅まで5分ほど歩き石山坂本線から乗ることもできる。坂本比叡山口駅から紫式部で有名な石山寺へも30分くらいで行ける。坂本観光のついでに紫式部に会いに行くのも一興だ。

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里坊の街並み 旧竹林院のインスタ映え

坂本には50余りの里坊がある。里坊は、周囲を穴太衆積みの石垣と塀や生垣に囲まれ道路に面して門を構える。その中に庭園と建物がある。庭園は広々として素晴らしい。里坊は高僧の住まいらしく止観院、恵光院、律院など思索敵的な名前がつけられている。その景観は、文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

そのなかの旧竹林院の庭園は最近インスタスポットとして人気だ。八王子山を借景にした広大な敷地に築山を築き大宮川の水を引き入れて曲水や滝が作られている。静かなたたずまいが心を癒してくれる。庭の緑が座卓に映り込み光景が映えるらしい。

西教寺と日吉大社、

その他にも見どころがたくさんある。全国3800社の「山王さん」の総本宮である日吉大社もその一つだ。境内は清流が流れ驚くほど静かで神秘的な雰囲気が漂っている。国宝の東本宮・西本宮の本殿や日本最古の石橋といわれる日吉三橋、猿が座る姿に似た猿石が見どころになる。

神社は平安京の表鬼門の位置に置かれ平安京の時代から京都の御所を守ってきた。比叡山延暦寺の護法神でもある。山王さんのお使いは猿である。猿は「魔が去る」「勝る」に通じる。御所の鬼門にも木彫りの猿がいる。境内はもみじの名所としても有名で秋はライトアップがされる。

西教寺は、聖徳太子により創建されたと伝えられる天台真盛宗の総本山である。慈恵大師良源上人が室町時代に荒廃していた寺を復興した。その後、真盛上人が堂塔と教法を再興して戒律・念仏の道場とする。本堂は総欅造りの荘厳なもので重要文化財の丈六の阿弥陀如来が安置されている。

客殿は、伏見桃山城の宮殿を移築した。多くの狩野派の絵、人物・花鳥襖絵が残されている。庭園は裏山の傾斜を巧みに利用した小堀遠州作の客殿庭園が有名だ。その他にも三つの庭園があり四季折々の自然を楽しめる。西教寺は明智光秀ゆかりの寺でもある。寺は信長の比叡山焼き討ちで焼失した。その復興に尽力したのが光秀であり、境内に光秀の妻熙子や一族の墓所がある。ここは山門から見る琵琶湖が美しい。

滋賀院門跡

滋賀院門跡は天海大僧正が京都北白川の法勝寺を移転したもので、江戸時代末まで皇族が天台座主を務めた高い格式を誇る。穴太衆積みの石垣に囲まれた広大な敷地には、江戸時代初期に狩野派によって障壁画が描かれた書院や小堀遠州作の庭園がある。庭園は石組みや植栽、滝や石橋が素晴らしい。

天海僧正は108歳まで生きたと言われる徳川家康の陰のアドバイザーである。江戸の霊的バリアーを設計したとも言われる。その正体は死んだはずの明智光秀という説がある。根拠は筆跡や僧正が桔梗の紋を使ったことだ。明智家の家紋は桔梗だった。天海僧正は、明智光秀ゆかり坂本を支援した、ひょっとしたら本当かもしれない。その他にも日吉東照宮、律院、慈眼堂などの名蹟がある。時間があればケーブルカーで比叡山山頂の延暦寺を訪ねたい。

京都の観光名所はどこも人が溢れている。そこに比べるとここは驚くほど静かである。雑踏はごめんだと思ったら坂本まで足を伸ばして静寂のなかに身を置くのはどうだろう。街は春の桜、夏の清流、秋の紅葉、冬の雪、季節ごとに表情を変える。中世の面影を残す街で半日を過ごすのは悪くない。お腹が減れば創業300年の蕎麦屋「鶴喜」が待っている。天ぷら蕎麦を食べれば完璧である。

Posted by City Tree