本 人生で必要な知恵は全て幼稚園の砂場で学んだ
「人生で必要な知恵は全て幼稚園の砂場で学んだ」を読み直したくて本棚を探したけれど見つからない。諦めて新しい本を書って読み始めると探していた古い本が出てきた。子供の頃、祖母から隠し神様がいると教えられた。隠し神様は物を大切にしないと隠してしまう。
探し物をいくら探しても見つからないときは、神様に謝り見つかるようお願いしなくてはいけない。この本の筆者フルガム氏に言わせれば、その前にすることがある。幼稚園で習った「使ったものは必ずもとに戻す」を守ればよいのだ。
人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ。
本書はロバート・フルガム氏のエッセイ集である。彼は年初に新年の信条(クレド)を書くのを習慣にしていた。ある年、それを書いているとうちに人生に必要な知恵の全ては幼稚園の信条にあるのに気づく。各国の政府が「散らかしたものをきちんと片づけたら」世界はどんなによくなることだろうというように。
人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればいいか、本当に知っていなくてはないことを、私は全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。
人生で必要な知恵は全て幼稚園の砂場で学んだ R・フルガム(著)池央耿(訳) 河出書房新社
フルガム氏は、大学の神学部を卒業後、バーテンダー(在学中)やカウボーイ、IBMのセールスマン、フォークシンガーと多くの職業を経験したが本業は牧師である。彼は教会の演説で幼稚園のクレドの話をした。ある上院議員がその言葉にたいへんに感銘を受けて全米に広めた。
その言葉は米国の役所や学校や企業に掲示されことになり、人気の広がりから「All I Really Need to Know I Learned in Kindergarten 」(原題に砂場は無い)として出版された。本はベストセラーになり今も多くの人に読まれている。
幼稚園の信条だけでなく、市井の人たちが経験する日々の出来事や庶民の持つ自由で誠実な心が描かれている。登場する人物は個性的でにやりと笑うユーモアを備えている。目の付け所、諧謔、皮肉を交えた語り口は絶品、読み終わると心地よい余韻が残る。
人は善良であり、それは日常に現れる
フルガム氏はいろんな場所で教えに出会う。インドの空港ではインド人に助けられ恩送りの心を教えられる、ベトナム難民の少年は、クリスマスの夜に真実の信仰を教える、神学部長の温情、耳の不自由な落葉かきの少年、我友ワシントン、私は人魚、マリアの父親など思わず笑ってしまい、その後にジンとくる。
ある秋の日フルガム氏の家のドアが激しく叩かれる。ドアを開けると少年が「落ち葉かきします」と書いた紙を持って立ってる。少年は耳が不自由だった。フルガム氏は落ち葉を残して置きたかったので躊躇ってしまう。少年との掛け合いが面白い。少年が帰ろうとする時ついに決心して頼んだ。少年の仕事ぶりは真摯である。少年は、落葉かきが終った後拾った種子を撒きながら帰っていった。フルガム氏は自然のために落ち葉を残したいと思っていた。彼と彼の行動に深い満足を得るのだった。
聖職者はかくあるべきという学部長も登場する。大学院時代、フルガム氏は生活に困ってバーテンダーになるが大学に知られると退学だと思い悩む。ついに退学を覚悟して学部長に告白した。学部長の回答は明確だった「良いことだ、キリストはいつも教会にいたわけではないのだよ」
舞台は世界各地で登場する人物も多彩である。聖母マリアの父親から、天使や人魚、サンタもハイホ・ラマの生まれ変わりまで出てくる。フルガム氏はその人たちの善き心を見逃さない。
人間関係は悩みの源泉、でも世の中は善意に満ちている
この世の悩みのほとんどは人間関係である。上司は意見を聞いてくれず部下は指示を守らない。あの人は挨拶をしてくれない。リモートワークのパソコンは固まってばかり、あれもこれもうまくいかない。どうしてこんなについてないのだろう。そんな気持ちになったら一休みしてフルガム氏の本を読と良いだろう。一杯のお酒があれば更に良い。ページをめくるごとに現れる善意に心がほぐれていく。
ビクトール・フランクル氏は、アウシュビッツから生還して書いた「夜と霧」で「希望を失ったものから亡くなった」と言っている。自分はツイてないとばかり考えていると人生は悪い方へ行ってしまう。フルガム氏の愉快な文章はそんな凝り固まった心をほぐし良き方に導いてくれる。是非読んでいただきたい一冊。
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