本  「禍いの科学」 正義が愚行に変わるとき

2024年2月17日

人類はこれまで無限と言っていいほどの発明をしてきた。そのなかに、たくさんの人を救うと期待され、社会は熱狂的に受け入れ、期待通りに人々を救ったように見えたが、やがて大きな禍いとなって返ってきた発明(主張もある)がある。

ポール・A・オフミットは、あることをきっかけに人類にとって禍いとなった発明を七つ選んだ。発明者は正義と信じていたが結果は大きな愚行だった。人は同じ間違いを何度も繰り返した。人はある一定の条件が揃えば信じたいことだけを信じてしまう、それが原因だった。

人類に禍いをもたらした七つの発明

米国最古の教育機関であるフィラデルフィア研究所は「世界を変えた101の発明」選んでいる。オフミットはそれに刺激されて「世界を悪い方向へ変えた101の発明」を選ぼうと思いついた。医師、科学者、人類学者、社会学者、心理学者、懐疑論者に依頼して選ばれた候補から最後に七つを選んだ。

選ばれたのは、アヘン(鎮痛剤)、マーガリン、化学肥料、優生学、ロボトミー手術、沈黙の春、ビタミン療法という皆がよく知っているものばかりだ。筆者は発明が招いた禍いを、発明者の生い立ちや発明当時の社会的背景、科学的な分析を通じて物語風に描く。物語には多くのエピソードと多彩な人物が登場する。ケネディ大統領の妹やヒトラーも登場する。ノーベル賞受賞者も含まれる。これらの発明はどうして禍いに変わったのだろうか。

禍いの科学 目次

第1章 神の薬 アヘン

第2章 マーガリンの大誤算

第3章 化学肥料から始まった悲劇

第4章 人権を蹂躙した優生学

第5章 心を壊すロボトミー手術

第6章 「沈黙の春」の功罪

第7章 ノーベル受賞者の蹉跌

第8章 過去に学ぶ教訓

禍いの科学 正義が愚行に変わるとき ポール・A・オフミット(著) 関根冬華(訳)大沢基保(日本語版監修)

アヘンは、紀元前6000年にシュメール人が発見し古代ギリシアでは薬として使われた。1990年代に、モルヒネ、ヘロイン、オキシコドンと進化して多くの鎮痛剤中毒者を生みしている。現代の米国の若者に限れば、交通事故よりドラッグの死者が多いのである。鎮痛剤として多くの人を助けるはずのオキシコドンは、中毒性のドラッグになってしまった。

マーガリンは、1901年に心臓病のリスクを下げる革命的食品として登場した。100年後、逆に心臓病のリスクを高める食品と分かる。米国の食事からマーガリンを取り除くことができれば、毎年25万人の関連死が減ると言われている。

化学肥料は1909年に発明された。発明者のドイツ人科学者はその功績によりノーベル賞を受賞した。化学肥料は70億人以上の食料を生み出したが、同時に限りない人口爆発を招き地球の存続を危うくしている。

1916年、ニューヨークの自然保護活動家は人は人種により優劣があるという論文を書いた。優生学の誕生である。米国社会は移民の増加に悩んでいた。社会は、論文を熱狂的に支持し、数万人の移民に強制不妊手術が行われた。欧州ではある青年が論文を牢獄のなかで熱心に読んでいた。後のヒトラーである。優生学はユダヤ人600万人虐殺の科学的根拠になった。

ロボトミー手術はポルトガルの神経科医によって発明された。それは精神病の画期的治療法となるはずだった。医師はノーベル賞を受賞する。だが手術は脳を傷つけるだけで、多くの被害者を生み出した。ケネディ大統領の妹もその一人だった。

レイチェル・カーソンの「沈黙の春」は、環境保護運動の草分けの本となった。彼女はDDTの有毒性を厳しく批判したが、実際は被害を示す科学的データは無かった。本を支持する社会の雰囲気に流され、無害であるというデータは無視され製造中止となる。その結果、マラリアによって数千万人の子供の命が失われたのである。

ライナス・ポーリングはノーベル化学賞と平和賞の二つを受賞した天才だった。彼は業績を背景に専門外のビタミンによる抗酸化治療を始めた。彼の治療法はガンと心臓病のリスクを高め、女性を男性化しただけだった。

5000万人の死を招いた「沈黙の春」

レイチェル・カーソンの「沈黙の春」は愚行の象徴である。彼女は有名なサイエンスライターであり環境保護運動家でもあった。環境保護の概念を作った功績は大きいが、人々を愚行に導いたことは知られるべきである。

沈黙の春(新潮文庫)

「沈黙の春」は、化学物質DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)が自然に与える被害に警鐘を鳴らした。ハクトウワシの減少は、被害の例として多く人の共感を集めた。ただ事実はたった一人のバードウォッチャーの感想にだった。

DDTが鳥や魚が殺している科学的データはなく、逆に病害虫を駆除して鳥の数を増していたのである。それにもかかわらず、ほとんどの人は本の影響から鳥の減少はDDTが原因と信じてしまった。

当時のアメリカには、環境保護の意識が高まり化学物質の安全性に対する不安が広がっていた。そんな雰囲気のなかで、既に有名なサイエンスライターだった彼女がDDTの有害性を指摘したので、メディアが注目し、ケネディ大統領をはじめとした著名人も彼女を支持した。世論はDDTの廃止を強く求めた。

DDTは、媒介する蚊を駆除することでマラリアの防疫に有効だった。アメリカにもマラリアはあったが、その頃DDTによって病気は根絶していたので国内のマラリアは考慮されなかった。製造メーカーは、代替品の利益率が高いのでDDTの誤った有害性ついて反論しなかった。環境保護局は無害を示す膨大なデータを持っていたが、社会の雰囲気に流され禁止を決定した。

その結果、アフリカの人たちを主とした5000万人がマラリアによって死亡した。多くは5歳以下の子供である。ジュラシック・パークで有名な作家、マイケル・クライトンは「DDTの禁止は最も恥ずべき出来事だった、私達は多くのことを知っていたのに、そんなことはお構いなしに世界中の人が死ぬにまかせたのだ」という。

時代背景、メディアの報道、著名人の支持、企業の利益追求から世論が作られると、科学的なデータは無視されるのである。

禍の科学の七つの教訓

オフミットは七つの事例から七つの教訓を見つけた。

1.データがすべて 。真実は多数の科学的データからしか得られない。

2.すべてのものには代償がある。抗生物質は多くの病気に有効だが 有用な菌も殺してしまう。代償の程度が問題。

3.時代の空気に流されるな。科学的データや代償の問題は時代の空気に流される。電子タバコ、遺伝子組換え植物、ビスフェノールAの有害性についての真実をどれくらいの人が知っている?

4.手っ取り早い解決法に気をつけろ。ロボトミー手術はてっとり早かった。

5.薬は量しだいで毒になる。ゼロトレランス(ゼロリスクの原則)は他の害を生む。

6.用心するにも用心が必要。予防原則が別の被害を生むことがある。韓国は、甲状腺ガンの予防として甲状腺の切除を行った。代償として皆にホルモン補充の治療が必要となった。

7.カーテンの後ろの小男に気をつけろ。オズの魔法使い効果を使い、根拠の乏しい医学的・科学的なアドバイスをする人が溢れている。

コロナ対策の禍いの罠

オフミットの七つの教訓を日本のコロナの対応に当てはめてみるとよく分かる。1.正確なデータは報道されない(わからない)2.感染症対策と経済回復の二元論の対立に陥っている。3.メディアが雰囲気を煽っている。4.PCR検査をすれば感染が抑えられるという誤解。5.ゼロ・コロナは経済的弊害を招く。6.用心してワクチン接種反対を煽る。7.カーテンでなくテレビの中の小人が好き勝手に話している。

技術は、七つの禍の時代から発展し人は多くの情報を共有できるようになった。真実や嘘などあらゆる情報を得ることができる。それでも、コロナのような異常な事態が起これば七つの教訓が指摘する失敗を犯した。人は自分の信じたいことしか信じない。人を操る技術も進んでいる。いくら情報があっても同じなのだ。人はこれからも禍いの科学の失敗をするだろう。それを防ぐには、より多くの人が「人はこのような失敗をする」と知ることだ。

ホモ・サピエンスの著者ユバル・ノア・ハラリは「情報を共有できる自由主義社会だけが、感染症や災害を克服できる」と言う。だが情報があっても受け取る側のリテラシーがなければ克服できない。リテラシーを鍛えるのに有効な一冊である。

日本人は雰囲気に流されやすい。メディアが作る雰囲気によって世論が形成される。コロナ感染症対策でも同じだった。雰囲気で決定すると禄なことにならない。「禍いの科学」を読むと良く分かる。

Posted by 街の樹