禅語は最高 日々是好日 好日は心の持ち方しだい
禅は難しい。禅語も難しい。だから勝手に解釈して使っている。それで良いと思っている。案外、慧能禅師も道元禅師も、一休さんも良寛さんも「それで良い、それで良いんじゃよ、Let it be じゃ」と言ってくれそうだ。今日は、「日日是好日」である。
高僧雲門が問う「これから先のことを一句言ってみよ」
唐代の高僧、雲門があるとき弟子の修行僧たちに言った。雲門は雲門宗の開祖である、弟子たちは緊張した。
「これまでのことは訊かない。これから先のことを一句言ってみよ」
誰も答えない。
雲門は自ら言った。「日日是好日」
僧たちはざわめいた。明日のことなど誰もわからない。まして遠い未来はもっと分からない。師匠の雲門はこの先の日はすべて好日であると言い切った。どしてそう言えるのだろうか。
どうして明日が好日と分かるのだろう。世の中は辛いことばかりだ。あした不幸が自分に降りかかるかもしれない。大切な人との別れが来るかもしれない。映画やアニメの主人公はいつも苦しんでいる。キングダムの兵隊は蟻みたいに死んでいく。それでも明日は好日だと言えるのだろうか。
雲門は弟子たちをみて静かに微笑んでいる。視点が違うのだ。人生には晴れの日あれば雨の日もある。人は明日の天気が分かっても天気は変えられない。どのような天気でも受け入れることしかできない。
日々是好日
雨より晴れが好きな人は多いが、それは気持ちの持ち方次第なのだ。ディーン神父のように雨が大好きな人もいる(ディーン神父は米国の推理小説の主人公)紫陽花の花を濡らす驟雨も、葉が落ちた冬の林に降る雨も美しい。新緑の木々を揺らす風や秋の草原を渡る風の音は良いものだ。晴天の日差しは気持ち良いけれど、雨も風も心の持ち方次第で楽しめる。
人生も同じだ。順風満帆のときは順風を楽しみ逆境のときは逆境を受け入れる。明日がどんな日でもあるがままに受け入れる。その覚悟を持つ。明日は好日と信じて今日を一生懸命行生きる。過去をいつまでも後悔したり、未来を心配しすぎて今を疎かにしてはいけない。明日の好日は今を懸命に生きることから始まる。
禅は、楽しいことはすなおに楽しみ、楽しみがなければ無いことを楽しめという。逆境の日でも好日と思えるようになれと教える。嬉びや悲しみ、苦しみを受け入れる心を持てば毎日が好日になる。そんな事は無理だと思うより、そうありたいと思うほうが心は軽くなる。
大丈夫! 雲の向こうは、いつも青空。 365日を「日々是好日」にする禅のこころ
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