禅語は最高 「一志不退」ひたすら求め続ける

禅は難しい。禅語も難しい。だから勝手に解釈して使っている。それで良いと思っている。案外、慧能禅師も道元禅師も、一休さんも良寛さんも「それで良い、それで良いんじゃよ、Let it be じゃ」と言ってくれそうだ。
今日は「一志不退」である。

ひたすら求めれば道は開ける
「禅の修行は只管打坐に尽きる」と道元禅師は言った。道元禅師は曹洞宗を開いた高僧である。悟りを開きたければ、ひたすらに座禅をするしかない。「誓願の一志不退ならば、わずかに三歳をふるに弁道現成するなり」と続けて言う。「悟りを開く」と誓いを立てひたすら修行をすれば、三年が過ぎる頃におのずから修行の方法が分かってくる。
誓いや志を立てたら、あれやこれやと方法に迷うよりひたすら座禅を続ける。けっして退かない気持ちが大切である。
Saku Yanagawaという日本人青年がいる。単身、米国に渡りスタンダップコメディアンになった。彼にとって外国語である英語を使っての漫談はさぞかし難しかっただろう。徳之島に宮出さんという人がいる。彼は13年間、日本の島でコーヒーを栽培をしている。まだ満足できるコーヒーはできていない。彼はそれでも諦めず栽培を続けている。
イギリスで有名になった「とにかく明るい安村さん」も諦めない人だ。英語では「とにかく」と略される。彼はパンツの芸を突きつめている。どうみても馬鹿な芸だが極めると本当の芸になった。
彼らは一志不退の人たちだ。やりたいことを始めたら決して退かない。一志不退の人たちは芸術や料理やスポーツの世界に多くいる。「好きこそものの上手なれ」諺とおり自分の好きなことにひたすら取り組む。

まず行動し三年続ける
残念ながら私には芸術や料理やスポーツの才能はない。私は何の才能もない凡人だ。とても彼らのようにできない。大抵の人は何かを始める前から諦めてしまう。できない理由を探して悩み。考えるだけで始めない。結局何もしないままに終わってしまう。そして後で後悔する、そんなことの繰り返しだ。
後から後悔するくらいなら、できない理由を考える前にと悩む前に始めてみればどうだろう。とにかく三年の間はそれを続けてみる。三年が長いなら一年でも良い。無心でひたすら頑張って続ける。そうすれば何かが見えてくる、と道元禅師はそう言っている。
誰でも、大きいか小さいかは別としてやりたいことがあるはずだ。まずそれを始める。達成の誓いを立て余計なことを考えない。やり続ける。それが一志不退の人である。一志不退、くじけそうになったらこの言葉を思い出そう。
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