Zen words is The best word  直心是道場

2024年3月10日

禅は難しいし禅語も難しい。だから勝手に解釈して勝手に良いと思っている。慧能禅師や道元禅師、一休さんや良寛さんも「それで良い、それで良いんじゃよ、Let it be じゃ」と言ってくれそうな気がする。

今日は「直心是道場」である。

直心是道場とは

その昔、インドに光厳童子という修行者がいた。光厳童子は毘耶離城に住んでいたが、城はなんとも騒がしく修行に集中できない。騒がしさに耐えかねた童子は静かな場所を求め城を出た、ちょうどそのとき一人の修行僧が城に向かって歩いてくる。修行僧はこの騒がしい城に何のためにやって来たのか。光厳童子は修行僧に声をかける。

「どちらから、こられたのですか」光厳童子は問う。

「道場からだよ」修行僧は答える。

光厳童子は静かな道場を探していたので更に問う。

「その道場はどこにあるのですか」

「直心是道場。わかりますかな」修行僧は答える。

光厳童子はハッと気づいた。自分には直心が足りなかった。

修行僧は高名な維摩居士だった。

直心とは何事にも素直に取り組む心をいう。維摩居士は道場は素直な心の中にあると説いた。直心があればどんな場所でも修行はできる。騒がしくて修行ができないというのは言い訳にすぎないのである。修行をする気持ちが本当にあれば城を出なくても良かったのだ。

維摩居士は、光厳童子の気持ちを見抜いて戒めた。光厳童子は忠告をすぐに理解した。修行は直心があればどんな場所でもできるのだ。

素直な心(直心)をつくす

光厳童は城が騒がしいことが不満だった。現代に生きる人間はたくさんの不満を抱えている。自分を取り巻く環境や置かれた地位に満足できないことがある。ここは自分のいる場所ではない。ここでは何もできない。どうしてこんなに思い通りにならないと悩む。しかし自分の思い通りになる場所は有るのだろうか。何処でもなにかしら不満は残る。完全に満足できる場所は残念ながら無いのである。

今いる場所で不満を感じるなら別の場所でも不満を感じるだろう。新しい場所に移っても、気持ちの持ち方が同じならまた不満は溜まる。不満が溜まるのは場所のせいでなく自分の心のあり方なのだ。光厳童子は、直心を持てばどのような場所も道場になると気づいた。

現代の人は毘耶離城でなく職場にいる。職場は不満がいっぱいだ。こんな職場ではやっていられない、逃げ出そう。そうしたら不満は無くなるだろうか。維摩居士がいたら「直心是道場」そんな職場を探すより、直心を持って職場を見よう。新しい職場に移る前に、直心をもって仕事に取り組んだか考えてみよう。新しい働き方を見つけられるはずだ。そうすれば成果は出る。

コロナは社会生活にいろんな制約を課した。外出ができない、マスクを着けないといけない、あれができないこれができないと不満がつのった。だが自分がコロナを収束させることはできない。どうにもならないことに不満を溜めてきた。

職場で同じような気持ちがたかまったとき、この言葉を思いだそう。どのような状況でも場所でも、直心を持てばできる事は多いのだ。

Posted by 街の樹