漫画 ドクターくまひげ 医者の熱さが伝わる昭和の劇画

今の社会に蔓延る煩わしいポリコレやハラスメントはまだなく、LGBTもない、ツイッターもない、スマホはおろか携帯も無く禁煙も言われない。だが男は男らしく女は女らしくオカマはオカマらしく生きていた昭和が舞台の劇画である。

人が人であった時代

時代はバブルを迎えようとしている、そんなとき一人の医者が新宿で診療所を開く。この劇画は医者と彼を取り巻く人達の物語であり、まさに浪花節の世界だが、市井の人たちを救おうとする医者の姿はとにかく泣かせる。

物語の狂言回しは都築三郎という若い医師である。彼は北海道の大学病院に勤め、大病院の令嬢との結婚話が進んでいる。ある日スナックで働く彼女から子供ができたと伝えられる。彼女は身を引くと言うが、動揺した三郎は街で酔いチンピラと喧嘩をして血を流して倒れる。そこにヒゲを生やした大男が現れ彼を治療する。

その男、国分徹郎は新宿に住む医者であり、かつて三郎が働く大病院で将来を嘱望された外科医だった。彼はラグビー部の同期で親友、同僚でもある向井が癌におかされているのを知り、二人が共に愛する女性医師、志保を彼に譲るため病院を去っていた。国分はその風貌からクマひげと呼ばれる、もちろん山本周五郎の赤ひげのオマージュだが、そのような医者だった。彼は親友を手術するために帰ってきた。

クマひげの咆哮

向井の癌は手術ではどうにもならないほど進行していた。打ち手のないままに向井に死が近づく、国分はそのとき向井をおぶって雪が降る街へ出ていく。止めようとする看護師には「うるせえ、くそババア、張ったおすぞ」である。国分は向井をスナックに連れていき酒を飲ませる。

居合わせた三郎がそれを止めようとすると、涙を流しながら「ひよっこがえらそうなことぬかすな」「死んでいく人間に医者が何をできるというんだ」「医者は人を生かす商売だと冗談じゃねぇ、世の中で一番死んでいく人間を見る商売なんだ、常に死を見なきゃいけねえんだ」

「死んじまった人間を見る坊主の方がずっと楽なんだ」「俺たちがやつらにやってやれるのは、人間として付き合ってやるしかないんだ」と叫ぶ。一つ一つの言葉が心に刺さる。国分は向井を背負い雪の街に去っていく。向井は「きれいだ、この町をまた見られるとは」との言葉を残し一週間後に亡くなる。

セリフだけでも泣かせるが絵がまた良い。原作は史村翔、作画はながやす巧、写実的な画風から涙を流し叫ぶ国分の熱い心が伝わってくる。三郎は国分に影響され、大病院の令嬢との結婚を断り、スナックの彼女と結婚して新宿の診療所で働く決心をする。ここから物語は始まる。

死を見続ける商売が医者だ

三郎は新宿の街に戸惑い、オカマにからかわれながら、診療所の一員として頑張っている。国分と特に仲の良い刑事田宮と、国分に恋心を抱く女子高校生の4人を中心に話は進む。彼らは決して真面目ではない。フェミニストが顔をしかめるようなことばかりやる。酒を飲み、女を口説き、煙草を吸い、女の子のお尻を触り、気に入らないやつは殴る。今なら企画が通らないだろう。

ただ国分も田宮も街に暮らす人たちを助けるときは全力を尽くす、やる時はやるのである。国分は患者のために全身全霊を傾ける、救えなかったときは苦しみ咆哮する。彼らはみな悲しい過去を持っている、田宮は婚約者を通り魔に殺害されその連れ子を育てている、命日に墓の前で人知れず涙を流すような男だ。

国分は向井と争った女性を幸せにできないと結ばれることに背を向ける。国分の気持ちを確かめに来た彼女には合わず、彼女が酔いつぶれたあとに現れよりそう。翌朝、彼女は沖縄に旅立っていく。その飛行機を見送る国分、その後ろ姿を見ながら田宮は呟く「なぁ三郎、大人ってつらいもんだな、だがそんな生き方は嫌いじゃない」昭和の男はやせ我慢なのである。

医者が主人公だから、クマひげこと国分は天才外科医である、その腕で多くの患者を救うが、ストーリーの中心は国分や田宮、三郎が接する患者や人達の人情話である。心温まる結末も多いが、物語の最初に国分が叫んだように死を見るドラマである。

診療所のビルのオーナー、街のチンピラ、息子の盲目の恋人を罵りながら最後は彼女に角膜を譲り死ぬ母親、暴走族の少女を助けようとして事故死する白バイ警官、三郎を一人たちさせるために国分が担当させた膵臓癌の少女、国分と同じアパートに住む絵本作家、多くの人が国分達に見守れながら死んでく。だが患者たちは国分や田宮の心と触れ合うことにより救われる。これら死の物語はとにかく泣ける。

ネット社会の清涼剤

登場する人達は決して豊かではないが一生懸命生きている。みんな善良なのである。フィリピンから出稼ぎに来ている女性は、一緒に来た恋人と共に懸命に働ている。お金がたまり帰国間近の夜、ヤクザの喧嘩に巻き込まれ刺されてしまう。クマひげはそれを助けるべくメスを取る。当時話題になったジャパユキさんにも優しい。

とにかく国分も田宮も熱いのである。医者が医者であること、刑事が刑事であることに躊躇がない。自分の思いに一直線に進む。その思いは読む人の心に直接伝わる。現代の若者は暑苦しいと笑うかもしれないが、この浪花節は心に響くのである。物語に蘇る昭和の人達は生き生きして今より幸せそうだ。

読んで涙を流してその後に力が湧いてくる。医者って素晴らしい、人って素晴らしいと思う。型破りな主人公たちを前にすると、XなどのSNSの熱量の少なさに気づく。この物語はネット社会に疲れた人の清涼剤になるだろう。

Posted by 街の樹