本 「SHOE DOG」靴を愛した男たちのナイキ創業の物語

2024年9月9日

フィル・ナイトとその仲間が、ナイキを創業して売上3兆8000億の世界的大企業に育あげる波乱万丈の物語である。ビジネスに携わる人なら誰でもドキドキしながら読める一冊。二つの日本企業がナイキの存続に重要な役割を果たしているのも興味深い。今のナイキは、オニツカタイガー(アシックス)と日商岩井(双日)がなければ存在しなかったのである。

会社を創業し成長させるには、社会性に貢献する事業であること、事業を続ける強い意志が必要になる。努力を続けた者だけに幸運がやってくる。ナイトが絶対絶命に陥ったとき、彼を助けたのは日商岩井のアイスマンと呼ばれる北米担当者だった。アイスマンはナイトの熱意と努力を知っていたのである。

ナイキの誕生、創業と発展は努力と幸運が必要

ナイトは大学時代に優秀な中距離ランナーだった。ランニングシューズの研究をしているうちに、日本のシューズを米国で販売することを思いつき、大学を卒業して出発した世界旅行の途中、まだ戦争の傷跡が残る日本に立ち寄る。そこで米軍の将校からオニツカタイガー(今のアシックス)の存在を教えてもらい神戸へ赴く。

彼は、オニツカタイガーに飛び込こみ、冷汗をかきながらの交渉ながらも契約に成功し代理店契約を結ぶ。まだ自分の会社を持っていない状況だった。オニツカの重役たちは暫く相談して受け入れた。

彼はオレゴンに戻り交渉中にとっさに思いついた名前のブルーリボン社を設立する。ナイキの始まりである。彼は会社の売上が伸びても内部留保やキャッシュフローは増やさない。利益はすべて仕入れにまわして、全力疾走のランナーのように事業を拡大する。当然ながら仕入れ先への支払資金の調達の日々がやってくる。

毎月、現金と小切手をかき集めてなんとか凌ぐという、薄氷を踏む連続だった。彼はいつも不渡りという怪物に追いかけられていた。怪物の手が届きそうなる一瞬、自慢の足でその手から逃れる。トムとジェリーのような追いかけっこの毎日だが、ナイトと仲間の靴への想いは尽きないのである。

ナイキを救った日商岩井のアイスマン

やがて、ナイトは製品開発に対するの意見の食い違いと自社ブランド設立の想いからオニツカと袂を分かった。仕入先を無くすという大きな危機を持ち前の行動力で突破する。日商岩井(今の双日)の支社をノンアポイントで訪問して支援を取り付けた。

日商岩井との契約後も拡大の経営方針は変わらない。資金繰りの苦労が続けるうち、経理担当のミスからついに不渡りという怪物に捕まってしまう。銀行は、ナイトに取引停止を通告し、そのうえにFBIに詐欺を訴える。絶体絶命のピンチだ。

万策尽きいたナイトは、日商岩井の経理責任者イトーに全てを打ち明ける決心をした。イトーは、アイスマンと呼ばれるほど厳格な男でナイトが最も苦手とする人物だった。イトーは、内部調査を行い担当者スメラギの不正を見つけてしまった。イトーは、ナイトがこれで全てが終わったと覚悟したとき静かに口を開いた。

「スメラギの不正は野心に免じて目をつぶります、銀行へ行きましょう」 アイスマン・イトーは銀行のやり方に怒っていた。そのやり取りが引用である。ナイトは銀行でのイトーに侍を見た。

イトーは「みなさん」と前置きした。「私の理解では、ブルーリボンとの取引を拒否するそうですが」 

ホランドはうなずいた。「そのとおりです。ミスターイトー」

「それならば、日商がブルーリボンの借金を返済します。全額」 

ホランドが目を凝らした。「全額・・・?」                                  

イトーは低く声にならない声で返事をした。私は、ホランドをにらみつけた。これが日本人だと言ってやりたかった。

(中略)  

イトーは椅子を回転させ、全員を氷点下のような冷ややかな目で見つめた。 

「もう一つ。お宅の銀行はサンフランシスコで、うちと取引しようと交渉しているそうですが」  

「そうです」ホランドは言った。

「ああ。それならこれ以上交渉しても時間の無駄でしょう

SHOE DOG 靴にすべてを。フィル・ナイト(著) 大田黒泰之(訳) 東洋経済新報社

その後に、イトーはナイキに権限以上の融資をしたとして会社からクビを言い渡される。上司の役員はクビを伝えた後に「よくやった」と付け加えた。(クビはその後撤回される)イトーが自分の決済限度を知らないはずはなく、知っていて決裁した。一人の会社員の度量がナイキを救った。彼の胆力がなければナイキは存在しなかったのだ。

創業ビジョンの重要性

ナイトは、危機を乗り越え社名をナイキに変更して事業を拡大していく。最大の危機となった米国連邦政府との裁判にも勝ち、マラソン、テニス、ゴルフ、バスケット界の有名スポーツ選手と契約していく。グローバル企業になるまでも苦労の連続で面白いが、社名がナイキに変わるまでのエピソードが秀逸である。

ナイトが引退して回顧禄を書こうとするところで伝記は終わる。ある晩、仲間やスポーツ選手、旅で訪ねた場所や日商岩井の人たち、亡くした息子を思い出して眠れなくってしまう。仕方がなく窓から見える月を眺めているうちに心が落ち着き回顧録を書こうと決める。

「SHOE DOG」は、ナイキを育てた仲間たち、家族、有名なスポーツ選手など多くの人物が登場する。どのエピソードにもランニングシューズやスポーツの想いが溢れている。ナイキが、アディダスやプーマを超える大企業になったのはナイキの人たちのスポーツへの想いが他社より強かったからだろう。

ナイトは日本を訪れると、日商岩井のハヤミ氏(社長)の熱海の別荘訪れた。

「せっかくの多くの機会に恵まれながら、その機会を掌握できるマネジャーがなかなか見つかりません。

外から、人材を募っていますが、我々の精神が独特なせいか、うまくいきません」 

ハヤミ氏はうなずいた。「あの竹が見えますか」と彼は聞いた。 

「はい」

「来年・・・来られた時は・・・1フィート(約30センチ)伸びていますよ」  

私はじっと見た。理解した。

同著 もし日商岩井がなかったらより

日本の一画でこんな会話が交わされていたとは驚きである。禅とビジネスは相性が良いようだ。スティーブ・ジョブズが禅に傾倒したのは有名だが、ナイトも同様に惹かれていたのである。世界的大企業のナイキの誕生にオニツカタイガー(アシックス)と日商岩井(双日)と禅が関わっていた。

そのような歴史から、ナイキのビーヴァートンの本社に日本庭園があり春には桜が満開になるそうである。日本人として誇らしい気持ちになる一冊。

Posted by 街の樹