本 「諸界志異」中国の怪異を描く上質な伝奇漫画
諸星大二郎の諸界志異の舞台は北宋末期である。北宋は960年に趙匡胤が建国し、1127年に金によって滅ばされるまで首都を開封において栄えた。現代に見られる中国文化の大部分は北宋時代に完成される。
水墨画は最盛期を迎え、詩は蘇軾や王安石などの高名な詩人が活躍した。印刷や羅針盤、火薬が実用化され、海外貿易が盛んになった。街には薬屋から居酒屋まで商店が立ち並び、高級料亭が殷賑を極めて妓女の嬌声が通りに響いていた。科挙の制度もこの時代に完成されている。
諸界志異の舞台 北宋という時代
北宋の北には遼があり、西に西夏があった、更に金が勃興して、常に外圧を受けていた。北宋は文治主義を国策として戦いを避け融和策をとった。遼には毎年絹20万匹や銀10万匹を贈り侵攻を防いでいた。その方針から軍人は冷遇されたのである。
八代皇帝徽宗が即位した頃、開封は、散るのを目前にした満開の桜のごとく爛熟を極めていた。徽宗皇帝は書画の天才であったが趣味にふけり、政治と軍事は全く無能で政治を顧みなかった。やがて徽宗皇帝は、道教に傾倒し怪しい道士林霊素を重用するようになった。宮廷の官僚は派閥争いに明け暮れ、国は大いに乱れ、遼や金との小競り合いにも敗け続ける。自堕落な政治に対する不満は社会に充満し水滸伝のモデルになった宋江の乱や方臘の乱が起こるのである。
前半(阿鬼編)は庶民の怪異譚 こちらが面白い
物語は首都開封の郊外、五行先生の屋敷から始まる。このころ士大夫は禅宗を信仰し庶民は浄土宗に帰依した。儒教は朱子学が完成していた。儒教はもともと「怪力乱心を語らず」で現実のみを対象としたが、朱子学はよりいっそう現実的だった。
そのため、道教が世の中の不思議、怪異や幽霊、来世や仙界を引き受けた。五行先生は道術の達人であり、街の人たちを怪異から救っていた。そんなある日、先生のもとに阿鬼がやってくる。阿鬼は幽霊や人に見えない存在が見える見鬼だった。
諸界志異の前半は、五行先生と幼少の阿鬼が怪異を解決する話と、聊斎志異や山海経をモチーフにした(二人は登場しない)不思議な話からなっている。自らの体内に入ることができる壺を手に入れた男が、恐妻から逃れて壺中で趣味に浸る「壺中天」、口うるさい役人が見たネズミの怪異は、他人の浮気を覗いて自らを慰める自分の姿だった「小人の怪」
三人の青年が生半可の方術で、女性の部屋に忍び込み笑いものになる「三呆誤計」、仙人の落とした三山図のかけらを見て楽しむ男の「三山図」など、仙人や方術、怪異に遭遇した人たちの姿が、中国らしいユーモラスを添えて描かれている。山海経に出てくる「山都」の話や、道教の呪術を扱った「巫蠱」「狗屠王」も味わい深い作品である。
余談であるが、夢枕獏は「毛家の怪」にある妻の妄執が生む怪異をテーマに、物凄く恐ろしい短編を仕上げて「闇狩師」に入れている。
諸星大二郎は、吉川英治と同じく中国文化の理解が深い
中国の怪談集「聊斎志異」にはオチがのない話が多くある。幽霊や妖怪は出現するだけで何もしない。何をしたいのか、なぜ現れたかわからない、結末もない。諸界志異に起承転結はあるが、聊斎志異の不可思議な感覚は残っている。中国の怪異には日本人には分かりにくい極端がある。徳や任侠も同じだ。
吉川英治訳の水滸伝は中国の徳や任侠が溢れているが、北川謙三の水滸伝にはそれがない。宋江の徳といい加減さ、花和尚魯智真の義侠心と乱暴狼藉、黒旋風李逵の純情と短気、武松の兄弟愛と暴力のような活き活きさがないのだ。北方健三の水滸伝はサラリーマンと官僚しかいない。中国の大きなスケールがない。諸星大二郎は吉川英治のように中国人を理解している、だから面白い。
阿鬼を主人公の話も面白い。阿鬼の肝を狙う方術士が殷に虐殺された幽霊たちに復讐される「鬼城」、お使い先で鬼女から少女を救った阿鬼が五行先生の払子と人参に助けられる「魔婦」、方術士に使われる幽霊の子供を眼光娘娘と一緒に助ける「眼光娘娘」。
阿鬼が、迷い込んしまったのは、飢饉に子供を食べた罪で目を失った村人が住む永遠に封印された村だった「籠中記」、虎に操られる幽霊を助ける「ちょう鬼」(水滸伝の虎退治の豪傑武将も登場)
阿鬼とタンポポの精と交流を描いた「花仙境」、阿鬼が半仙人費長道や眼光娘娘と、邪仙と戦う五行先生を助ける「天開眼」、その他「妖鯉」「連理樹」は五行先生の方術が冴えわたる。
諸界志異の伝奇物語としての面白さは前半部分にある。五行先生や阿鬼も日々の怪異と付き合いながら人生を送れると思っていただろうが時代は許してくれなかった。
後半(燕見鬼編)は、中国版インディ・ジョーンズである
諸界志異の後半は、ノストラダムスのような予言の書「推背図」の争奪戦にである。燕見鬼(成長した阿鬼)は鬼市で不思議な石に取りつかれた人を助けたり、石の中から出ようとする妖女を倒す日々を送っていた。
五行先生は、皇帝に招かれた宴の途中で林霊素の妖術を破り恨みをかう。同じころ道術師仇道人と破山剣の使い手十四娘は五行先生の留守中に推背図を狙い屋敷を襲う。五行先生と燕見鬼は彼らを退けるが、今度は林霊素が役人を使い推背図を奪おにやってくる。
五行先生は、本を道術によって人に変えて脱出させ、供につけた燕見鬼に本を江南の方先生に届けるように命じた。ここから燕見鬼の冒険活劇が始まる。盗賊の首領や仇道人と十四娘は燕見鬼を執拗に狙う。推背図を求める鬼、気弾を使う謎の人物、絽大公と娘小玉、鬼となった則天武后が入れ乱れて推背図を奪いあう。
燕見鬼は戦いのよって目に傷を追い絶体絶命の危機を迎える。そのとき眼光娘娘が彼の傷を癒やす。燕見鬼は秘密の全てが眠る万年楼へ向かう。推背図は何を予言しているのか、方先生とは何者なのか、地下の万年楼ですべて明らかになる。
多彩な登場人物、鬼、怪しい宗教、そしてカンフー映画のような活劇が続くのである。最後は、五行先生が北宋の命運をかけて敵と戦う。阿鬼の運命はいかに、宋はどうなるのか。
諸星大二郎は中国を舞台にした西遊妖猿伝や、日本が舞台にした妖怪ハンターや暗黒神話、海神記、コミカルな栞と紙魚子シリーズ、昭和を感じさせる寓話を描いている。(私は)諸界志異のような伝奇的な作品が好きである。
完結編は、ちょっと値段が高い
最近、ベルセルクやガラスの仮面(おそらく)のように未完で終わる作品があるなかで、諸界志異が完結したのはめでたい。しかし完結編を読もうとすると50ページのために430ページの本を買わないといけない。諸界志異を読む方は諸界志異(一)異界録から読み始めて、その後に完結編を買うのを決めるのが良いだろう。
コレクションにしたい人は買うしかないが・・・面白いのは間違いない一冊。
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