ベトナムから来たサンタクロース フルガム氏の物語
ハロウィンは日本にすっかり定着したようです。ハロウィンからクリスマスそして、そしてお正月までの間、街はイルミネーションに飾られ誰もが幸せそうです。なんでもお祭りにしてしまう日本人のいい加減さに呆れますが、楽しい時間が増えるのだから良いでしょう。
光が溢れるハロウィンからクリスマスまで
年末は、日暮れが早くなってきぜわしく、なぜか忙しい、天気は悪くなり冷たい雨は降るし、木枯らしが吹いて落ち葉が道に積もるります。やがて冬がやって来ます。そんな気が滅入る季節なのに、なぜか街は華やぐだけでなくそこかしこに善意が満ちてきます。通りに溢れるLEDの輝きの一つ一つに善意が宿っているようです。
日本人はどうしてこんなにイルミネーションが好きなのでしょう。光は街だけでなく田舎道にもクリスマスツリーや雪だるまになって突然現れます。街路樹や建物が輝き噴水や星の形が溢れます。神は「光あれ」と言われた、すると光があった。光は人を幸せにするのかもしれません。「光に惹かれるなら虫と同じだね」と子供に言われそうですが、バカラのシャンデリアやクリスマスツリーにたくさんの人が集まります。
イルミネーションに欠かせないのがLEDです。LEDが実用化されて電気代が下がり、環境に負荷をかけないことから光は一気に増えました。LEDは、ニック・ポロック氏が赤色、ジョン・クロフォード氏が緑色、赤崎勇氏・天野浩氏・中村修二氏が青色を発明しました。光のひとつひとつに善意が宿るなら、彼らは世界に善意を増やし続けています。
古代の光は火と一緒にありました。人間に火を渡したのはプロメテウスです。その罰ろして3万年間も山のてっぺんに縛りつけられ大鷲に肝臓を齧られるはめになりました。LEDを人に渡した科学者は大丈夫だろうかと心配になりますね。
クリスマスにやって来たベトナム少年
ドアを閉めた途端に、わたしは笑いと涙がこみあげて、どうにも抑えがきかなくなった・・・
中略
聖歌隊はどこかな?わたしの問に彼は答えた。「ぼくだよ」わたしは自分に向かってクリスマスはどこかなと尋ねた。「ぼくだよ」ホン・ドクの声が耳の底に谺した。クリスマスはわたしの心のなかのことである。わたしは天井を向いて目をつむり。勇を鼓して大声でクリスマスの歌を歌った。
人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ
この時期になると思い出すのが、ロバート・フルガム氏の「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」のクリスマスの章です。彼のどの話も心に沁みるのですが「ベトナムから来たサンタクロース」は特に残ります。
1979年の冬、クリスマスの数日前、フルガム氏は憂鬱なひと時を過ごしていました。天気は悪くバイオリズムは最低、ニュースも悪い話ばかりです。そんな日曜日の夕暮れ、ドアを叩く音が響きます。ドアを開けるとそこには一人の少年が立っていて「悪さかお菓子か」と言います。(少年は、勘違いしています)
少年はベトナム難民の子供でした。差し出した紙袋に1ドルを入れると、少年は10ドル分の笑顔で答えます。「クリスマスの歌を歌おうか」少年のつたない英語の歌にフルガム氏は涙ぐんでしまいます。
フルガム氏は牧師でありながらクリスマスに懐疑的です(このくだりが面白い)しかし少年ホン・ドクの純真さに本当のクリスマスを見出します。ホン・ドクは神が遣わしたのかはわからないけれど、この少年は信じられると感じます。自分の内なるクリスマスに気づくのでした。
軽妙な語り口のなかに、ホロリとする後味が残る大人の絵本という感じです。その他、冬物語、真夏のクリスマス、筋金入りの異教徒などどれも人の善さが伝わる話です。(フルガム氏のユーモアは読んでみないとわかりません)
フルガム氏の善意の見つけ方
フルカム氏が憂鬱になった日のように、コロナの時代は憂鬱に満ちています。テレビや新聞やネットに明るいニュースが少なくなっています。世の中に善意の話はたくさんありますが、あまり報道されません。
クリスマスが近づくある日の東京の山手線の出来事です。無表情にスマホを見る乗客、サラリーマン、出勤途中のお嬢さん、大学生。少し疲れた雰囲気が車内に漂っています。やがて電車は品川駅に着き、たくさんの乗客が降りてまた乗ってきます。そのなかにベビーカーを押す若いお母さんがいました。
混んだ電車にベビーカーで乗ることの賛否がネットの世界で戦わされていた頃です。わざわざ、そんな時間にの乗るなよ、大きなベビーカーは迷惑だ。みんなの嫌そうな顔が浮かびます。お母さんはベビーカーを乗せ難くそうにしています。
すると近くのむっつりしていた青年がスマホの反対の手を伸ばします。隣のおばさんと一緒に手を添えてベビーカーを一緒に持上げると誰かが席を空けています。周りの人たちは譲られた席まで道をサッとつくります。母親がお礼を言って座わるとベビーカーは母親の前にピタリと止まりました。その連携、まるでMLBの5−4−3のダブルプレーです。赤ちゃんが天使のようにスヤスヤとベビーカーで眠っていました。
フルガム氏なら、メリークリスマス天使がそこにいたというでしょうが、そんな自信はありません。ただ、そのとき電車の半分は善意に満ちていました。ネットの世界とは大違いです、クリスマスがなせる技だったのでしょうか。
不機嫌な電車のなかでもこんなことが起こりました。同じようなことは、たくさん起こっているはずです。フルガム氏と「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」はそんな善意の見つけ方を教えてくれます。
ハロウィンからクリスマス、そしてお正月、人の善意が増量される季節です。フルガム氏のお話を楽しむには絶好の時です。ホン・ドクの「悪さかお菓子か」は20%増量で心に染みますよ。
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