ベトナムから来たサンタクロース フルガム氏の物語

2023年12月27日

ハロウィンは日本にすっかり定着したようです。ハロウィンからクリスマスそしてお正月までの間、街はイルミネーションに飾られます。見る人は誰もが幸せそうです。なんでもお祭りにしてしまう日本人のいい加減さに呆れますが、楽しい時間が増えるのだからいいでしょう。

光が溢れる夜、幸せな季節

光が溢れるハロウィンからクリスマスまで

年末は日没が早くなってきぜわしくなり、なぜか忙しいし、天気は悪くなって冷たい雨は降るし、木枯らしが吹いて落ち葉が道に積もるようになると冬がやって来ます。そんな気が滅入る季節なのになにやら街は華やぐだけでなくそこかしこに善意が満ちてきます。

まるでLEDの輝きの一つ一つに善意が宿っているようです。日本人はどうしてこんなにイルミネーションが好きなのでしょう。光は街だけでなく田舎道にもクリスマスツリーや雪だるまになって現れます。街路樹や建物が輝き、噴水や星の形が街に溢れるのです。

神は「光あれ」と言われたすると光があった。光は人を幸せにするのかもしれません。光に惹かれるなら虫と同じだねと子供に言われそうですが、多くの人がバカラのシャンデリアやクリスマスツリーに集まります。

恵比寿のバカラシャンデリア 季節の風物詩

イルミネーションに欠かせないのがLEDです。LEDの実用化されて電気代が下がり環境にも良いので、光は一気に増えました。LEDは、ニック・ポロック氏が赤色、ジョン・クロフォード氏が緑色、赤崎勇氏・天野浩氏・中村修二氏にが青色を発明しました。光のひとつひとつに善意が宿るという説がほんとうなら、彼らは世界に善意を増やし続けています。

古代の光は火と一緒にありました。人間に火を渡したのはプロメテウスです。その罰で、3万年間も山のてっぺんに縛られ、大鷲に肝臓を齧られるはめになりました。LEDを人に渡した科学者は大丈夫だろうかと心配になります。

クリスマスにやって来たベトナム少年 

ドアを閉めた途端に、わたしは笑いと涙がこみあげて、どうにも抑えがきかなくなった。今年もまたクリスマスが巡って来たと思うと、何とも言えない不思議な気持ちに襲われた。陋屋で冬籠りをしているわたしのところへ、煙突からセント・ホン・ドクが降りてきたのだ。

中略

聖歌隊はどこかな?わたしの問に彼は答えた。「ぼくだよ」わたしは自分に向かってクリスマスはどこかなと尋ねた。「ぼくだよ」ホン・ドクの声が耳の底に谺した。クリスマスはわたしの心のなかのことである。わたしは天井を向いて目をつむり。勇を鼓して大声でクリスマスの歌を歌った。

人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ

この時期になると思い出すのが、ロバート・フルガム氏の「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」のクリスマスの章です。どの話も心に沁みるのですが、「ベトナムから来たサンタクロース」は特に心に残ります。

1979年の冬、クリスマスの数日前、フルガム氏は憂鬱なひと時を過ごしていました。天気は悪くバイオリズムは最低、ニュースも悪い話ばかりです。そんな日曜日の夕暮れ、ドアを叩く音が響きます。ドアを開けると、そこには一人の少年が立っていて「悪さかお菓子か」と言います。(少年は、勘違いしています)

少年は、ベトナム難民の子供でした。差し出した紙袋に1ドルを入れると、少年は10ドル分の笑顔で答えます。「クリスマスの歌を歌おうか」、少年のつたない英語の歌にフルガム氏は涙ぐんでしまいます。

フルガム氏は、牧師でありながらクリスマスに懐疑的です(このくだりが面白い)しかし少年ホン・ドクの純真さに本当のクリスマスを見出します。ホン・ドクは神が遣わしたのか、わからないけれど少年は信じられると感じます。自分の内なるクリスマスに気づくのでした。

軽妙な語り口のなかに、ホロリとする後味が残る大人の絵本という感じです。その他、冬物語、真夏のクリスマス、筋金入りの異教徒など、どれも人の善さが伝わる話です。(フルガム氏のユーモアは、読んでみないとわかりません)

アメリカの秋 photolibrary

フルガム氏の善意の見つけ方

フルカム氏が憂鬱になった日のように、コロナの時代は憂鬱に満ちています。テレビや新聞やネットに明るいニュースが少なくなっています。世の中に善意の話はたくさんありますが、あまり報道されません。

クリスマスが近づくある日、東京の山手線の出来事です。無表情にスマホを見る乗客、サラリーマン、出勤途中のお嬢さん、大学生。少し疲れた雰囲気が車内に漂っています。やがて電車は品川駅に着き、たくさんの乗客が降りてまた乗ってきます。そのなかにベビーカーを押す若いお母さんがいました。

混んだ電車にベビーカーで乗ることの賛否がネットの世界で戦わされていた頃です。わざわざ、そんな時間にの乗るなよ、大きなベビーカーは迷惑だ。みんなの嫌そうな顔が浮かびます。

母親はベビーカーを乗せ難くそうにしています。近くのむっつりしていた青年がスマホの反対の手を伸ばします。隣のおばさんと一緒に手を添えてベビーカーを一緒に持上げると誰かが席を空けています。周りの人たちは譲られた席まで道をサッとつくります。母親がお礼を言って座わると、ベビーカーは母親の前にピタリと止まりました。その連携、まるでMLBの5−4−3のダブルプレーです。ベビーカーでは赤ちゃんが天使のようにスヤスヤと眠っています。

メリークリスマス、フルガム氏なら天使がそこにいたというでしょうが、そんな自信はありません。ただ、そのとき電車の半分は善意に満ちていました、間違いなく。ネットの世界とは大違いです、クリスマスがなせる技だったのでしょうか。

不機嫌な電車のなかでも、こんなことが起こります。同じようなことは、たくさん起こっているはずです。フルガム氏と「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」はそんな善意の見つけ方を教えてくれます。

ハロウィンからクリスマス、そしてお正月、人の善意が増量される季節です。フルガム氏のお話を楽しむには絶好の時です。ホン・ドクの「悪さかお菓子か」は20%増量で心に染みますよ。