ストア哲学を活かす政治 十三に棲む日 

2023年8月12日

ローマ帝国の最盛期は五賢帝の一人トラヤヌス帝の時代と言われ、領土はスコットランドからシリアにまでおよんだ。帝国は28のレギオン(軍団)からなるローマ軍が支えていた。レギオンはロリカ・セグメメンタタという最新の鎧を装備した5120人の兵士で構成されていた。

そいつは、メソポタミアからやってきた

古代ローマを襲った疫病、アントニヌスの疫病

その当時最強のローマ軍に戦いを挑む民族がいた、ゲルマニアに住むゲルマン族である。裸に近い格好と粗末な盾と槍、わずかな剣を持って戦った。時には女性や子供も戦った。裸の女性が突撃してきたら、妻と長く離れたローマ兵はさぞかし困っただろう。

古代ゲルマン人の様子は、映画コナン・ザ・バーバリアンのキンメリア人やマイクル・クライトンの北人伝説を読めば想像できる。獰猛ですぐに喧嘩を始め、人前で性交し酒の器に唾を吐きながら回し飲む誇り高い部族である。

彼らにとって戦死は名誉なので戦いを止めることはない。ローマ軍も譲らない。そんなとき、ゲルマン族に思いがけない援軍がやってくる。それはメソポタミアからやってきた。後にアントニヌスの疫病とよばれる感染症である。多くのローマ市民が死んで軍団は弱体化した。

2世紀の中期には、マルコマン二族を主としたゲルマン族が北イタリアまで攻め込む。オデルツォ市は破壊されアクイレイア市まで包囲される。国内は疫病が猖獗を極める帝国は混乱した。恐怖を煽って御札を売るアポノティコスのアレクサンテルような商人が現れ、葬儀屋は法外な料金をとった。

外には蛮族、内にはアントニヌスの疫病、ローマ最大の危機に皇帝になったのは、ストア派の哲学者である皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスだった。彼はストア主義をに従って法律を次々制定していく。

哲人皇帝 マルクス・アウレリウス

哲人皇帝 マルクス・アウレリウス・アントニヌス

皇帝は、死体が通りに放置さたままでは市民の不安が増す、法外な埋葬料は不満が溜まる、それを防ぐため、疫病で亡くなった人の埋葬を公費で行う。剣を持てる市民、奴隷、剣闘士を入隊させ軍団を強化をした。皇帝の財産をオークションにかけ公費や戦費を補った。ストア哲学は感情論は不要とする、理性に従いやれることを行え、そうして皇帝はマルコマン二戦争に勝利した。

その間、市民は剣闘士がいないのは面白くないと反発し、感情を出さない皇帝は親しみがないと批判する。ストア派の理性よりも魔術や攻撃相手を求めだした。皇帝はその不満に対しても静かに対策を打っていく。闘技場に動物とキリスト教徒を送り込み市民の不満を押さえ、哲学皇帝アウレリウスはローマを再び繁栄させた。

さて、2000年後の日本、コロナにみまわれ社会は混乱している。恐怖を煽って商売をする者が多くいる、医療関係者は医療崩壊だと嘆き、国民はスポーツを観戦させろ、酒を飲ませろ、店が開けられないのは死ねということだと叫ぶ一派がいれば、命を守るのが先だ、オリンピックは中止しろ、甲子園はやる、老人が、コロナが怖いから街にでるなと街なかで叫ぶ一派がいる。あげくは、首相の言葉は感情がない、人の心に届かないと批判する。

こんなときアウレリウスならどうしただろう。流行の転生をしてもらおう。ある日アウレリウスは目をさます「ここはどこだ、私は遠征先で死んだはずだが」周りを見回すと鏡に映った自分がいた、首からひもを下げた珍妙な格好をしている、履き物はサンダルでなく足を包み込んで窮屈だ。

そのうえ体は小さく顔は扁平になっている。髪の毛も少ない、これではアイスキュロスではないか。これが私か。やれやれだが、彼はストア派であり運命を受け入れるのは不得意ではないのである。

「首相」と呼ばれる。身体にはこの世界のおおまかな知識が備わっているようだ。「会議の時間です」と言われる。窓の外を見ると街にたくさんの人が色んな格好で歩いている。見慣れない服ばかりだが、道に倒れている人や戦士はいない。たまにローマ人やゲルマン人を見かけるが、ゲルマン人が服を着ているのはおかしいでないか。

日本の交差点

転生したアウレリウスとコロナ

会議室に入ると同じ格好の人間が並んで座っている。これはコンロクィウム(会議)ではないか。会議になぜ女がいるのだ。その若い女が説明を始めた。この国にもコロナという疫病が流行っているようだ。領土を狙う外敵もいるが、武力による戦いはせずに経済という戦いをするそうだ、なんともまどろっこしい。

「外出禁止はしていません」声には出さずに頷く「よろしい、でないと戦争ができなくなる」「検査や入院費、ワクチンは公費です」「当然だ、市民を不安にしたり不満を持たせてはいけない」「医療関係者が不足しています、ワクチン接種する医者に報奨金を出して増やしています」「正しい、戦士を増やすのと同じだ」

「緊急事態宣言、蔓延防止対策を・・・」「これは難しい、酒の禁止は市民の不満を増やす、不満は不服従を生む」「プロ野球やサッカーは観客を入れています」「仕方ない、不満のはけ口は必要だ」この扁平な顔の民族はできることをやっている。おおむね正しい。

専門家という名の男が話しだした、「感染者が増えている。人の移動を止めなくてはいけない。ワクチンで死者は減っているが医療崩壊が起こります」「死者が減るのになぜ恐れるのか。疫病を恐れるなら人が街に満ちているのはなぜか」考えてこんでしまう。

「首相の支持率が下がっている」と若い男が言う。支持率とは市民の賞賛の数らしい。賞賛は感情である。感情は判断を誤らせるので今は不要である。「お前が周囲のものによって、心をかき乱されるのを余儀なくされるとき、直ちに自分自身に帰るがよい (自省録) 」「私は自分の義務を果たすのだ。他のことに心を奪われることはないのだ(自省録)」が思い浮かぶ。

これはなんとしたことか、聞けば聞くほどローマと同じである。市民は、心配して不満を言うが何もしない。恐怖と批判で商売をする輩はローマより遙かに多く、そのうえ効率的な方法を持っている。この輩は、コロナとの戦いに負けたいのか勝ちたいのか不可解である。

ストア哲学は、降りかかる苦難の運命を克服していけと説く。感情、特に負の感情を抑えて理性に従い、余計なものを持たず自然と調和して生きることを勧める。裸で樽に住んだディオゲネスを源流として、キティオンのゼノンがストア学派を始めた。その後、 クリュシッポス 、セネカ、エピテクトス、マルクス・アウレリウスに伝承されていく。ストア派は、現実的な問題解決を重視するので危機に強い。

ストア学派は、運命を受け入れできることをする。みんなが満足する答えはないと知っている。それゆえ感情に流されず理性に従う。負の感情を排して実行することが必要だ。アントニヌスは、首相というこの身体の持ち主の男はシトア哲学を理解しているようだ。それはこの国にとって良いことだった、とアントニヌスが思ったかはわからない。

鷲が、亀を食べるかわからない

首相とストア学派

ストア派と言えば、クリュシッポスが発展に大きな役割を果たした。あるとき70歳を過ぎた哲学者はロバが彼のイチジクを食べているのを見た。何を思ったか下男にロバに葡萄酒を飲ませるように命じた。ロバがイチジクを喉につめたのか、勝手に食べた罰を与えようとしたのかわからないが、それを見て大笑いした。よほど可笑しかったのか笑いながら落命してしまった。

後世に残る死に方と言えばアイスキュロスを出さないといけない。ギリシア三大悲劇詩人の一人であるが、自らの死は悲劇的とは言いがたい。ある日彼は街を歩いていた。アイスキュロスの頭は金柑のごとく禿げている。晴れた日には、彼の頭は太陽の光に照らされてキラキラと輝く。

その頭上を一羽の鷲が飛んでいた。鷲は一匹の亀を足につかんでいる。鷲は、甲羅の硬い亀をどうやって食おうかと考えていた。もっと硬い物のうえに落とせば割れる。おりしも地上にキラキラと輝くものが見える。鷲はとまどうことなく亀を落とした。アイスキュロスの頭は亀より硬くなかった。あわれ悲劇詩人は命を落としたのだ。悲劇的というより喜劇的に。

日本にコロナが再び広がっている。みんなが政府に対して不満を言っている。内閣支持率は下がり、首相の言葉は人に届かないと批判している。人格批判はコロナ対策の本質とは関係なく、対策の是非を評価すべきだが、誰も正解などわからないから好き勝手を言う。

そんな雰囲気のなか首相は淡々とできることをしている。感情を抑えた仕事ぶりはストア派のようだ。 「私は自分の義務を果たすのだ。他のことに心を奪われることはないのだ (自省録) 」と呟いているようだ。

首相は義務を果たそうと歩いている、首相の頭はアイスキュロスほど光ってはいないが、野党とマスコミはしきりに亀を落としている。しかしあの鷲のように当たらない。降りそそぐ亀を気にせず首相は歩いていくシュールな光景が見えるようだ。義務を果たすために歩く者は、亀を落とす者より偉いのである。