オリンピックに反対した人達 十三に棲む日
オリンピックが終わってしまった。あの道路を風のように走りぬけるマラソン選手や、極限まで磨きぬいた身体や技が見られないのは寂しい。選手にとって、オリンピックは特別な退会らしく緊張からか信じられないようなミスや敗北が生まれる。悲しみに涙を流す選手や喜びを爆発させる選手、競技の合間のくつろいだ笑顔、演出のない光景は感動を呼ぶ。
世界(日本含む)のアスリートは素晴らしい
競技は見ているうちに感情移入が甚だしくなる。テレビの前に陣取り、シュートが外れたらクソッと言い、演技が上手くいとコーチでもないのに良しとうなずく、一本取ればやったと叫ぶ、金メダルを取った選手が涙を流せばもらい泣きをする。「そこまで入れ込まなくても」と妻は声は冷たい。卓球の水谷選手と伊藤選手が勝つと妻は沸騰する「友達にラインしなくっちゃ」それなら初めから見なさいよ。
オリンピックに出てくる選手はみんな凄い、個性も強い。女子三段跳びロハスの選手のスタートはパントマイムのようだ、マラソンのケニヤのキプチョゲ選手はみんなが暑さで苦しむなか涼しい顔でゴールする、そそり立つ壁の米国女子バスケットチーム、新体操の選手の信じられないスタイルと美貌と技、失敗した女子選手の涙に心が波立ち、柔道の大野選手の古武士のような風貌に誇らしさを感じる、のは男だからしかたがない。
オリンピックを開催できて良かった
世界はコロナに覆われ、米中は対立し、欧州は分裂の危機にある、中東は不安定、ミャンマーやアフリカ諸国の混乱は続き難民は増え続ける、温暖化や異常気象、悪条件は数えだしたらきりがない。そんなときにすごい選手たちが日本に集まった。
例えが古いが、JRRトールキンの「指輪物語」の冥王サウロンが復活した世界のようだ。ホビット庄と「砂の惑星」のトライラックスは日本がモデルに違いない。
どの国や地域もコロナに悩まされている、それなのに国立競技場に各国の選手団が入場してくる、世界がひとつになった時間だ。世界のアスリートは自分の力を示す場を手に入れた。世界の人達は自国の選手を応援し誇る機会を得た。
世界の人は、五輪はいいものだと思っただろう、子供達の心には何かが残っただろう。ブエノスアイレスまで行った滝川クリステルさんが「お・も・て・な・し」とやって見事誘致した。落選したイスタンブールとマドリードの思いも果たした。コロナ禍の時期にオリンピックを開催したことは胸を張って誇っても良いだろう。
東京五輪は反対が多かった、誰もが忘れいる事実
多くの人が誘致の成功を喜んだが、いつでも反対の人はいる。商業主義のオリンピックは開催の意味はない、財政負担が大きすぎる、競技場の設計や入札の仕方はおかしい、ロゴのデザインが変だと色々な理屈を並べて反対する。
メディアは少数の人達の意見を大きく取り上げる。犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛めばニュースになるというやつだ。そこへコロナがやってきた。反対派とマスメディアにとっては、連合軍がノルマンディーに上陸したようなものだ。強力な援軍がやってきた。
オリンピックより命を守れ、中止だと声を上げた。オリンピックと命がどうすれば同じ天秤に乗るのかわからない。命を守りながらオリンピックを行う方法を考えるのが普通なのではないか。日本は、先進国のなかでコロナ対策に成功している国である。
世界中の国からコロナによる辞退の声はない(北朝鮮と韓国にはあったようだ)ワクチンの接種も始まった。それでも、反対派は「オリンピックより命」を叫び続け、メディアは世論調査で反対中止80%を導きだした。世界は日本人の80%が反対していると驚いた。麻生副総理によると、前回のオリンピックの前も反対は60%だったそうだ。戦後復興のシンボルと言われても始める前は反対の人が多かった。
何にでも反対する人達 批判だけでは前へ進めない
オリンピックが終わって、やって良かったの人達が60%以上になった。80%が反対だったから意見が変わった人が随分いる。海外からも開催したことにに対する批判はない。選手たちはSNSでの感謝の声をあげている。外国選手は事前合宿の自治体にありがとうを言っている。
自治体は、受け入れを批判されないよう静かに対応していた。自治体やアスリートに抗議する人達がいた、何かおかしく悲しいことだ。何にでも反対する人は、コントラリアンというそうだ。この人たちは、「できるか」といえば「できない」という「できないか」と問われれば「できる」と言う、質問によって意見が反対になるらしい。
日本に、なんでも反対する奴がいる。天邪鬼という有名な小鬼である。帝釈天の部下に、仏教世界を守る四天王がいる。東西南北を守る、持国天、広目天、増長天、多聞天だ。天邪鬼は四天王に踏みつけられている。ときに逃げ出すが、反対しか言えないので安倍晴明にやり込められて捕まってしまう。
ひたすら反対していた人達は、オリンピックが終わって何を思うのだろうか。メディアはオリンピックを成功させた人達の努力を褒め称えている。反対派の意見はアスリートの活躍に泡のように消えてしまう程度のものだったのか。中止を求めた人達に聞いてみたいものである。
彼らは、オリンピックが終わればまた何かに反対していくのだろう。マスコミはその声を世論という。反対ばかりの人たちは、四天王に踏みつけられる天邪鬼のようである。四天王は、天邪鬼が反対ばかりを止めると開放するかもしれない。「足をどけてほしいか」「いや、どけて欲しくない」「逃げたいか」「いや、逃げたくない」
四天王は「踏みつけてほしいか」「捕まっていたいか」とは聞かない。賢いのだ。反対だけで現状は変わらない。
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