転勤を命じられたらどうするか? 受けましょう。 サラリーマン
転勤は、サラリーマンであればたいていの人が経験する。2018年のある統計では、のサラリーマンの数は、大企業1,143万人、中規模企業2,234万人、小規模企業1,127万人となっている。小規模企業は転勤が少ないので除いても、大企業と中企業をあわせて3,377万人に転勤の可能性がある。
転勤は、悩みがいっぱいだが昇進には必要
転勤とは、会社の金で世界や日本を観光しているようなものだ
会社員の言葉
工場や管理部門などは転勤が少ない人ので一概にはいえないがが、それでも多くの人が転勤のする。転勤が悩ましいのは、仕事は会社と自分だけの関係で終わるが、転勤は家族や私生活まで影響が及ぶからだ。家族が知らない土地で暮らす不安、妻や子供は地元に馴染めるだろうか、学校でいじめにあわないかと心配事は多くある。
夫婦共に社員で働いている場合は特に難しい。どちらかが辞めないといけない場合が多い。そうすると、将来の年金額も変わってくる。子供は、友達と別れなければいけない。難しい。昭和の時代なら、業務命令の一言で従ったが、個人の生活が配慮される今は断る選択肢がる。選択肢があるゆえに悩みは増える。
会社での立場も考えないといけない。時代が変わっても組織の論理は変わらない。若いうちの転勤は、ジョブローテーションの一環であり、中堅の転勤は能力試験かキャリアアップの選考を兼ねる。断ることはできるが、出世の不利になるのは否めない。
営業ならば、小さな営業所の所長から大営業所の所長、海外経験、役員となっていく。それが慣例の会社であれば、転勤拒否はラインから外れる。出世の道を外れた人が、海外の子会社に異動し返り咲く敗者復活戦があるが、転勤は必要になる。サラリーマンにとって転勤は、チャンスであり断るのはリスクなのだ。
転勤を断った私、幸運の神様は前髪しかない
私は一度だけ、東南アジアへの転勤を断りった。当時は、家族での赴任が原則だったので単身赴任はできなかった。妻と二人の男の子は平気だったが中学生の娘が嫌がった。大きい会議室でミーティングをしてとき、国際担当の部長と課長が端っこ借るよと入ってきた、二人はチラチラこちらを見ていたが、やがて課長(もと上司)が、「○○こちらへ来い」と私を呼ぶのである。
「君がなぁ、拒否するから色んなことが決まらないんだ、決心しろ」「いや、子供が中学生なので・・・」「ほんとうか、ここから家に電話して確認しろ」と電話するはめに。今ならパワハラですが、少しは期待をされていたのかもしれない。
断ってから一ヶ月後、マレーシアへの出張が入った(東南アジアは始めて)行き先は、国内の取引先の現地法人だった。現地の社長の社宅の庭のマンゴーの木に驚いたり、接待を受けたりしているうちに、経済が発展するときの活気と人々のエネルギーに魅力を感じた。
とにかく熱気が凄い。こんなところで働きたいと強く思ったのだが、後の祭り、幸運の神様には前髪しかなかった。後悔はしていないけれど、転勤していれば、私を含む家族はもっと面白い経験ができただろうと思うときはある。
転勤は、仕事だけでなく家族の思い出をつくる機会
個人的な経験から転勤を受けようと言われても困る。自分は出世より家族が大切だと思うのは最もである。その後の転勤は、子供が新しい環境に馴染めないのを恐れて、単身赴任を選んだ。人が百人いれば百の事情がある。現在の生活を崩さない、子供の生活のリスクを避けようと考えるのは当然である。
ビル・パーキンスという人がいる。彼は自書「DIE WITH ZERO」で、「人生でいちばん大切なこは思い出つくり」「思い出の配当は馬鹿にならない」「今しかできないことがある」と述べています。転勤も思い出つくりのひとつではないかと思う。
家族は、確かに苦労する。現地に馴れるまではしんどい生活続くが、その時期を過ぎれば、新鮮な人間関係、素晴らしい自然や土地の食事などの楽しみが待っている(別れる悲しみもやってくる)「人生でいちばん大切な仕事は思いでつくり 」なら、転勤はとても良い機会である。会社が費用を持ってくれるのだから言うことはない。会社の金で、旅行しているようなものである。妻や子供は、転勤先の土地で知り合った家族と今でも交流を続けている。交友関係は広い。
かたや私は、転勤先の知り合いは飲み屋だけと少し寂しいが、久々に訪れた飲み屋の大将と思い出話をしたり、「子供を東南アジアへ連れていったらどのように成長しただろうか」と思いながらグラスを傾けるのは悪くないのだ。サラリーマンだったら、転勤を逃す手はないと思う。
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