本 「いま世界の哲学者が考えていること」 現代哲学の入門書

2024年11月16日

日本の哲学は、古典を読んで人生の意義を考える古いイメージが強いが、哲学はもともと現在の問題を考えるものである。アリストテレスもカントも自分の生きた時代の社会や生き方について考えていた。今、世界の哲学者たちはいったい何を考えているのだろう。

現代の哲学者が考える、IT、バイオ技術、資本主義、宗教、環境問題

現代は、AI、バイオ技術、クローン、監視社会、資本主義の先、宗教、地球環境など多くの問題を抱えている。哲学者たちは諸問題にダイナミックにアプローチして意見を発信している。そのなかにはクローン人間を容認する主張もある。

自分の生きている時代、「われわれは何者か」を捉えるために、哲学者は現在へと至る歴史を問い直し、そこからどのような未来が到来するかを展望するのです。

いま世界の哲学者が考えていること 岡本祐一郎(著) ダイヤモンド社

この本はコロナ以前の出版だが、哲学者たちはポストコロナをほぼ正確に予想していた。コロナ以外にも世界に大きな影響を与える問題は存在する。世界の個性的な哲学者はその問題への意見を日々発信している。哲学者の意見は難しいが新しい視点を提供してくれる。

本の目次

①世界の哲学者は今、何を考えているのか 

②IT革命は、人類に何をもたらすか? 

③バイオテクノロジーは、「人間」をどこに導くのか 

④資本主義は21世紀でも通用するのか 

⑤人類が宗教を捨てることはありえないのか 

⑥人類は地球を守らなくてはいけないのか。 

同著

近代哲学の変遷

現代哲学は難解である。まず素人は転回という言葉が難しい。「21世紀におけるポスト言語論的転回」といわれてもさっぱりだ。近代の哲学は、自然主義的転回(認知科学で心を考える)、メディア・技術論的転回(コミュニケーションの土台になる媒体・技術から考える)、実在論的転回(思考から独立した存在を考える)と変遷した、となると少しわかるような気がする。

転回は典型的な業界用語で、人の発想が根本的に変わって社会が新しい局面を迎えることだ。哲学者は何が人の考え方や社会を変えたかを探索する。近代は科学技術が爆発的に発達したことから、メディア・技術に関係する転回が頻繁に起こり、その度哲学の転換が起こっている。

IT革命は社会を変えるのか

IT革命は社会に大きな利便性をもたらしたが、同時に監視社会のリスクが増大している。携帯電話の普及は、SNSを使った連携によって中東にアラブの春と呼ばれるの革命を起こした。携帯電話は革命運動の強力なツールだったが、今は監視者にとって便利なツールになっている。

個人は移動や買物まで行動の全てがデータ化され政府のサーバーに蓄積される。政府と国民が相互に監視する社会から、政府が一方的に無数の国民を監視する社会になりつつある。そのシノプテコンと呼ばれる社会で個人の存在とは何かが大きな問題になっている。

AIはさらに大きな影響を社会に与えている。この本の発刊時、ChatGPTはまだ問題化していなかった。現在ChatGPTが社会にパニックに起こしている。論文も絵も映像もAIがすべて作ってしまう。映画俳優も声優も失職するかもしれない。もしAIが人類を啓蒙するようになれば、人はどのように生きれば良いのだろうか。

哲学者はフレーム問題(AIが持つ限界を証明する問題)やロボット三原則がある限りAIが社会を支配ことはないという。映画「アイ、ロボット」のコンピュータは存在しない。ただアシモフの「ファウンデーションシリーズ」やジョージ・オーウェルの「1948」のように、少数の人間がAIを活用して国民を支配する社会はSFでは無くなっている。その社会を認めるか否かは、今の私たちの判断に掛かっている。

哲学者はクローン人間を容認する

進歩した医学とバイオテクノロジーは人体改造やクローン人間の問題をもたらしている。医学は人の治癒から生命を操作する段階に入っている。人が生命を操作する技術は哲学の大きな命題の一つになった。クローン人間を容認する意見もある。

哲学者が説明するクローン人間は、私達が持つ一般的はイメージとは随分異なっている。一卵性双生児は同じ受精卵から成長するのでお互いがクローン人間である。二人の人格は同じではない。マトリックスのミスタースミスとは違うのだ。クローン人間も双子と同じように人格は異なるに違いない。人格が違えばクローン人間を否定する理由はなくなる。だが人は人が人を作るという行為を感情的に許せない。ブレードランナーのレプリカントで描かれた問題がここにある。

これまで、ゲノム編集の技術はこれまでは自然を変えることに向けられてきた。現代は人間の持つ自然(Nature)を変えることに向けられている。それが多くの問題を生んでいる。犯罪抑止の薬剤によって性格改変を行うのは正しいのか、人間を改造するのはどのレベルまで許されるのか、過去に不可能であった技術が生まれた結果、タブーとされていた議論が必要になった。ポストヒューマン、クローン人間、優生学、不老不死は人間の未来を根本的に変えてしまう。哲学者の意見は貴重である。

宗教そして環境問題

宗教にも大きな問題がある。社会が豊かになれば世俗化(政治と宗教の分離)が進むと予想されたが、現実はイスラム教やキリスト教で原理主義者が増えている。なぜ予想はなぜ外れたのか。地球環境問題も同じである。人類は地球を守らないといけないのか。

世界の一流学者が一堂に会し「世界を良くするためには、何に対してお金を使うべきか」の順位をつける会議がある。コペンハーゲン・コンセンサスと呼ばれる会議である。その会議で「地球温暖化対策」は最下位になる。一流学者達がメディアが対策を叫ぶ温暖化対策を最下位にする。地球温暖化とはいったい何なのか。これらの問いに対する答えは重い。

世界の哲学者をもっと知るべき

メディアはAIやクローン問題を煽情的に報道し続けている。その情報は商業主義に基づいて注目を集めるのを第一とし画一的だ。スマホの楽しさを宣伝しても趣味や買物の情報が丸裸にされる危険性は言わない。環境問題は負の部分だけを取り上げる。メディアの提供する情報は事実の断片にすぎないのに多くの人たちが信じてしまう。哲学者はその状況に警鐘を鳴らす。

人類が背負う課題は複雑で大きい。人は科学技術を使って問題を解決しようとしているが、人と技術は共存できるのか。この問題に対しても積極的に意見を発信している。その意見は貴重な指針なのだ。

日本人の哲学のイメージは古すぎる

日本人が良く耳にする哲学者といえば、古代ギリシアのアリストテレス、ソクラテス、プラトンや、近代ヨーロッパのカント、ニーチェ、ショーペンハウエル、デカルトである。日本では西田幾多郎や三木清だろうか。

黒豆で有名な篠山市にデカンショ節がある。デカンショとは、デカルト、カント、ショーペンハウエルを繋げたという説がある。デカンショ、デカンショで半年暮らす、後の半年ゃ寝て暮らすと歌われるように、哲学は裕福な人の趣味と考えられた。デカンショ節の詩にでてくるサルは哲学者を悩む姿を笑い飛ばしていた。

現代日本の哲学者を検索すると、東浩紀、内田樹、西部邁、吉本隆明が出てくる。著名人ばかりだが西部萬を除けば哲学をやっているか微妙である。政府の批判ばかりしているように見える。また大学の哲学科の教授は過去の哲学者や学説しか研究しないらしい。

世界の哲学者は、今をダイナミックに分析している。アリストテレスやプラトン、ニーチェは未来の人間のために哲学をしていた訳ではない。彼らの今を分析していた。日本は哲学においてもガラパゴス化しているのかもしれない。

この本の内容は難解なところがあるが真実に近づく思考法を教えてくれる。読んでみると哲学は案外面白い。もっと勉強したいと思うときに便利なように関係する本(3冊)が各章の末に紹介されているのも嬉しいのである。

Posted by 街の樹