本 「いま世界の哲学者が考えていること」 現代哲学の入門書

2024年3月1日

日本の哲学は、古典を読み人生の意義を考えるイメージが強いが、西欧ではもともと現在の問題を考えるものだった。アリストテレスもカントも自分の生きる時代の社会や人生について考えていた。今、世界哲学者たちはいったい何を考えているのだろう。

現代の哲学者が考える、IT、バイオ技術、資本主義、宗教、環境問題

現代には、AI、バイオ技術、クローン、監視社会、資本主義の先、宗教、地球環境など多くの問題がある。世界の哲学者たちはそれらについて考えダイナミックに意見を発信している。クローン人間を容認する主張もある。哲学者が語ることは難しいが、課題について新しい視点を示している。

本の目次

①世界の哲学者は今、何を考えているのか 

②IT革命は、人類に何をもたらすか? 

③バイオテクノロジーは、「人間」をどこに導くのか 

④資本主義は21世紀でも通用するのか 

⑤人類が宗教を捨てることはありえないのか 

⑥人類は地球を守らなくてはいけないのか。 

同著

近代哲学の変遷

自分の生きている時代、「われわれは何者か」を捉えるために、哲学者は現在へと至る歴史を問い直し、そこからどのような未来が到来するかを展望するのです。

いま世界の哲学者が考えていること 岡本祐一郎(著) ダイヤモンド社

この本はコロナ以前に出版されたが、哲学者はポストコロナの社会をほぼ正確に予想している。世界に影響を与える事象はコロナだけでなく他にも多く有る。哲学者はそれらを大局的に分析して正確な予想を導く。海外では、個性的な哲学者が現代の問題に対して活発に予想や意見を発信している。

ただ現代哲学は難解である。転回という言葉がまず難しい。21世紀におけるポスト「言語論的転回」といわれてもさっぱりである。自然主義的転回(認知科学で心を考える)、メディア・技術論的転回(コミュニケーションの土台になる媒体・技術から考える)、実在論的転回(思考から独立した存在を考える)となると少しわかる。

転回は典型的な哲学界の業界用語だ。発想が根本的に変わることによって、社会が新しい局面を迎えることである。哲学者は、何によって社会や人が変わったかを考える。近代は、科学技術の爆発的な発達によって、メディア・技術に関係する転回が頻繁に起こっている。その度、哲学も変わっている。

IT革命は社会を変えるのか

IT革命は、社会に大きな利便性をもたらした。同時に監視社会のリスクが増大した。SNSは、中東にアラブの春の革命を起こした。その連絡に使われたのか携帯電話である。革命の強力なツールだが、それが今、監視者にとって便利なツールになった。中国はすべての国民が監視される社会になりつつある。個人の買物や移動の全てがデータ化され政府のサーバーに蓄積される。独裁者が一方的に無数の国民を監視する社会をシノプテコンという、それが実現しようとしている。

AIの進歩はさらに大きな影響を社会に与えている。この本が発刊されたとき、ChatGPTはまだ問題化していなかった。現在はChatGPTは社会にパニックに起こしている。論文も絵も映像もAIがすべて作ってしまう。もしAIが人類を啓蒙するようになれば、人はどのように生きれば良いのだろうか。

哲学者は、フレーム問題(AIが持つ限界を証明する問題)やアシモフのロボット三原則が存在する限り、AIが人を支配ことはないという。映画「アイ、ロボット」で描かれたAIが人を支配しようとする社会は来なくても、アシモフの「ファウンデーションシリーズ」やジョージ・オーウェルの「1948」に描かれた社会が来るかもしれない。独裁者がAIを活用して国民を監視する社会は空想ではない。それを認めるかどうかは、今の私たちの判断に掛かっている。

哲学者はクローン人間を容認する

医学とバイオテクノロジーの進歩は、人体改造やクローン人間誕生の問題を社会にもたらした。医学は技術の発達により生命そのものを操作しようとしている。人の生命を操作できる技術をどう扱うかも哲学の大きな命題の一つだ。哲学者になかにはクローン人間を容認する人がいる。その学者が説明するクローン人間は、私達が持つ一般的はイメージとは随分異なる。

一卵性双生児は同じ受精卵から成長する、のでお互いがクローン人間といえる。二人の人格は同じではない。マトリックスのミスタースミスとは違う。人格が違うなら、双子と同じようにクローン人間を否定する理由はなくなる。しかし人は、人を作るという行為を感情的に許せない。ブレードランナーのレプリカントで描かれた問題である。

ゲノム編集の技術はこれまでは自然を変えることに向けられてきた。現代はそれが人間の持つ自然(Nature)を変えることに向けられている。それが多くの問題を生むことになった。人に犯罪抑止のための薬剤を投与しに性格改変を行うのは正しいのか、人が人間を改造するのはどのレベルまで許されるのか、これまでは不可能であった技術が生また結果、従来はタブーとされていた議論が必要になっている。

ポストヒューマン、クローン人間、優生学、不老不死などは人間の未来を根本的に変えてしまう。哲学者の意見はたいへん貴重でになる。

宗教そして環境問題

宗教も大きな問題を抱えている。宗教は社会が豊かになれば世俗化(政治と宗教の分離)すると予想されたが、現実はイスラム教やキリスト教で原理主義者が増えている。予想はなぜ外れたのか。

地球環境問題もそうである。人類はほんとうに地球を守らないといけないのか。世界の一流学者が一堂に会し、「世界を良くするためには、何に対してお金を使うべきか」の順位をつけるコペンハーゲン・コンセンサスという会議がある。その会議で「地球温暖化対策の」は最下位になるのだ。

一流学者達は、メディアが対策を叫ぶ温暖化対策を優先順位の最下位にする。メディアが報道する環境問題とは何なのか。これらの問いに対する哲学者たちの答えは重いのである。

世界の哲学者をもっと知るべき

メディアは、AIやクローンを煽情的に報道し続けている。その情報は商業主義に基づきそして画一的だ。スマホの楽しさを宣伝しても、趣味や買物の情報が丸裸される危険性は言わない。環境問題では負の部分だけを取り上げられている。メディアの情報は事実の断片にすぎなくなっている。それなのに多くの人たちは信じてしまう。その状態に哲学者は警鐘を鳴らす。

人類が背負った課題は複雑で大きい。人間は科学技術を使って解決しようとするが、人と技術は共存できるのか。哲学者はこの問題に対しても積極的に意見を発信している。その意見は私たちにとってたいへん有用になる意見である。哲学者の意見は貴重な指針になのである。

日本人の哲学のイメージは古すぎる

良く耳にする哲学者といえば、古代ギリシアのアリストテレス、ソクラテス、プラトンや、近代ヨーロッパのカント、ニーチェ、ショーペンハウエル、デカルトである。日本では西田幾多郎や三木清だろうか。

黒豆で有名な篠山市にデカンショ節がある。デカンショとは、デカルト、カント、ショーペンハウエルを繋げたという説がある。デカンショ、デカンショで半年暮らす、後の半年ゃ寝て暮らすと歌われるように、哲学は裕福な人の趣味と考えられた。デカンショ節の詩にでてくるサルはそんな哲学者の悩む姿を笑い飛ばしている。

現代の日本の哲学者を検索すると、東浩紀、内田樹、西部邁、吉本隆明が出てくる。著名人ばかりだが西部萬を除けば、哲学をやっている微妙である。政府の批判ばかりしているように見える。また大学の哲学科の教授は過去の哲学者や学説しか研究しないらしい。

世界の哲学者は「今」をダイナミックに分析している。アリストテレスやプラトン、ニーチェは未来の人間のために哲学をしていた訳ではない。彼らの今を分析していた。日本は哲学においてもガラパゴス化しているのかもしれない。

筆者の主張は難解ないところもあるが、真実に近づく思考法を教えてくれる。読んでみると哲学は案外面白い。もっと勉強したいときに読めば良い本(3冊)が各章の末に紹介されているのも嬉しいのである。

Posted by 街の樹