サラリーマンと街の仙人 十三に棲む日
今世界で有名な中国人といえば、あの報道官たちだろう。世界から発せられる道理に満ちた非難を、「妄言だ」「内政干渉をやめろ」「報いを受けるだろう」とバッタバッタと切り捨てるあのお二人である。
少し前まで、「首領さまは〜」を独特の抑揚で話す北朝鮮の女性アナウンサーが一世を風靡したが、最近あまり見なくなった。今は二人が最強だ。時に余裕を見せる女性は華春瑩(ほあちゅんいん)さん、しかめ面がフォトジェニックな男性は趙立堅(ちょうりつけん)さんという。(趙さんは、2023年に異動になった)
中国の役人はたいへん
二人とも怖そうだがそれは仕事の顔で、家へ帰れば子供に「人の土地をとってはいけません」「人を虐めてはいけません」と道理を説いているに違いない。「お母さん、TVでは別こと言ってるよ」「お仕事だからよ」「お仕事だったらいいの」「中国では何でも妄言で片付くからいいのよ」。中国の役人は、上に睨まれるともうおしまいだから仕方がない。
唐の劉邦を助けた韓信も、毛沢東の軍師林彪も成功のあとは粛清されてしまう。昔から気を許すことのできない厳しい社会なのである。アリババのジャック・マーさん、女優のファン・ビン・ビンさん(名前も容姿も日本人は大好き)もたいへんそうだ。
そんな厳しい社会なので、昔から知識人は社会からドロップアウトする。高名な諸葛孔明も劉備に出会う前はそうだったし、竹林の七賢人もそうだ。仙人は人間をリタイアしてしまう。
究極のリタイア 仙人
仙人は、一応実在の人物が修行を積んでなることになっている。不老不死で霞を食べて暮らせるので、不労所得すらいらない。いま流行りのFIRE、それも究極のFIREの達成者である。
FIREと違うのは、誰でも成れるわけではないことだ。仙骨が無いといくら頑張ってもダメらしい。仙骨は遺伝しているか、分からないからやってみるしかない。諸星大二郎の漫画・諸怪志異には、千年に一度の天開眼の日に天に入れたら成れるとある。大清丹という薬も効果あるらしいが厳しい修行がいるのだ。
仙人になってしまえば、不老不死に仙術、身体は人のままでいうことなしである。退屈しないメンタリティも手に入る。吸血鬼退治のブレイドもいなければ「奴ら乾いている」のマスターもいない。人間界にちょっかいを出せる気儘な生活だ。
仙人はけっこうたくさんいるが、そのなかでも八仙と言われる八人は人気がある。京劇や創竜伝に出てくるし、日本でも居酒屋の店名になるくらいだ。仙人のイメージは道服に長い髭だが八仙はずいぶん異なる。
ホームレスのような李鉄拐(りてっかい) 髪型が面白い漢鐘離(かんしょうり)壮年の剣士呂同賓(りょどうひん) 何故か後ろ向きにロバに乗る老人張果老(ちょかろう) 紅一点の何仙姑(かせんこ) LGBTのはしり藍采和(らんさいか)普通の人のような韓湘子(かんしょうし) 豪快な元将軍の曹国舅(そうこくきゅう)である。
この仙人たちはいたって人間臭いくて、いつもは仙界に住んでいるけれど時に人間界にやってくる。Men in Blackではないがスタバのとなりの席に座っていたりしそうなのである。
リタイアしたサラリーマンは街の仙人?
人間界にもリタイアは多くある。誰にも引退の日はやってくる。サラリーマンはその日が決まっていて、続けたい人も辞めたかった人も引退しなくていけない。65歳を過ぎても元気な人が殆どである。引退したサラリーマンは仙人のようなものだ。しなければいけないことは何も無い、厚生年金と退職金で衣食住は足りている、不老不死ではないが健康な間は同じである。彼らは、街の街の仙人と呼んでも良いだろう。
ところが、引退したサラリーマンすなわち街の仙人は、気儘に生きているかといえばそうではないらしい。役人から「2000万が必要」と脅かされ、マスコミからは「生きがいを見つけろ」と諭され、自分は「何かしないといけない」と焦っている。
「気楽になっていいですね」と聞けば「馬鹿いうな、することがないって寂しいもんだ」と返ってくる。家に帰って妻に「仙人と同じと言われた」と告げれば「あなた認知症は大丈夫?」と心配される。
街の仙人のファッションは機能的
街の仙人たちは、色んな場所にいる。本屋に牛丼屋に、ベローチェにいる。図書館にもいる。見つけるのは簡単だ、ボーダー柄のポロシャツ、折り目のないスラックス(ズボンというべきか)に、肩からかけたカバン、靴はスニーカー、頭には野球帽、寒くなるとユニクロのダウンジャケットが登場する。
ポロシャツの裾は必ずズボンの外に出してある「裾をズボンの中に入れるのはおっさんである」と雑誌で書かれた影響からだろう。だらしないような気もするのだが。そのファッションは、サラリーマンのスーツの延長にある。みんな同じが大切である。カッターシャツがポロシャツに、革靴がスニーカー、カバンが肩掛けカバンに変わったのだ。
会社員ならば、会社の机に私物を入れて置ける。街の仙人には机が無いので、カバンに入れる必要がある。肩掛けカバンは楽チンだ。年をとった足にスニーカーは優しい。
なぜ野球帽なのかこれはわからない。コロナになってマスクを付けると頭がなんだか寂しく感じる。年をとるとそうなるのだろうか。帽子をかぶる理由はこれがしか思い浮かばないが、みんな野球帽を被っている。みんな同じファッションだが、機能性を求めた結果なのだろう。
仙人のように生きても良いのでは
何かをしないといけないと思うがしたいことが思い浮かばない。だったら何もしなくていいのではないだろうか。貯金や年金は、仙骨のようなものだ。何もしなくて暮らせる、ほんとうの仙人達と同じである。何もしなくても良いこと程の贅沢はない。健康の間、死ぬまでのモラトリアム、楽しめば良い。街の仙人となって、街をさまよえば良いのだ。
ただお金がなければ仕方がない、働くしかない。仙骨が自分に無かったのだと諦めよう。
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