禅語は最高 「掬水月在手 弄花香満衣」分かち合えば心は安らかになる

2025年3月31日

禅は難しい。禅語も難しい。だから勝手に解釈して使っている。それで良いと思っている。案外、慧能禅師も道元禅師も、一休さんも良寛さんも「それで良い、それで良いんじゃよ、Let it be じゃ」と言ってくれそうだ。今日は、「掬水月在手 弄花香満衣」である。

水を菊すれば月手にあり  花を弄すれば香衣に満つ

冬が終わり空気も温む夜、小川の傍でふと足を止めると水面に朧月が映っている。両手で水を掬えば手の中に月がある。周囲には花が咲き乱れ、手にその一本を取ると香りが服に満ちる。春の山は生命の息吹が満ちて気持ち良いことこの上ない。中国は唐の詩人、于良史の「春山夜月」の一節である。

「名月を取ってくれろと泣く子かな」小林一茶の句である。背に負う子供は中秋の名月を欲しがった。子供の気持ちはわかるけれど月が取れないのは誰もが知っている。大人は見てるだけで綺麗だと子供をなだめる。青い月の光の中なんとほのぼのとした光景だろう。

分かち合えば、心はやすらかになる

月は取れないけれど手に掬った水に映すことはできる。花の傍に居れば香りが衣に移る。そのとき月や花の香りは自分と一体化している。現実の月や花はそのままそこにある。月は空にあるとも言えるし自分の中にあるとも言える。多くの人たちが月を分かち合っている。人は気持ち次第で色んな物を他者と共有できる。

人はいつも土地や富を取り合い争っている。あれが欲しいと欲望のままに他者から奪おうとする。得るために時に暴力を振るう。何かを奪えば今度はそれを獲られないかと心配する。全てを自分の物にしたい、と考えるのは月を求めて泣く子供のようだ。そんなことはしなくても分かち合う方法はある。奪うのを止めれば心は春の夜のように安らぐ。独占から共有へ、考え方が変われば平和な社会が訪れるに違いない。

手の中の水に映る月や、衣に満ちた花の香りに満足すれば穏やかな心で暮らせるのだ。

大丈夫! 雲の向こうは、いつも青空。 365日を「日々是好日」にする禅のこころ

Posted by 街の樹