本 「SHOE DOG」靴を愛した男たちのナイキ創業の物語
この本は、フィル・ナイトとその仲間が、ナイキを創業して売上3兆8000億の世界的大企業に育あげるまでの波乱万丈の物語で、ビジネスに携わる人なら誰でもドキドキしながら読める一冊である。ナイキの創立と成長に二つの日本企業が重要な役割を果たしているのも興味深い。オニツカタイガー(アシックス)と日商岩井(双日)の協力が無なければナイキ存在しなかったのである。
会社が創業され成長するには、その事業が社会性に必要とされていること、経営者が事業を続ける強い意志を持っていることが必須になる。全身全霊で経営努力を続ける経営者のみに幸運はやってくる。ナイキの創業者ナイトが絶対絶命の窮地に陥ったとき、彼を助けたのはナイトが最も苦手とする日商岩井の北米担当だった。
ナイキの誕生、創業と発展は努力と幸運が必要
大学時代に優秀な中距離ランナーだったナイトは、ランニングシューズの研究をしているうちに日本のメーカーのシューズを米国で販売することを思いつく。卒業旅行として出発した世界旅行の途中、戦争の傷跡がまだ残る日本に立ち寄り、米軍の将校からオニツカタイガー(今のアシックス)の存在を聞き神戸へ向かう。
神戸に着いたナイトは、オニツカタイガーの本社にアポイント無しに飛び込こみ交渉をする。まだ会社を持っていないため、冷や汗ものの交渉になったが、なんとか代理店契約を結ぶことに成功する。ナイトの申し入れを相談するオニツカの重役たちの姿が面白い。
彼は旅行を終えてオレゴンに戻りブルーリボン社を設立する。ブルーリボンはオニツカとの交渉の際にとっさに思い浮かんだ名前である。これがナイキの始まりだった。会社の売上は順調に伸びるが、内部留保やキャッシュフローを増やそうとせず、利益を全て仕入れにまわして事業を拡大する。それは全力疾走をするランナーのようで、当然ながら買掛金の支払いが大変になる。
毎月、現金と小切手をかき集めてなんとか凌ぐ、まさに薄氷を踏む連続だった。ナイトたちはいつも不渡りという怪物に追いかけられる。怪物の手が届きそうなる一瞬、自慢の足でそれから逃れる、そんな毎日だが靴への想いは尽きなかった。
ナイキを救った日商岩井のアイスマン
ナイトは、事業が拡大するにつれて、オニツカから望む製品が届かないことへの不満や製品開発に対するの意見の食い違いが大きくなり自社ブランドを持ちたいと考えるようになる。そして袂を分かつことを決心する。仕入先を無くすという大きな危機も持ち前の行動力で突破する。日商岩井(今の双日)の支社をノンアポイントで訪問して支援を取り付けたのだった。
日商岩井との契約後も拡大の方針は変えない。これまでと同じように厳しい資金繰りを繰り返す。ついに経理担当の些細なミスから不渡りという怪物に捕まってしまう。銀行はナイトに取引停止を通告するだけでなく、FBIに詐欺として告訴する。ナイト、絶体絶命のピンチである。
ナイトは万策尽きて日商岩井の経理責任者イトーに全てを打ち明ける決心をした。イトーはアイスマンと呼ばれる厳格な男でナイトが最も苦手な人物だった。そのうえイトーは内部調査で担当者スメラギの不正を見つけてしまう。ナイトがこれで全てが終わったと覚悟したとき、イトーは静かに口を開いた。
「スメラギの不正はあなた野心に免じて目をつぶります。さぁ銀行へ行きましょう」 アイスマン・イトーは銀行のやり方に怒っていたのである。ナイトは銀行で銀行員に対峙するイトーに侍の姿を見るのだった。
イトーは「みなさん」と前置きした。「私の理解では、ブルーリボンとの取引を拒否するそうですが」
ホランドはうなずいた。「そのとおりです。ミスターイトー」
「それならば、日商がブルーリボンの借金を返済します。全額」
ホランドが目を凝らした。「全額・・・?」
イトーは低く声にならない声で返事をした。私は、ホランドをにらみつけた。これが日本人だと言ってやりたかった。
(中略)
イトーは椅子を回転させ、全員を氷点下のような冷ややかな目で見つめた。
「もう一つ。お宅の銀行はサンフランシスコで、うちと取引しようと交渉しているそうですが」
「そうです」ホランドは言った。
「ああ。それならこれ以上交渉しても時間の無駄でしょう」
SHOE DOG 靴にすべてを。フィル・ナイト(著) 大田黒泰之(訳) 東洋経済新報社
その後、イトーは会社からナイキに権限以上の融資をしたとしてクビを言い渡される。イトーのような厳格な経理マンが自分の決済限度を知らないはずはない、知りながら処分覚悟で決裁したのだ。彼の胆力がなければ今のナイキは存在しなかった。一人の会社員が巨大企業の卵を救う、ビジネスはつくづく人なのである。イトーの上司である役員はクビを言い渡した後に「よくやった」と誉めた。クビはその後撤回される。
創業ビジョンの重要性
ナイトたちは社名をナイキにしてランニングシューズだけでなく、あらゆるスポーツの分野で事業拡大を続け、マラソン、テニス、ゴルフ、バスケット界の有名スポーツ選手と契約する。最大の危機となった米国連邦政府との裁判に勝ちグローバル企業に成長する。その過程も良いが社名がナイキに変わるまでがやはり面白い。
物語はナイトが引退して回顧禄を書こうとするところで終わる。ある晩、彼は仲間やスポーツ選手、旅で訪ねた場所や日商岩井の人たち、亡くした息子を思い出して眠れなくってしまう。やがて窓から見える月を眺めているうちに心が落ち着き、回顧録を書こうと決めるのだった。
「SHOE DOG」は、ナイキを育てた仲間たち、家族、有名なスポーツ選手が登場する。どのエピソードもシューズやスポーツの想いに溢れている。ナイキが、アディダスやプーマを超える大企業になったのはナイキのスポーツへの想いが他社より強かったからだろう。
ナイトは日本を訪れると、日商岩井のハヤミ氏(社長)の熱海の別荘訪れた。
「せっかくの多くの機会に恵まれながら、その機会を掌握できるマネジャーがなかなか見つかりません。
外から、人材を募っていますが、我々の精神が独特なせいか、うまくいきません」
ハヤミ氏はうなずいた。「あの竹が見えますか」と彼は聞いた。
「はい」
「来年・・・来られた時は・・・1フィート(約30センチ)伸びていますよ」
私はじっと見た。理解した。
同著 もし日商岩井がなかったらより
このような会話が日本で交わされていたとは驚きである。ナイトも、スティーブ・ジョブズが禅に傾倒したのと同様に禅に惹かれていた。禅とビジネスは相性が良いようだ。世界的大企業のナイキの誕生にオニツカタイガー(アシックス)と日商岩井(双日)と禅が関わっていたことを知ると誇らしい気持ちになる。そんな関わりから、ナイキのビーヴァートンの本社に日本庭園があり春には桜が満開になるそうである。
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