本 「ぴえんという病」 SNS時代の病みと光
新宿歌舞伎町のトー横キッズの荒んだ姿やホストに貢ぐ若い女性がテレビのニュースを賑わかしている。最近はそれに立ちんぼ女性たちが加わった。トー横はもとは社会に居場所をった若者たちが集まる場所だった。社会からの逃げ場所を求めて集まる若者の姿はどこか痛々しい。ぴえん系の女性の可愛いく見られたい、愛されたい、SNSで承認されたいという気持ちは切ない。
この本は、SNS社会の最先端に生きる若者たちの心の物語である。彼や彼女たちの病みと光とは何か、大人に分からない世界がここにある。
ぴえん系 絵文字から生き方への進化
「ぴえんという病」という本は難解である。ぴえん、卍、量産型・地雷系フアッション、自撮り界隈、OD、パキる、鬼枕など大人には未知の単語が次々と出てくる。筆者の注釈があるのでなんとか理解できるが、言葉の体感というかイメージが湧てこない。若者はこの言葉が現実として存在する世界に生きている。世代間の断絶というにはあまりにも大きいギャップがある。
「ぴえん」は「ぴえん顔の絵文字」から出てきた言葉だ。「今日はパパ活で5万引くつもりが3万しかなかった、ぴえん」や「ぴえんな女がボトルを抱えて道に倒れていたよ」「ぴえんだね」と曖昧で汎用的な意味で使われる。その意味は広がり女性たちの生き方を含むようになった。
ぴえん系の娘は、標準型や地雷系の可愛いファッションに身を包み自分をSNSで発信する、新宿の歌舞伎町を遊びの場にする若い女性たちをいう。彼女たちはの生きがいは推しのホストに貢ぐことであり、そのためには身体を売るのも厭わない。
歌舞伎町は、男たちが風俗を求めて足を運ぶ街だった。今はぴえん系の女子高生や女子大生がホストクラブに通う場所になった。過去にホストクラブはあったが金持ちのマダムが遊ぶ場所だった。それが今はピエン系の娘たちがホストをアイドルのように応援する店になっている。ホストに生きがいを見出すす「ぴえん系の女子」は苦しそうだ。それは橘玲の「無理ゲー社会」の生き難さに通じる。
ぴえん系女子と推しホスト お金だけが承認欲求を満たす
ぴえんは、若い娘にぴったりの可愛い響きの言葉だが、彼女たちの生き方はなかなか奔放である。半端の無い金額を推しのホストに貢ぐ。押しに頼まれれば何十万というボトルも入れる。その費用はパパ活や風俗の稼ぎだ。大人からみたら馬鹿なことだが真剣だ。推しに貢げない私に価値はありますかとまで思い詰める。最近は支払い能力以上に貢がすホストクラブが社会問題化したが彼女たちは止まらない。
彼女たちは女性という性にひたすら正直に生きている。フェミ二ストの言うことやLGBTなどどこ吹く風である。推しに愛されるためにひたすら可愛さを求める。ホストは男性という性を与えて彼女たちを楽しませまる。彼女たちはそんな性がむき出しの世界に癒やしを求める。「新宿鮫」の刑事鮫島は、新宿は強いものが弱いものを食う街だと言った。ぴえん系の女性はパパを食いホストが彼女たちを食う。ホストが食物連鎖の頂点にいるぴえんな世界である。
ぴえんという病 SNS時代の消費と承認 目次
「ぴえん系女子」の誕生
「トー横キッズ」の闇
歌舞伎町の自殺カルチャー
「推し活」と「男性性」の消費
ホストに狂う「ぴえん」たち
「まなざしとSNS洗脳」
歌舞伎町の住人たちの「病み(闇)」と「承認(光)
「ぴえん」という病 SNS時代の消費と承認
歌舞伎町に集まる解放を求める若者たち
歌舞伎町に集まるのはぴえん系の女子だけではない、若者たいが日常の息苦しさから逃れるためにやってくる。そんな若者が出会った仲間とトー横キッズと呼ばれるコミュニティを作った。人と自由に繋がるために集まり精神を開放する場所だった。だからトー横の王やトー横の主が現われ階層ができると息苦しく感じて去って行く。残った者が暴走して無法地帯になっってる。
ここに集まる若者、特に女性たちにとって、SNSで承認されることはとても重要で、そのためにはリストカットの映像まで投稿する。「リストカットに良いねがたくさんついた、生きていて良かったんだと思った」と19歳の少女は呟く。呟く押しに貢ぐことを生きがいにする、SNSの良いねで承認欲求を満たす、そんな生き方にやりきれなさを感じる。
昭和の若者は社会からドロップアウトして居場所を作ることができたが、今の若者はスマホによって社会に繋がれている。ぴえん系やトー横キッズも社会からドロップアウトができない。見られることを常に意識してSNSによって発信せずにいられない。続づけているうちにスマホから氾濫する情報に心の余裕を奪われ消耗していくのだ。
この本を読むのは、誰か
筆者、佐々木ちわわ氏は慶応大学在学中でぴえん系の経験者である。若者の言葉を駆使して歌舞伎町に集まる若者の生態を巧みに描きだしている。ぴえん系やトー横キッズの他歌舞伎町の自殺カルチャーやまなざしとSNS洗脳の章も面白く読める。
百物語 上之巻彼女たちはいつまで歌舞伎町に通うのだろうか。彼女たちが住む世界は独特の生ぬるさがあって抜け出すのが難しい。杉浦日向子の百物語にこんな話がある。ある旅人が道を歩いていると、ぬるま湯の溜りに首だけを出して浸かっている男がいる。男はニコニコしている。
何をしているのかと聞くと気持ち良いと答える。最初はなんとなく指を入れたら気持ち良かった。だが指を抜くと痛くなる。それでまた入れる。そのうち、手首、腕。体と繰り返してこうなった。もう出られない。水商売の世界は、湯溜まりのような温さがある。楽しいけれど満足できない何か残る。何か求めて昼の社会へ出ると厳しくて耐えられない。また戻ってしまう。
若者は歌舞伎町というバブルのなかで自分で気づくことなく消費されていく。彼らはこの先どうなるのだろう。筆者のその後のレポートに期待したい。余計なお世話だがハッピーエンドを望みたい。ところでこの本は誰が読むのだろう。ぴえん系女子や風俗で働く男性はまず読まないだろう。若者を理解するため大人に読んでほしい一冊。
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