本  「ぴえんという病」 SNS時代の病みと光 

2024年2月21日

最近新宿歌舞伎町のトー横キッズの荒んだ姿やホストに貢ぐ若い女性がニュースになっている。トー横は、もともと社会から逃げ場所を失った若者たちが集まる場所だった。彼らの姿はどこか痛々しい。この本はそんな若者のレポートであると同時に、SNS世代の若者たちの心の物語でもある。「ぴえん系の女性」の可愛いく見られたい、愛されたい、SNSで承認されたいという気持ちは切ない。SNS社会の最先端に生きる若者たちの病みと光とは、そこには大人に分からない世界がある。

ご存知、歌舞伎町

ぴえん系 絵文字から生き方への進化

大人にとって「ぴえんという病」は難解である。ぴえん、卍、量産型・地雷系フアッション、自撮り界隈、OD、パキる、鬼枕など未知の単語が続々と出てくる。筆者の注釈があるのでなんとか理解できるが、言葉の体感というかイメージが湧かない。若者たちはこの言葉が現実として存在する世界に生きている。世代間の断絶というにはあまりにも大きいギャップがある。

「ぴえん」は「ぴえん顔の絵文字」から出てきた言葉らしい。「今日はパパ活で5万引くつもりが3万しかなかった、ぴえん」や「ぴえんな女がボトルを抱えて道に倒れていたよ」「ぴえんだね」と曖昧で汎用的な言葉として使われる。今は使われる範囲が広がり女性たちの生き方を含む言葉になった。

「ぴえん系の女子」とは、標準型や地雷系の可愛いファッションに身を包み、新宿の歌舞伎町を遊びの場にしてSNSで発信を続ける若い女性を指す。彼女たちはの生きがいは「推し」のホストに貢ぐことである。そのためには身体を売ることも厭わない。

かつて、新宿歌舞伎町はありとあらゆる風俗が揃い、それに惹かれた男たちが足を運ぶ街だった。今はぴえん系の女子高生や女子大生がホストクラブに通う。昔もホストクラブはあったが、金持ちのマダムが遊ぶ場所だった。それが今は、ピエン系の女子たちがホストをアイドルのように応援するのだ。

ホストに生きがいを求める「ぴえん系の女子」の生き方は苦しそうだ。橘玲は「無理ゲー社会」で、現代の若者の生き難さを描いたがこちらも同じである。

ぴえん系の彼女たちのシャンパン

ぴえん系女子と推しホスト お金だけが承認欲求を満たす

ぴえんは、若い女の子にぴったりの可愛い響きだが、彼女たちの生き方は奔放である。推しのホストに半端でない額のお金を貢ぐ。押しに頼まれれば何十万というボトルを入れる。その費用をパパ活や風俗で稼ぐ。大人からみたらなんとも馬鹿なことだが、彼女たちは真剣である。推しに貢げない私に価値はありますか、とまで思い詰めている。最近は流石に、彼女たちに貢がすホストの在り方が社会問題になっている。

彼女たちは女性という性にひたすら正直である。フェミニズムやLGBTなどどこ吹く風である。推しに愛されるために、ひたすら可愛さを求める。ホストは彼女たちを男性という性を売ることで楽しませまる。彼女たちは性がむき出しになった世界に癒やしを求める。「新宿鮫」の刑事鮫島は、新宿は強いものが弱いものを食う街だと言う。ぴえん系の女性はパパを食い、ホストが彼女たちを食う。ホストが食物連鎖の頂点にいて、オヤジたちは最下位にいる、ぴえんである。

ぴえんという病 SNS時代の消費と承認 目次

「ぴえん系女子」の誕生

「トー横キッズ」の闇

歌舞伎町の自殺カルチャー

「推し活」と「男性性」の消費

ホストに狂う「ぴえん」たち

「まなざしとSNS洗脳」

歌舞伎町の住人たちの「病み(闇)」と「承認(光)

「ぴえん」という病 SNS時代の消費と承認

歌舞伎町に集まる解放を求める若者たち

歌舞伎町に集まるのはぴえん系の女子だけではない、日常の息苦しさから逃れるためにやってくる若者がいる。彼らは出会った仲間と「トー横キッズ」と呼ばれるコミュニティを作る。人と繋がるために集まるのである。彼らはその場所を求めながらも、「トー横の王」「トー横の主」が現われ階層ができると息苦しく感じる。今のトー横は無法地帯になったが、過去は若者たちが精神を開放する場所だった。

昭和の若者は社会からドロップアウトして居場所を作った。だが「ぴえん系」や「トー横キッズ」は社会からドロップできない。彼や彼女たちはスマホによって社会に繋がれている。見られることを常に意識して、SNSによって発信せずにいられないのだ。そしてスマホから氾濫する情報に心の余裕を奪われていく。

地雷系ファッション

歌舞伎町に集まる若者、特に女性たちにとって、SNSで承認されることはとても重要である。その欲求はリストカット映像まで投稿させる。「リストカットに良いねがたくさんついた、生きていて良かったんだと思った」と19歳の少女は呟く。押しに貢ぐことや、SNSの良いねで承認欲求を満たす。読んでいくと、そんな生き方で本当に良いのだろうかとの疑問が湧く。

まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学

この本を読むのは、誰か

筆者、佐々木ちわわは慶応大学在学中で「ぴえん系」の経験者である。彼女は若者の言葉を駆使して歌舞伎町に集まる若者の生態を巧みに描きだしている。「ぴえん系」や「トー横キッズ」の他「歌舞伎町の自殺カルチャー」「まなざしとSNS洗脳」も面白く読める。

百物語 上之巻

読んでいくとぴえん系の女子たちの心が分ってくるが、彼女たちはいつまで歌舞伎町に通うのだろうかと心配になる。このような世界は独特の生ぬるさがあり抜け出すのはなかなか大変だ。似た話が杉浦日向子の百物語にある。

旅人が道を歩いていると、ぬるま湯の溜りに首だけ出して浸かってニコニコしていいる男がいる。何をしているのかと聞くと、気持ち良いからと言う。始めなんとなく指を入れると気持ち良かった。だが指を抜くと痛くなる。また入れる。そのうち、手首、腕。体と繰り返してこうなった。もう出られない。

水商売の世界は、この湯溜まりのような生温さがある。それなりに楽しいが満足できない何か残る。その何か求めて昼の社会へ出ると厳しくて耐えられない。また戻ってしまう、抜け出せなくなるのだ。

歌舞伎町はヤンキー漫画の舞台のごとくドラマティックである。しかし狭い世界でもある。若者は歌舞伎町という小さいバブルのなかで自分で気づくことなく消費されていく。彼らはこの先どうなるのだろう。筆者のその後のレポートに期待したい。余計なお世話だがハッピーエンドを望みたい。

ところでこの本は誰が読むのだろう。ぴえん系女子や風俗で働く男性はまず読まないだろう。大人の人たちに今の若者を理解するために読んでほしい一冊である。

Posted by 街の樹