承認欲求を認めるのは大切である(序章) サラリーマン

2023年2月7日

現代は承認欲求の時代と言われている。誰でもSNSによって自分の意見を発信できて、みんなの評価を得られるようになった。考えた人は天才と言われるそうだが、SNSには発信に対して「いいね」や「コメント」が付けられる。

「いいね」の効果は凄まじく、人の心に麻薬のように浸透している。「いいね」のために、コンビニの冷蔵庫に入る青年、リストカットをする少女、ビルの屋上から落てしまうロシア人、奔放に肢体を晒す女性たち、もうなにがなんだかであるが「いいね」を求める心理は人の持つ承認欲求からやってくる。

最近はスシローのペロペロテロや吉野家の生姜を直接食べる若者と、社会の顰蹙をかうだけでなく刑事事件になりそうな「動画」をあげる若者が引きを切らない。顔を出して犯罪を犯す動画を、不特定多数が見るSNSにあげるのは捕まえてくれと言うようなものだが、これも承認欲求からやってくる。歪んだ承認欲求であるが。

ペロペロテロと承認欲求の時代

私たちは、30数年前まで芸能人や政治家などを除いて、自分が知らない人たちに評価はされることはなかった。近所の魚屋のおばさんが褒めてくれたり、飲み屋の親父に悪口を言われたりしても、隣の街の知らない人、まして地球の裏側の人から評価されることはなかった。

ところが今は、SNSによって名もない地方の少女がスターになったり、コメディアンの曲が世界的なヒットになる。個人が世界中の人々に自分の価値を問える時代になっている。経済では、GAFAが、SNSやITビジネスのプラットフォームを提供して世界を征服している。

書籍「無形資産が経済を支配する」は、将来の経済界は、生産設備に代表される有形資産を持つ企業でなく、メタヴァースのような無形資産の会社に支配されると述べている。人の欲望が車のような有形の対象から「いいね」のような無形の対象に移ろうとしている。

「いいね」は麻薬である

霊長類が誕生してから6500万年、ホモ・サピエンスが現れてから20万年、人類が文明をもってから4000年、その間人は常に他者に承認を求めている。人類は共同体で暮らすことで生存競争を有利にしてきた。人は共同体を維持するために社会性を発展させた。承認欲求は社会性を維持するための仕組みのひとつなのだ。

安定した社会を維持するには、個人が社会を混乱させる勝手な行動を取ってはいけない。行動は多数の他者が認めるものでなくてはいけない。個人は多数が承認する行動が必要である。人類の脳は、承認されるとエンドルフィン(快楽ホルモン)を分泌して快感を感じるように進化した。人にとって承認は快感となっている。逆に、承認を得られなければ、社会から否定されたと感じ孤独になる。

「いいね」は「承認」であり、エンドルフィンを分泌させる押しボタンだ。麻薬が脳に快感をもたらし依存性がある物質とすると、「いいね」は立派な麻薬といえる。SNSに承認機能がある限り、SNSを止めることはできない。承認を否定するのを脳は否定する。

ロルフ・ドベリは、それを止める有益さを著書「NEWS DIET」で述べている。アンデッシュ・ハンセンはスマホを見続ける危険を性著書「スマホ脳で」で警告している。こうなると承認欲求は悪い物のように感じるが、人が社会を営むうえでは重要なのだ。

承認欲求は相手の顔が分かる共同体で発達した

承認欲求は、ほんらいお互いの顔が分かる程度の小さい規模の共同体で発達した。承認者や被承認者は直接会える相手だった。直接会えるので暗黙の責任が伴う。現代はそれが無くなった。

SNSによって、自分を承認してくれる人の数は爆発的に増加し、自分が直接知らない承認者も急激に増えた。得られる承認の数は膨大になり、得られる快感の量もまた大きくなった。そのうえ責任が伴わない。共同体を維持するためにあった承認欲求が、快感を得る手段に変質したのだ。

共同体のなかの承認欲求は、所属する共同体の価値観や規範に沿ったものになり行動は制約される。SNSの世界に制約は存在せず(あってもアカウントの停止等わずかである)暴走しても許される。人の脳にある承認欲求と現代の科学技術の乖離が、承認欲求を暴走させている。

社会共通の価値観への信頼が崩れ・・・中略・・・「価値ある行為」によって社会から承認を得る道は、かなり限定されたものになってしまう。・・・中略・・・その結果、ごく身近に接している人々に気に入られるどうかだけが、承認を維持する唯一の方法に見えてくる。

認められたい」の正体 承認不安の時代 山竹伸二 講談社現代新書

現代社会は、価値観が多様化し細分化された社会だと言われる。個人は現実世界の細分化された社会に所属していてその社会の価値観に制約されている。所属する社会の身近な人の承認を得るために自己を規制をする。

一方SNSは、不特定多数から制約のない承認を求めることができる。現実社会で小さな社会の承認を求めながら、SNSで無限に近い社会の承認を求める。意識は、二つの分裂した承認欲求に晒される、これはけっこうしんどくて心は疲れていくだろう。

欲求説の変遷  マズローからケンリック

承認欲求についてよく紹介されるのが、ご存知「マズローの欲求5段階説」である。人は生まれながらに5つの段階の承認欲求を持つ、一つの段階の欲求が満たされると次の段階へ移る。下から、生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現の段階である。

承認欲求は、社会(かつては共同体)の中で高く評価されたい、能力を評価されたい欲求である。衣食住が足りると名誉が欲しくなる。今はマズローの説は脳科学や進化心理学の進歩によって修正され、ダグラス・ケンリックの段階説やクレイトン・アルダファーのERG説なっている。それらの説は、心は進化によってデザインされているのが前提になる。だから、究極の欲求は生殖になる。

ケンリックの説は、マズローの最終の欲求「自己実現の欲求」が「繁殖(家族)の動機」に変わる。成功すれば他者から高評価を受け、社会的地位が向上し、異性にもてて遺伝子が残せる、子育てができるのが人の究極の欲求というわけになる。どの説においても、人には承認欲求が組み込まれており逃れられない。

会社と承認欲求

承認欲求が厄介なのは、他の欲求と異なり直接的に表現されないことだ。スポーツ選手は、競技で良い成績を出しても自から凄いと言ってくれとは言わない(言う人もたまに居るが)選手はみんなが凄い成績だと評価してくれるのを待つ。自分から求めず他者が自分を評価する、二つが揃って承認欲求が満たされる。

ビジネスの世界でマズローの欲求説は良く使われている。自己実現はキャリアアップの動機付けにぴったりあてはまる。実際は自己実現よりも承認欲求が動機付けになっているのだが、自己実現が承認欲求より高位にあり言葉も高尚だからだろう。

サラリーマンにおいては、承認欲求と自己実現は上下の関係でなく裏と表の関係になる。実際は社員の承認欲求が会社を動かしている。社員の動機付けは、金や株を得られる外的モチーベーションと、承認欲求の充足という内的モチーベーションからなる。金や待遇も会社から承認された結果だから内的モチベーションの一部かもしれないが、会社は社員の承認欲求を上手く満たせれば成長できる。

承認欲求を良く活かす

ある会社は、営業員に出社は週1回で良いとした。そこまでは良かったが、出社日数が少ないので部屋と机を無くし、出社時は会議室を使うことにした。別の会社は、名前に役職をつけず「さん」付けで呼ぶことした。どちらの社員もモチベーションがあっという間に下がったそうだ。社員の承認欲求が満たされなかったのである。

コロナの影響もあり、メディアはリモートワークを高く評価している。しかしPCのモニター越しに褒められるのと、肩に手をかけられながら「よくやった」と言われるのは同じではない。リモートワークは効率的であるが、モチベーションの維持は大丈夫なのだろうか。人間の脳は、小さな共同体で暮らしたころから変わっていないのだ。

承認欲求は、仕事の原動力であるが、満たされないとやる気の喪失や嫉妬に繋がる。欲求と満足のバランスについて、うまく書かれているのが「承認欲求  認められたいをどう活かすか?」だ。承認欲求の負の側面も書かれている。マネージャーと言われる人は読んでみると良い一冊。

承認欲求と付き合うには、欲求から逃れられないと知ること、承認欲求を肯定することである。うまく付き合えれば、仕事の強力なサポーターになってくれる。