本「承認欲求 認められたいをどう活かすか?」承認欲求を認めるのは大切である(序章)
現代は承認欲求の時代と言われる。SNSが発達して、個人が自分の意見や作品を世界中に発信でき、不特定多数の人から評価を得られるようになったからだ。SNSの評価は「いいね」マークの数と「コメント」によって行われる。コメントはときに辛辣になるが、いいねは誉められるだけだから気楽である。
「いいね」の効果は凄まじく人の心に麻薬のように浸透している。いいねを求めてコンビニの冷蔵庫に入る青年、リストカットをする少女、回転ずしの割り箸を舐めて外食産業のビジネスモデルを破壊したペロペロテロ、ビルの屋上から落てしまうロシア人、奔放に肢体を晒す女性たち、過激な投稿をしていいねどころか逮捕される有様、もうなにがなんだか分からないが、いいねを求める心理は人の持つ承認欲求がなせる業なのである。簡単に承認欲求を刺激する仕組みを考えた人は天才と言われているらしい。
ペロペロテロと承認欲求の時代
私たちは30数年前まで、芸能人や政治家などを除いて自分が知らない人たちに評価はされることはなかった。近所の魚屋のおばさんが褒めてくれたり、飲み屋の親父に悪口を言われても、隣の街の知らない人、まして地球の裏側の人から評価されることはなかった。ところが今は、SNSによって世界の名もない地方の少女がスターになったり、コメディアンの曲が世界的なヒットになるなど、一個人が世界中の人々に自分の価値を問える。色んな事をやらかす人がでてきても仕方がない環境だ。
SNSのプラットフォームを提供するGAFAはビジネス界だけでなく世界を支配する巨大企業になっている。「無形資産が経済を支配する」という本には、未来の経済は生産設備に代表される有形資産を持つ企業でなく、メタヴァースのような無形資産の会社が支配すると書かれている。人の欲望の対象が車のような有形のものから「いいね」のような無形に移っている。
「いいね」は麻薬である
霊長類は6500万年誕生した。ホモ・サピエンスが現れてから20万年、人類が文明をもってから4000年、人は常に他者の承認を求めてきた。人類は、生存競争に勝つ戦略として集団で暮らすことを選び、共同体を維持するために社会性を発展させた。承認欲求は社会性を維持するために重要な仕組みのひとつである。
安定した社会の維持は、個人が社会を混乱させる勝手な行動を取らないことが重要になる。個人の行動は多数の他者が認めるものでなくてはいけない。他者に承認される行動であるのが必要だ。そのため人の脳は他者から承認されるとエンドルフィン(快楽ホルモン)を分泌するように進化した。人は承認されると快感を得る。逆に否定されると会から否定されると孤独になる。
「いいね」はエンドルフィンを分泌させる押しボタンだ。脳に快感をもたらし依存性がある物質が麻薬とすると「いいね」は物資ではないが立派な麻薬だ。脳はいいねに依存しSNSををやめない。ロルフ・ドベリは、著書「NEWS DIET」止める有益さを述べている。アンデッシュ・ハンセンは著書「スマホ脳で」スマホを見続ける危険を警告している。だが承認欲求は人が社会を営むうえで重要なのである。
承認欲求は相手の顔が分かる共同体で発達した
承認欲求は、もともとお互いの顔が分かるくらいの小さい共同体で発達した。承認する人も承認される人々も直接会える間柄だった。直接会うので承認や批判に暗黙の責任が伴う。共同体の承認はその価値観や規範に沿って、個人の行動は制限される。
SNSの世界は匿名であり制約は存在せず暴走しても許される。(あってもアカウントの停止等わずかである)人の脳が持つ本来の承認欲求と現代の科学技術の乖離がこの状態を生んでいる。SNSの世界は、自分が知らない人を含め得られる承認の数を爆発的に増やし得られる快感も増加した。共同体を維持する目的の承認欲求が、個人が快感を得る手段に変質したのである。
社会共通の価値観への信頼が崩れ・・・中略・・・「価値ある行為」によって社会から承認を得る道は、かなり限定されたものになってしまう。・・・中略・・・その結果、ごく身近に接している人々に気に入られるどうかだけが、承認を維持する唯一の方法に見えてくる。
「認められたい」の正体 承認不安の時代 山竹伸二 講談社現代新書
現代社会は、価値観が多様化し細分化されている。個人は、細分化された現実社会に所属し、その価値観に制約され身近な人の承認を得るために自己を規制をする。一方、SNSは不特定多数の制約のない承認を求められる。現実世界では、小さな社会の承認を求めながら、SNSでは無限に広がる社会の承認を求める。個人は二つの分裂した承認欲求を持つ。これでは心は疲れるだろう。
欲求説の変遷 マズローからケンリック
承認欲求といえばご存知「マズローの欲求5段階説」だ。人は生まれながらに5つの段階の承認欲求を持ち、一段階の欲求が満たされると次の段階へ移る。生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現と進む。承認欲求は自分の人格や能力を高く評価されたい欲求である。人は衣食住が足りると名誉が欲しくなる。
最近はマズローの説は脳科学や進化心理学の進歩によって修正され、ダグラス・ケンリックの段階説やクレイトン・アルダファーのERG説なっている。新しい説では、心は進化によってデザインされるので究極の欲求は生殖になる。
ケンリックの説では、マズローの最終の欲求「自己実現の欲求」は「繁殖(家族)の動機」に変わる。成功すれば社会的地位が向上し、他者から高い評価を受け異性にもてて遺伝子が残せる、子育てができるのが究極の欲求になる。今の少子化の状況を見れが当たっているのか分からないが、どの説でも人は承認欲求から逃れられない。
会社と承認欲求
承認欲求が厄介さは直接的に表現されないことにある。競技で良い成績を出したスポーツ選手は、自から他者に凄いを求めず(言う人もたまに居るが)、みんなが凄いと言ってくれるのを待つ。表に出さないけれど、他者が評価してくれると満たされる。
その特徴はビジネスの世界でよく使われる。マズローの自己実現はキャリアアップの動機付けにぴったりあてはまる。事実は自己実現よりも承認欲求が強い動機になるのだが、自己実現が承認欲求より上にあり言葉自体も高尚に感じるから使われるのだ。
サラリーマンにとって、動機は金や株を得られる外的モチーベーションと承認欲求の充足という内的モチーベーションからなる。承認欲求と自己実現は上下の関係でなく裏と表の関係になる。会社を動かしているのは社員の承認欲求である。社員の承認欲求を満たせれば成長できる。
承認欲求を良く活かす
ある会社は営業員の出社は週1回で良いとした。そこまでは良かったが、出社日数が少ないので部屋と机を無くし、出社時は会議室を使うことにした。別の会社は、名前に役職をつけず「さん」付けだけでで呼ぶことした。どちらも、あっという間に社員のモチベーションが下がった。承認欲求が満たされなかったのだ。
メディアはリモートワークを高く評価しているが、PCのモニター越しに褒められるのと肩に手をかけられながら「よくやった」と言われるのは決して同じではない。リモートワークは効率的であるがモチベーションの維持が難しい。人の脳は小さな共同体で暮らしたころから変わっていないのだ。
承認欲求は、仕事の原動力になるが満たされないとやる気の喪失や嫉妬に繋がる。そんな欲求と満足のバランスについてうまく書かれているのが「承認欲求 認められたいをどう活かすか?」である。マネージャーが読むと良い一冊。
承認欲求と付き合うには、欲求から逃れられないと知ること、承認欲求を肯定することである。うまく付き合えれば、仕事の強力なサポーターになってくれる。
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