本 「失敗の進化史」人類はできそこないである
なかなか刺激的なタイトルだ。部下や上司のの出来が悪いと思っても人類そのものができそこないと思う人は少ないだろう。人類は、ダーウィンの進化論では自然淘汰の競争を勝ち抜いた勝者であり、キリスト教では神が自らの姿に似せて作った特別な存在である。筆者はそんな存在をできそこないと呼ぶ。
進化論の進化 ダーウィン進化論から中立進化論へ
進化論はダーウィンの時代から随分進化した。冥王星が惑星から外されるくらいだから変わってもおかしくない。現代の進化論の主流は、日本の木村資生が提唱した中立進化論から太田朋子の分子進化のほぼ中立説である。その理論では、人類は自然淘汰の勝者ではなく神の作りし特別な存在でもなく、たまたま環境に許されて繁栄した種となる。ダーウィンの進化論と中性進化論を比較すると以下になる。
ダーウィンの進化論
進化とは生存に有利な突然変異が、自然淘汰を受けて集団全体に広まった結果である。
中立進化論
進化とは 、DNAやタンパク質といった分子レベルで、偶然に発生した突然変異の遺伝子が、自淘汰とは無関係に 集団に固定した結果である。
木村資生や太田朋子が進化論の主流になったのは、世界の人類学者の殆どがキリスト教国出身だったことによる。敬虔なキリスト教徒に聖書を信じ進化論を否定する人たちがいる。米国民の約半分は聖書の天地創造を信じているそうだ。人類学者が進化論を否定することはないが、聖書にある人間が一番優れた生物というの束縛からは逃れられない。
ために人が偶然の産物とかできそこないとは考えにくい。それに比べていい日本は加減と言ってもよいほど宗教から自由である。日本人は宗教の影響なしに人類を見られたから中立進化論を考えることができたのだろう。日本ではあまり知られていない中立進化論だがもっと広く知られて欲しいものだ。
人類はできそこない? 失敗の進化史
中立進化論が主流になったもうひとつの理由はゲノム解析技術の発達である。タンパク質は分子レベルで頻繁に突然変異を起こしていることが分かった。変異した遺伝子は、生存に有利ではないのに集団に固定されるものがある。ダーウィンの進化論なら生存に不利な遺伝子は淘汰されて残らないが、現実は残る遺伝子があるのだ。遺伝子は環境が許せば必ずしも自然淘汰されない。遺伝子の世界も実力より運なのである。
人類は遺伝子の変異と環境に許されて生き残ってきた種である。遠い先祖は木登りネズミで捕食者から逃げ回る存在だった。恐竜が隕石の衝突により絶滅するという偶然に主役のチャンスがまわってきた。ネズミは機会を逃さず霊長類に進化した。霊長類は樹上で快適に暮らしていたが、他の猿によって樹上から追い出されてしまう。
仕方なく木から降りてサバンナに住むことになった。そんな暮らしに直立2足歩行を始めたら脳が発達した。大きな脳と直立2足歩行は、人類に便利な尾を無くさせ、痔や腰痛、高血圧、難産と長期の子育てを与えた。体内でビタミンCも作れなくなった。知恵は着いたが動物としてできそこないの身体になった。
その引き換えに何を得たか、火や道具を使える、高い視野と霊長類最大のペニスやセクシーな胸、正常位での交尾ができるようになった。他の哺乳類に痔や腰痛はない、高血圧もない、老年期がなくて死ぬ寸前まで生殖能力がある。正常位と死ぬまでの生殖能力どちらが得なのだろう。
そんな不具合を抱えながら地上生活にやっと慣れた頃、大規模な地殻変動がアフリカ東部起きて住み慣れたサバンナを追い出されてしまう。そこから世界に向けて苦難の旅が始まる。人類は望まない環境ばかりへ追いやられてしまう負け犬だった。
人類は、自然に受け入れられて繁栄しているが、いつも富の取り合いや戦争をして自らを苦しめている。他の動物と比べると、その行為は出来損ないがすることだ。
目次
はじめに 人類は700万年かけてできそこないになった
第1章 人類は「負け犬」だった。 生存競争に敗れて森からさった
第2章 アフリカから追い出された人類 常識を覆す人類の移動史
第3章 人類は進化の過程で何をうしなったのか 進化とは「トレードオフである」
第4章 私たちに今でも残る、できそこないの痕跡 がらくたDNAも遺伝する
第5章 人類の進化に「完成形」は存在しない わたしたちどこへ向かうのか
人類はできそこないである 失敗の進化史 斎藤成也 SB新書
人間の社会にも退化はある
一般的なイメージの進化はより良い方向に進むものだが、実際は単に時間による変化にすぎない。進化に良い悪いの価値観は無く退化もまた進化の一部になる。仮に良い方向にしか進まないなら、人間社会はもっと良くなっている筈だ。だが戦争や犯罪は無くなるどころか激しくなっている。
女性は歴史上の長い期間男性と同等の権利を持てなかった。現在先進国では男女平等が進んでいる。しかし逆行する国はたくさんある。イスラム教国や発展途上国に野蛮な習慣が根強く残っている。タリバンやISは女性の人権どころか生命すら無視する。ウクライナに侵攻したロシア兵は女性たちを犯す。人間は退化しているのかもしれない。
人類は変化して行く
人類がたまたま環境に適応できた存在とすると、環境次第でどうなるかわからない。偶然により絶滅する可能性はおおいにある。ネアンデルタール人はホモサピエンスより大きな脳と強い体を持っていたが滅亡した。
筆者が中立進化論を通して言いたいのは「人類はできそこない」でなく「たまたま存在を許された種」であることだろう。今の人類は存在を許してくれた自然に対し傲慢過ぎないだろうか。地球や生物に対してもっと謙虚になるべきだ。いじらしく生きてきたご先祖様を知ると謙虚になる一冊。
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