本 「その日暮らしの人類学」その日暮らしという生き方
「その日暮らしの人類学」はタンザニアのフィールドワークから書かれた。タンザニアの人たちは小規模な商売で生計を立てながら、困ったときは友人に金を借りて前へ前へと進んでいく。そこには日本人とまったく異なる生き方がある。
彼らは終身雇用や年金制度の崩壊に怯えて絶望する日本の若者たち（無理ゲー社会）と異なり、物質的な豊かさに恵まれなくても精神的に豊かな社会を生きている。彼らにとって未来は心配する対象でなく何かを始めるチャンスなのだ。
Living for Today 今しか考えない人達
本はブラジルのアマゾンに暮らすピタハンという種族から始まる。彼らは現在を表す言葉しか持たない。彼らの言語に過去や未来を表現する単語が無い。過去がこうだったからこうしようとか、明日のために準備するという概念が存在しない。その時のみに生きている人たちだ。
アフリカに住む農耕民族トングウェ人は、できるだけ少ない努力で暮らそうとする。将来に起きることは起こったときに考えれば良い。農業をしても作物は最小限を育て蓄えは持たない。彼らもその日暮らしの人たちだ。
タンザニアの若者は、仕事は仕事と割り切り気軽に職業を変えながら生きている。困窮したら知人に金を借りる。自分に金があれば他人に貸す。貸した借りたでその日を暮らす。
日本人は未来の心配ばかりしているが、その日暮らしの人たちは世界に大勢いる。そのような人たちは、日本人の知らないところで、大きなグローバル経済圏を作っている。その日暮らしとグローバル経済はどのように繋がるのか、筆者はその社会と生き方を活き活きと描く。
目次
Living for Todayの人類学に向けて
第１章 究極のLiving for Todayを探して
第２章 「仕事は仕事」の都市世界 インフォーマル経済のダイナミズム
第３章 「試しにやってみるか」が切り開く経済のダイナミズム
第４章 下からのグローバル化ともう一つの資本主義経済
第５章 コピー商品/偽物商品の生産と消費にみるLiving for Today
第６章 仮をまわすしくみと海賊的システム
Living for Todayと人類社会の新たな可能性
同著
その日暮らしの経済と心の豊かさ
目標や職業的アイデンティティを持たず、浮遊・漂流する生き方は、わたしたちにはいきづらいようにみえる。だが、「カネがない」の意味で「困難な人生」と語られることは多くても、前へ前への生き方に特別な不安感や空疎さを重ねる言葉をほとんど聞いたことがない。
「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済
タンザニアの若者は常に前へ前へ進もうと考えている。金が貯まれば新しい商売を始める、商売が上手くいけば商売のノウハウを他人に簡単に教えてしまう。大勢がその商売に殺到して自分は儲からなくなってしまう。それでもノウハウを隠そうとは決して考えない。
商売の元手として溜めた金も、借すように頼まれたら優先して貸す。みんながそのように考えるので、貸したり借りたりで金は仲間の間をグルグル回って、結果としてなんとか暮らしていける。彼らは、金を借りるより、貸した金を督促するのに罪悪感を感じるのである。
彼らの商売は個人の小さなものだが、それはインフォーマル経済と呼ばれ遠く中国まで繋がってる。中国で商品を仕入れアフリカで売るのである。一人の商売は小さいが、多くの商売が集まった結果「下からのグローバル化」と言われるほど大きい経済規模になっている。
商品はコピー品や粗悪品、知的財産権を無視した物、など何でもありである。アフリカの市場には、安かろう悪かろうの需要があり、タンザニアの人たちはそのような商品を売りながら毎日を生きているのだ。
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タンザニアの殺到する経済、インフォーマル経済のダイナミズム
インフォーマル経済は、日本ではあまり知られていないがアフリカと中国の間にある大きな経済圏だ。個人が勝手にする商売を基本とするからインフォーマルと言われる。その商売の始まりは細くて小さなネズミの道に例えられる。しかし拡大するのは早く、商人の数が増えていくにつれてゾウの道のように広く大きくなる。
インフォーマル経済はいまやゾウの道である。２０００年代に中国が生産拠点になった頃から急速に拡大して、世界経済に占める割合も増加し続けている。ただ拡大しても個人対個人の少額取引の形態は変わらない。個人間の信用取引であり、詐欺にあっても騙された方が悪いで終わる。そこにあるのは「法律には違反するかもしれないが、社会的には認められる」という暗黙のルールだけである。まさに生き馬の目を抜くような世界で、アフリカ人と中国人は日々商売をしているのだ。
筆者の小川さやかは、アフリカ東部（主にタンザニア）から香港や広州をフィールドに「Living for Today 」と「 Informal economy」を研究をしている。タンザニア人の人生観、中国人の知的財産権を無視する意識、アフリカ人と中国人の親和性をわかりやすく面白く説明している。
アフリカと中国のインフォーマル経済
アフリカの商人たちは香港を窓口にして広州や深圳ヘ向かう。昔シンドバットが住んでいた広州に今はアフリカ商人が住んでいる。彼らが求めるのは中国企業が作る小ロットの廉価な製品である。中国人は、コピー品や廉価品、携帯電話など何でも作ってしまうのだ。
製造会社は山塞企業と呼ばれる。山塞とは山賊の要塞を指す。山賊のように法律を守らずに商品をつくるから山塞企業である。彼らは、西欧的な知的財産権、契約書、品質保証や品質管理の意識を持たないが、ダイナミックな開発力と価格競争力、何でも短時間で作ってしまう。
その製品は基本的に「安かろう悪かろう」だが、アジアやアフリカにそんな商品を求める人たちが沢山いる。日本人に理解し難いが「金はないが直ぐに欲しい」「ちょっとの間使えれば良いからから高品質はいらない」というニーズがあるのだ。「安物買いの銭失い」は日本だけの感覚なのだ。
日本ではインフォーマル経済の実態がほとんど報道されないので、日本人は中国経済の強さやの本質やアフリカ人の購買動機が理解できないが、世界経済の３割を占めるようになっている。この章には、チョンキンマンション、ムーンライト企業、リアルコピーの聞き慣れない名詞が多く出てくる。その言葉はインフォーマル経済の本質と中国と東アフリカの経済の結び着きの強さを現している。最近、中国政府とアフリカ各国の繋がりがよく話題になるが、その土台には昔からの庶民の草の根の交流がある。中国政府の経済援助だけが成り立たせているわけではない。
チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学
日本人が知るべき「その日暮らし」の価値感
誰でもいいから助けてくれないかと、アドレスの順に沿って電話する。毎日のように金を送り合っているので、たまに誰からいくら借りてだれにいくら貸しているのか混乱する、ただ、その時々に金を持っていた誰かが食い扶持をくれたことに変わりがない。自分だって金があるときそうしている。
キオスク店主 ２０代なかば 同著
タンザニアの「その日暮らしの生活」は気軽な貸し借りが成り立たせている。彼らは借りるのも貸すのも当然と考えている。哲学者ナタリー・サルトゥー＝ラジュやマルセル・モースは、共同体には貸し借りができる概念が重要という。
タンザニアと異なり日本の共同体は他人に物を借りるのは恥とされる。日本人はいつも他人に迷惑をかけないように生きている。職場では生産性向上や高品質を考え、家に帰れば老後の心配をする。将来の金を蓄えるために今を犠牲にするのは当然と教えられる。イソップ物語の「アリとキリギリス」のアリである。
「DIE WITH ZERO」の著者、ビル・パーキンスは問いかける。アリはいつ遊ぶことができるのだろうか。勤勉な日本人はいつ楽しむのだろうか。日本は技術が発達して豊かになったが、日本人は技術と豊かさに追い詰められている。ちょっと昔まで日本でもお米や醤油を貸し借りをした。それを忘れてしまっている。
タイには「リストラを嘆くより割増の退職金を喜ぶ人たち」がいる。「その日の暮らしで生きていく」社会は世界中にある。そこでは物質的には貧しいけれど幸せがある。タンザニア人は仕事に縛られず友人と携帯電話があれば十分なようだ。日本人から見ればなんとも自由な生活である。
アリのように働く日本人も、タンザニア人や中国人の生き方を知れば、少しは発想が変わるのではないだろうか。
毎日が息苦しい人、中国とアフリカの経済関係に興味のある人にお勧めの一冊。