サラリーマンのマナー 生産性よりも成果を目指せ

2024年1月6日

サラリーマンの働き方がコロナをきっかけに変わってきた。在宅勤務やリモートワークが推奨され対応する技術も改良されている。リモートワークは他者との接触を無くせると同時に移動の時間を削減する。それによって改めて日本のサラリーマンの生産性の低さが浮き彫りになったと言われる。

メディアはオフィスはもう必要ないもっと人員削減が可能だという意見でいっぱいだ。確かにそうなのだが普通のサラリーマンにとってはなんとも落ち着かない日々である。

生産性という呪縛

生産性はコストに対する成果量の比率である。少ないコストで大きな成果が出したら生産性が高い。あたり前である。生産性は成果をコストで割ると出てくる。製品やサービスの産出量・産出額であるアウトプットを投入量すなわちコストであるインプットで割る。これが日本の会社を呪縛する。

会社の生産性で重視されるのが一番高くつく人件費だ。サラリーマンの生産性が上がると会社は儲かる。サラリーマン一人一人の能力を上げれば少ない人数で成果を上げられる。MLBの大谷選手のようなサラリーマンを作れば会社は儲かるはずである。だから生産性の向上が必要なのだ。

とは言っても悲しいかな人によって能力は異なる。生産性の高い人ばかりではない。生産性の指数は成果をコストで割るので成果が出ていたら生産性は高くなる。しかしその生産性の高さは結果に過ぎないのではないか。

2019年、学研教育研究所の調査によると、小学生男子のいちばんなりたい職業がユーチューバーになったらしい。会社員はというと男女ともに11位であり人気があるのか無いのかわからない。会社でも「小さい頃から会社員になるのが夢だった」という話しはあまり聞かない。殆どの社員はなんとなく就職活動をしてなんとなくなる、それがサラリーマンである。

ただこの「なんとなく」に意味がありそうだ。嫌だったら「なんとなく」で選ばないだろう。少し古い国際労働機関の調査では日本の自営業の割合は全体の15%しかない。順位は71位でとても低い。日本には自営業は少ないのである。現在は法律改正によりIT関係の起業家やフリーランスが増えているが、2019年の調査でも会社員が85%を占めている。日本は会社員が圧倒的に多い国なのである。

日本は農耕社会

日本社会は3000年くらい前に狩猟採集から農耕や稲作社会に移行した。稲作は治水や灌漑、里山の管理など多くの共同作業を必要とする。麦作に比べても共同作業が格段に多い。日本社会は稲作共同体として形成されてきたのだ。

稲作は自然が相手なので西洋の安息日ような概念はない。日照りが続けば水を供給し洪水になれば土手を守らねばならない。作業があればあるだけ働くのである。それには全員の協力がないとできない。一人が休めば残りの人たちの負担が増える。「人様にご迷惑をかけない」や「迷惑をかけるのは恥」の文化が必要だった。

日本に西欧型の会社が設立されたのは明治時代になる。坂本龍馬が幕末に作った丸山社が日本初の株式会社とも言われるが本格的な西洋型会社は明治に入ってからだ。その時代の経営者と労働者はブルジョアジーとプロレアートという西欧と同じ形態だった。

やがて日本人は経営に稲作文化を組入れていく。労使対立でなく労使一体になり、社長も専務も部長も平社員も農作業のように一緒に汗を流した。意思決定は強力なリーダーシップでなく合議を重視する(悪名たかい稟議である)株主の利益より会社で働く人や取引先の利益を優先した。

稲作をするように働くので、会社と家庭は切り離された存在ではなく長時間労働は苦にならない。男が田に出る、会社で働く間は奥さんが家庭を守り子育てをするのは当たり前だった。そんな稲作社会型の会社を作ったのだ。

組織は経営者を頂点とする三角形のままにしながら社員の意識はフラットだった。社長は社員と同じ食堂で食事をして給与格差はとても小さい。日本人にとって会社は村の田んぼだった。その稲作型会社がグローバル経済のなかで大きな成果を上げた。欧米から、エコノミックアニマルと揶揄され非人道的と批判されても当のサラリーマンはなんとも思っていなかった。満員電車に詰め込まれようがサービス残業が続こうが文句を言いながら懸命に働いた。

良い製品を作ろうとし売上が上がるとみんなで祝った。稲を豊作にするのと同じ感覚だった。今ある日本の世界的な企業はこの時代に成長している。本田宗一郎や森田昭男、井深大、稲森和夫の経営能力は素晴らしかったけれど、寝食を忘れて働いたサラリーマンの力も大きかったのである。

その頃、誰も生産性などは考えていなかった。会社で働くこと自体が楽しかった。テレビはOhモーレツや24時間戦えますかのCMを流し人はプロジェクトXに涙を流した。そんな働き方が好きだった。いろんな課題はあったが当時のサラリーマンは今のサラリーマンより幸福だったようである。

生産性という言葉を意識しすぎない

米国はそんな日本経済が疎まして仕方がない。したたかな米国は日本政府に圧力をかけ、生産性の向上を名目にして、欧米流のビジネスモデルを日本企業に導入させた。優秀なはずの米国モデルを導入した日本企業はつぎつぎに輝きを失っていった。日本人特有の働き方を捨てた企業は狙い通りに米国企業に勝てなくなった。

もっと働きたいのに時間外労働の制限で働けない、実験を続けたいけれど退社時間が迫るので止めなければならない。米国のベンチャー企業の社員が猛烈に働いているときに、日本は工場部門も開発部門もみんな同じ労働基準で働かねばならない。無駄に見えるが必要な作業も生産性が低いと切り捨てられる。これでは勝てるわけがない。

日本企業は日本人の特性にあわせた働き方を必要としていた。日本人は共同作業に喜びを感じるようになっている。みんなが集まってワイワイガヤガヤと働くのが好きで、チームプレーが大好きだ。その働き方は一見すれば生産性が低く見える。それを止めないとグローバル競争に勝てないと言われた。

日本人は体力や集中力で欧米人に劣る。しかし持続力や共同作業は得意である。外国に勝つには同じ働き方では駄目なのである。それがわからなかった。誰も言わないが同じようにしていては勝てない、日本人の特性を活かした働き方を捨てた結果が今なのである。

アップルのスティーブ・ジョブズやナイキのフィル・ナイトは昭和の日本人のように働いている。イーロン・マスクはX(エックス)の社員に会社に出てこいと言っている。彼らは生産性を意識せず成果を見ている。新しいものを生み出すときに生産性は無意味である。

成果が無ければ生産性の計算はできない。サラリーマンは生産性でなくもっと成果や売上を意識すべきだろう。成果を生み出すには新しいモデルが必要だ。それを目指さないといけないのである。成果をあげてなんぼと考えるべきである。会社がしんどいと嘆くサラリーマンは、日本人には日本人の働き方があるのだと開き直って(もちろん心の中で)仕事をしてみたらどうだろう。