本 「失敗の進化史」人類はできそこないである

2024年9月19日

なかなか刺激的なタイトルだ。同僚の出来が悪いと思っても、人類そのものができそこないと思う人は少ない。人類は、ダーウィンの進化論では自然淘汰の競争を勝ち抜いた勝者であり、キリスト教では神が自らの姿に似せて作った特別な存在であり、できそこないから最も遠い生物の筈なのに、筆者はなぜそう言うのだろうか。

進化論の進化 ダーウィン進化論から中立進化論へ

進化論は、ダーウィンの時代から随分進化している。冥王星が惑星から外されるくらいだから進化論が変わってもおかしくない。最新の進化論は、日本の木村資生が提唱した中立進化論から、田朋子の「分子進化のほぼ中立説」になっている。

その理論では、人類は自然淘汰の勝者ではなく、神の作りし特別な存在でもなく、たまたま環境に許されて繁栄した存在になる。ダーウィンの進化論と中性進化論を比較すると以下のようになる。

ダーウィンの進化論

進化とは生存に有利な突然変異が、自然淘汰を受けて集団全体に広まった結果である。

中立進化論

進化とは 、DNAやタンパク質といった分子レベルで、偶然に発生した突然変異の遺伝子が、自淘汰とは無関係に 集団に固定した結果である。

なぜ日本人の木村資生や大田朋子が進化論の主流になっているのか。これまでの人類学者は殆どがキリスト教国出身だった。敬虔なキリスト教徒のなかには聖書を信じ進化論を否定する人がいる。米国民の約半分は聖書の天地創造を信じているそうである。

人類学者が進化論を否定することはないが、聖書の「人間が一番優れた生物」の束縛からは逃れられず「偶然の産物」とか「できそこない」とは考えない。だが、日本人はいい加減と言ってもよいほど宗教から自由である。日本人から中立進化論が生まれたのは偶然ではなく、宗教の影響なしに人類を一つの種として見られたからだろう。日本ではあまり知られていない中立進化論だがもっと広く知られて欲しい。

人類はできそこない? 失敗の進化史

中立進化論が主流になったもうひとつの理由はゲノム解析技術の発達がある。それによって、分子レベルでタンパク質が頻繁に突然変異を起こしていることが分かった。変異した遺伝子のなかには、生存に有利ではないにもかかわらず集団に固定されるものがある。

ダーウィンの進化論であれば生存に不利な遺伝子は淘汰されて残らないはずだが、実際は残るものがある。必ずしも自然淘汰されないのである。環境がたまたま許せば残るのである。遺伝子の世界も実力より運が大きいのだ。

人類の遠い先祖は木登りネズミだった。ネズミは捕食者から逃げ回る存在だったが、恐竜が偶然に起こった隕石の衝突により絶滅したために主役になれるチャンスがまわってきた。木登りネズミはそれを逃さず霊長類に進化した。進化した霊長類は樹上で快適に暮らしていたが、他の猿によって樹上から追い出されてしまう。

仕方なく木から降りた霊長類はサバンナに住んだ結果、直立2足歩行が必要となる。仕方なくそれを始めると脳が発達した。脳の発達は、身体に色んな不具合を発生させる。大きな脳と直立2足歩行によって、便利な尾を無くし、痔や腰痛、高血圧、難産と長期の子育てが必要となる。ビタミンCも体内で作れなくなる。知恵は着いたが、身体は「できそこない」になった。

その引き換えに得たのは、火や道具、高い視野と霊長類最大のペニス、セクシーな胸、正常位での交尾だった。人以外の哺乳類に痔や腰痛はない、高血圧もない、老年期がなく死ぬ寸前まで生殖能力がある。どちらが幸せなのだろう。

そんな不具合を抱えながらも、地上生活にやっと慣れた頃、アフリカ東部に大規模な地殻変動が起き、今度はサバンナを追い出されてしまう。世界中に向けて苦難の旅が始まる。人類は常に望まない環境へ追いやられてばかりだった。どちらかというと「負け犬」だったのである。

ただ環境はたまたま人類を受け入れた。それで繁栄したが、自分たちで富や資源の取り合いや戦争を造りだし苦んでいる。その姿は他の動物に比べると出来が悪いと言えないだろうか。

目次

はじめに 人類は700万年かけてできそこないになった

第1章 人類は「負け犬」だった。 生存競争に敗れて森からさった

第2章 アフリカから追い出された人類 常識を覆す人類の移動史

第3章 人類は進化の過程で何をうしなったのか 進化とは「トレードオフである」

第4章 私たちに今でも残る、できそこないの痕跡 がらくたDNAも遺伝する

第5章 人類の進化に「完成形」は存在しない わたしたちどこへ向かうのか

人類はできそこないである 失敗の進化史 斎藤成也 SB新書

人間の社会にも退化はある

一般的に進化は良い方向に進むイメージがあるが、そうではなく単に時間による変化にすぎない。進化に良い悪いの価値観は無く、退化もまた進化の一部なのだ。必ず良い方向に進むなら人間社会も良くなっている筈である。

しかし、戦争や犯罪は無くなるどころかより激しくなり増加している。女性の人権侵害も酷くなった。女性は歴史上の長い期間、男性と同等の権利を持てなかった。先進国は男女平等が進んでいるが、逆行する国もたくさんある。

イスラム教の国や発展途上国に不平等な習慣が根強く残る。タリバンやISは人権どころか生命すら無視する。ロシア兵が犯したウクライナ女性たち、野蛮な行為が次々と発生している。人間は退化しているのだろう。

人類は変化して行く

人はたまたま環境に適応できた存在とすると、未来の環境次第でどうなるかわからない。偶然により絶滅する可能性もある。ネアンデルタール人はホモサピエンスより大きな脳と強い体を持っていたが滅亡した。私たちがそうならないとは限らない、「猿の惑星」が現実になるかもしれない。

遺伝子に奇妙な変異が起こり、それが偶然に許されれば奇妙に進化する。X-menのウルヴァリンやマグニート、ウォーターランドのマリナーのような人間が現れる可能性は十分にあるのだ。人類が地球環境の変化について行けなくなることも考えられる。

人類はけっこう脆弱なのだ。決して他の種より抜きんでていたわけではない。失敗し続けながら優しい偶然によって生存を許されてきた。優しい偶然が無くなれば簡単に絶滅する。恐竜の後に哺乳類が繁栄したように、自然は用意した種を登場させる。それだけである。

筆者が中立進化論を通して言いたいのは「人類はできそこない」でなく「たまたま存在を許された種」であることだろう。そんな人類を許してくれた自然に対し傲慢過ぎないだろうか。人は地球や生物に対してもっと謙虚になるべきだ。いじらしく生きてきたご先祖様の姿を知ると自然に対して謙虚になれる一冊。

Posted by 街の樹