本 「世界の賢人16人が語る未来」 コロナは世界を変えたのか
コロナは世界に何をもたらしたのだろうか。特別に何か変わったことはないが、世界の人たちはコロナ以前より不幸になったようだ。そのコロナの流行中、世界の賢人と言われる人たちが社会や人類、歴史、環境保護、外交についてポストコロナを予測していた。
ポストコロナを語ったのは「ハーバート白熱教室」のマイケル・サンデル、「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリ、「21世紀の資本」のピケティ、活動家ナオミ・クライン、ソ連崩壊を予言したエマニュエル・トッドなど賢者の名に恥じない人たちである。賢人たちに共通するのは主義や主張が異なっても未来を楽観的に見ていることある。彼らが予測したポストコロナの世界は、今のコロナが終息した世界とどのくらい違っているのか、興味深い一冊になっている。
コロナが露わにしたもの
賢人たちは人類に対する深い愛情と専門家らしい洞察力をもってポストコロナを予測している。彼らが最初に指摘したのは新自由主義や能力主義(メリトクラシー)の弊害をコロナが露わにしたことだ。社会の分断と格差は病気の情報共有や対策を妨げ収束を難しくした。
人々は情報の共有ができないため政府の拙速な意思決定を許した。平時なら長い議論を必要とする法律や規則がコロナ対策の名目で拙速に決められた。個人の権利の制限や監視も感染症対策を理由として進んだ。権力者は、特例で成立した法律や制限をコロナ以降に維持したいと望めば容易にできる。
人類は、コロナ対策に翻弄されながら独裁主義や監視社会を容認しようとしていた。選択を間違えば暗黒社会が到来したのだ。コロナ対策を理由に独裁や監視を支持する人は確実に増え独裁主義国家の数も増加した。賢人たちが指摘した独裁と監視社会の危機を回避できたかまだ分からない。それでも、賢人たちは楽観的で人類はコロナを奇貨として未来の感染症や災害を乗り越える体制を構築できると予想している。
人口学者が語る国家経営とコロナ対策
お年寄りを救うのは道徳上、絶対にしなくてはならないことではあります。
ドライな社会分析で大変恐縮ですが、社会の活力の尺度となるのは、子供を作れる能力であり高齢者の命を救える能力ではありません。
ーエマニュエル・トッドー新しい世界 世界の賢人16人が語る未来
人口学者エマニュエル・トッドの提言はひときわ興味深い。彼は赤ん坊の出生率からソビエト崩壊を予想し的中させた実績をもつ。その学者が国家のほんとうのあり方を人道的な批判を覚悟をしながら述べている。
コロナ対策の評価はドイツは成功しフランスは失敗したとされる。フランスのコロナの死者数がドイツのそれを上回ったからだ。人口の増減を見れば、一年間の出生者数から死者数を引いた人口数は、フランスはプラス14万で増加、ドイツはマイナス20万で減になった。フランスは若い国家に成りドイツは老いた国家に向かっている。国家の活力は若者が生み出すからフランスの将来はドイツより明るい。ドイツはコロナ対策に成功したがフランスは国家の経営に成功しているのだ。
トッドの意見を日本で言えば、老人の命を軽んじているとワイドショーのネタになり批判の嵐に晒されるだろう。だが彼のような大局的な判断が国家の運営に必要なのだ。その意見を受け入れる欧州は日本より論理的で社会の懐が深いと言える。
日本の古事記に似た話がある。イザナギノミコトとイザナミノミコトの黄泉平坂の問答だ。イザナミノミコトは千引の岩を境に夫イザナギノミコトに告げる「愛しい人よ、こんなひどい事をするなら、私は1日に1000人の人間が死ぬようにします」
イザナギノミコトは「愛しい人よ、あなたがそうするなら、私は1日に1500人の人間が生まれるようにしましょう」と答えた。神様だから当然かもしれないがイザナギノミコトは国家の本質を知っていた。現在、欧州はアフリカや中近東から押し寄せる難民にり文化だけでなく社会までが崩壊しそうになっている、さすがのトッドも予測できなかったようだ。
ポストコロナを楽観的に考える賢人たち
イスラエルの歴史学者ユバル・ノア・ハラリは、コロナは人類を市民が大きな自主性を持つ社会と独裁主義的な監視社会の分岐点に立たせたという。アメリカの作家エフゲニー・モロゾフは、市民はソリューショニズムを乗り越えてデジタルプラットフォームの主権を持つことが必要という。
グリーンニューデールを提言する環境活動家、ナオミ・クラインは、触れるというのは人が一番恋しい行為であり非接触型テクノロジーの推進に疑問を投げる。白熱教室のマイケル・サンデルは、社会の分断はエリートが謙虚さをかいた結果でありとする。哲学者のアラン・ド・ボトンは、人間に必要なのは、ユーモアと愛・友情であると非寛容な社会を批判している。
彼らはテクノロジーやSNSの弊害、社会の分断や非寛容などがコロナによって顕在化したのは良いと考えつつ、拙速な対策が独裁主義へつながるのを危惧している。独裁主義は短期的なコロナ対策に有効だが、長期的に考えれば、情報の共有が不十分になり統一された対策が取れない。そのためコロナだけでなく新たな災害や感染症に対しても脆弱になる。それに対し、民主主義は情報共有によって研究が進むので、コロナだけでなく新たな感染症や災害も乗り越えられる。民主主義の先行きは不透明だがその予測通りコロナは収束している。
極小のコロナウィルスは資本主義と民主主義を一時機能不全にした。多くの人がその事実に直面して未来に不安を抱いた。そのときでも賢人たちはポストコロナをほぼ正確に予測していた。知識は不安を解消する。知識人の意見を聞く大切さがわかる一冊。
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